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令和4年度

中世阿久根氏の防御施設を初確認(R4.3.17)

新城跡において中世阿久根氏の防御施設が初確認され,報道発表が行われました。

内容:

(1) 本遺跡は,標高36mのシラス台地上に立地している。発掘調査では,一辺12m,深さ3mの方形に掘られた大型土坑や通路跡と考えられる遺構が発見された。
(2) 通路跡は,シラスを2.5m程掘削して造られており,底は35㎝と狭い。多くの人数が往来できないように,緩やかに蛇行し,大型土坑の手前で直角に折れ曲がっている。
(3) 遺構の年代は,15世紀~16世紀頃(室町時代~安土桃山時代)である。周辺では同時代の掘立柱建物跡や炉跡が発見されている。

評価:

(1)発見された遺構は,山城の虎口(出入口)に類似しており,防御施設と考えられる。
(2)標高の低い台地上に大型土坑を掘削し防御施設とする事例は,九州において類例がなく,中世山城の構造を考える上で重要である。
(3)新城跡は阿久根を治めていた阿久根播磨守良正が16世紀に築城したといわれているが,具体的な位置は不明であった。今回の発見によって,新城跡の位置や築城方法の解明が期待できる。
 また,本遺跡の防御施設は隣接する北山遺跡の防衛を目的としている可能性がある。

遺跡の位置
防御施設
台地へと下る通路跡

参考:防御施設の3D画像


12月の発掘調査

 

北山遺跡(阿久根市)

落とし穴が見つかりました。

埋土からは遺物が出土していませんが,埋土や逆茂木痕の様子から鎌倉時代~近世の可能性が考えられます。

逆茂木を固定する石組がこれほどはっきりしているものは他になかなか見られません。

 

新城跡(阿久根市)

新城跡の最上段を10月から掘り下げていましたが,現在3mほど掘り下げられています。

そこから,土器,石器などの遺物が出土しています。中にはサンゴもあり,どうのような用途で使われたのか謎は深まります。

 

萩ヶ峰A遺跡ほか(鹿屋市)

竪穴建物跡3軒と大型土坑1基の遺構が検出されました。それらの遺構内から甕や壺などの遺物が出土しました。


10月の発掘調査

六反ケ丸遺跡(出水市)

貴重な木製品や弥生時代の土器が発見されました。

発見された木製品。弓の可能性が高いです。
発見された弥生土器

 

北山遺跡(阿久根市)

柱を固定させるために片側に石を詰めた柱穴跡(ちゅうけつあと)が発見されました。また,焼土(しょうど)や鉄滓(てっさい)が発見され,カマドに関係する炉の跡である可能性があります。

柱穴に詰められた石
赤い部分が焼土です
流動滓(高温で鉄を作るときに,炉から流れ出た状態で固まった残りです)

 

新城跡(阿久根市)

大型の窪地が発見されました。窪地は自然の作用でもできますが,今回発見された窪地は,人が何かの目的で作った遺構(いこう)に土が溜まったものです。当時の人が何のためにここを掘ったのかを知るために調査をしています。

発見された窪地
125cmほどの深さです(掘り下げ途中です)

 

萩ヶ峰A遺跡ほか(鹿屋市)

竪穴建物跡にじょうろで水をまいています。乾燥が進むと遺構が傷む場合があるからです。

水まきの様子1
水まきの様子2

9月の発掘調査

北山遺跡(阿久根市)

中世(約800年前)の建物の柱穴痕や土器などが発見されています。また,縄文時代のものと思われる石鏃(せきぞく【やじり】)も発見されています。

柱穴に大きな礫が入っていました。建物の屋根にのせる重石であった可能性があります。

石鏃(せきぞく 【やじり】)が発見されました

 

新城跡(阿久根市)

焼けた土の入った土坑(どこう)が発見されました。近くに炭化物が入っている土坑もあり,関連があるかを調べています。

焼土が入っていた土坑

 

六反ヶ丸遺跡(出水市)

昔の川跡から墨で文字が書かれた土器が発見されました。

「志」という字が書かれています
「宮人」という字が書かれています

 

萩ヶ峰A・白水A・山ノ上B遺跡

白水A遺跡で旧石器時代(約15,000年前)の調査をしています。

旧石器時代の調査のため通称「マンション掘り」「千鳥掘り」「市松掘り」などという掘り方で調査を進めています。

8月の発掘調査

北山遺跡(阿久根市)

写真の溝状遺構(みぞじょういこう)は中世(鎌倉時代)のものではないかと考えています。1.5m近く掘り下げた溝の底から,大きな複数の石がまとまって置かれていることが分かりました。人が歩いた痕跡があり,道として使っていたようです。

溝状遺構

 

新城跡(阿久根市)

中世のものと考えられる土坑(どこう)や柱穴が見つかりました。これから掘り下げて詳しく調査していきます。

土坑や柱穴の跡を精査しています

 

六反ヶ丸遺跡(出水市)

地上から1.5m掘り下げたところで,約1,200年前の川跡が発見されました。川跡からは,その当時使われていた食器や壺なども一緒に発見されています。魚を捕るために使われていた土錘(どすい)も多く発見されています。

川跡
土錘

 

萩ヶ峰A・B,白水A,山ノ上B遺跡(鹿屋市)

旧石器時代の発掘調査の準備をしています。熱中症などの対策として,寒冷紗を屋根のように張って作業をしています。

手作業で掘り下げていきます(萩ヶ峰A遺跡)

6月の発掘調査

六反ヶ丸(ろくたんがまる)遺跡:出水市

粘土層によって,すぐ水が溜まってしまいます。排水作業に苦労しながら調査を進めています。

水没した調査区の様子
遺構かどうかの確認を行っています

 

萩ヶ峰(はぎがみね)A・B,白水(しろみず)B,山ノ上(やまのうえ)A遺跡:鹿屋市

過年度の調査で発見した竪穴建物跡の調査を引き続き行っています。

竪穴建物跡の断面清掃

 

新城跡:阿久根市

焼土が発見されました。炉の跡ではないかと考え,調査を進めています。

赤い土が焼土です

 

北山遺跡:阿久根市

中世(鎌倉時代頃)の竪穴建物跡です。床面で焼土とピットを検出しました。鉄製品や土師器なども出土しています。

竪穴建物跡

中世(鎌倉時代頃)の溝跡で、深いところは2m近くあります。土地を区画したり,敵の侵入を防いだりするための施設と考えられます。

溝状遺構

令和4年度の発掘調査が始まりました

今年度は六反ヶ丸(ろくたんがまる)遺跡(出水市),新城跡(しんじょうあと)(阿久根市),北山(きたやま)遺跡(阿久根市),萩ヶ峰(はぎがみね)A・B,白水(しろみず)B,山ノ上(やまのうえ)A遺跡(鹿屋市)で発掘調査を実施しています。

 

六反ヶ丸遺跡
層の堆積状況が複雑なため,先行トレンチを入れて地層の様子を調べています。
北山遺跡
溝状遺構(みぞじょういこう)【鎌倉時代頃】の調査中です。
新城跡
木や竹を伐採して調査区を整えています。
萩ヶ峰A・B,白水B,山ノ上A遺跡
包含層(ほうがんそう)を手作業で掘り下げていきます。