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  •  島津氏の居城である鹿児島(鶴丸)城跡は,現在,石垣修復工事に伴う発掘調査を実施しています。調査結果から,近世薩摩藩の政治・文化の中心地として,さらに西南戦争の激戦地としての様相が少しずつ明らかになってきました。
     このページでは,鹿児島城跡の発掘調査の様子を随時紹介していきます。
  • 平成29年7月12日(水)
     
    今が見ごろです〜調査担当者から写真が送ってきました〜
     
     鹿児島城跡の調査担当者から,近況を知らせる写真が届きました。
     鹿児島城跡は,今,ハスの見ごろを迎えています。今年も綺麗な花を咲かせてくれました。
     
     
     修復工事のほうも着々と進んでいます。見違えるほど奇麗になりました。
    横矢掛り跡部分(黎明館を正面にして右手側の石垣の上):下の写真の青丸部分
    枡形部分(黎明館を正面にして正面部分の石垣の上):下の写真の赤丸部分
     
     
    鹿児島城跡航空写真(平成28年9月14日撮影)
  • 平成29年6月16日(金)
     
    「今何時?」「ちょっと待ってて」「まだ早い」
    〜石製の日時計が見つかりました〜
    石製日時計(溶結凝灰岩製,幅67センチ,高さ14センチ,重さ76キロ)
     
     
    石製日時計の出土場所( 写真の赤丸部分)
     
     写真の石製日時計は,御楼門の右袖石垣上段から出土しました。島津斉彬がオランダの書物を参考に造らせた日時計とよく似ていることから,幕末から近代初頭に作られたものだ思われます。
     碑面には,四方に「東西南北」が刻まれ,中央には穴が開けられています。この穴に棒を立て,お日様に照らされてできた棒の影で時刻をはかっていました。
     碑面には「東西南北」の文字のほかに,「北」を手前にして,右に「五半」,中央に「九時」,左に「七時」などの文字も刻まれています。これは,明治時代以前の,日の出と正午そして日の入りの時刻を表しています。
     鹿児島城内の役人たちは,出勤や昼食時間,退庁時刻をこの日時計で確認していたのかも知れません。
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