鹿児島県上野原縄文の森 (公財) 鹿児島県文化振興財団上野原縄文の森 埋蔵文化財情報データベース 鹿児島県立埋蔵文化財センター (公財) 鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター
MENU

公益財団法人 鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター

鹿児島県上野原縄文の森 HOME 公財 鹿児島県文化振興財団鹿児島県上野原縄文の森 埋蔵文化財情報データベース 鹿児島県立埋蔵文化財センター 公財 鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター

「令和4年度刊行の発掘調査報告書から」第1回を掲載しました。

令和4年度刊行の発掘調査報告書から

鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センターでは,令和4年度に4冊の発掘調査報告書を刊行しました。鹿児島県立埋蔵文化財センターのホームページに掲載されていますのでご覧ください。これらの報告書の中から,注目すべき成果や今後の研究課題などを紹介したいと思います。初回は,公益財団法人鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書(50)の石鉢谷B遺跡です。

【石鉢谷(いしはちだに)B遺跡(国道220号古江バイパス建設)】報告書番号(50)
石鉢谷B遺跡は鹿屋市古里(ふるさと)町にあり,高隈山系南西麓の標高約130mの西向きの緩やかな斜面に位置します。
縄文時代から弥生時代へ移る頃(約3,000~2,800年前)の干河原(ひごばる)段階に該当する土器に伴って,限られた時期の良好な遺物が出土しました。干河原段階の土器は,縄文時代晩期の黒川式土器と弥生時代初頭の刻目突帯文(きざみめとったいもん)土器の間に入る土器群です。本遺跡では,黒川式土器の特徴である胴部から肩部が丸い浅鉢形土器や,弥生時代に入る刻目突帯文土器が全く伴わないため,干河原段階の単純期となります。他の遺跡では前後の時期の土器が重なって出土していることから,深鉢形土器と浅鉢形土器の組み合わせや,石器とのセット関係を明確にすることができません。石鉢谷B遺跡での土器付着物による炭素年代測定では,984~910calBC(約3,000年前)という値が得られました(報告書掲載番号46)。北部九州で弥生時代に入るか入らないかの微妙な年代です。干河原段階の単純期である石鉢谷B遺跡の出土品は,写真のような土器(報告書掲載番号93)をはじめ多様な形の浅鉢形土器や多種類の布痕がついた組織痕土器があり,縄文時代から弥生時代へ移る頃の南九州の文化を明らかにする上で重要な資料です。
この時期の土器の中に興味深い資料があることが分かりました。写真にあるような三叉文(さんさもん)を施文し赤く塗られた土器(報告書掲載番号90)は,割れ口の接着剤としてタンパク質を多く含む素材を使っていたことがわかりました。動物の皮を刻んで煮詰めてつくる膠(ニカワ)の可能性があります。補修のための小さな孔も空いていますので,大事に使っていたことがわかります。
また,県内4例目となる石冠(せっかん)(報告書掲載番号145)は,一般的に縄文時代後期中頃(約3,500年前)の西平(にしびら)式土器に伴って出土します。姶良市加治木町干迫(ほしざこ)遺跡や鹿屋市串良町牧山(まきやま)遺跡,それに垂水市柊原(くぬぎばる)貝塚例が典型です。石鉢谷B遺跡出土品はこれらとは若干形が異なりますが,干河原段階であれば,それらより新しい時期の初めての例となります。三角壔(とう)形石製品との比較も検討しなければなりません。

赤く塗られ装飾された浅鉢形土器(高さ:10.5㎝)

石冠? 三角壔(とう)形石製品に近い? (長さ:7.73㎝)

補修孔と赤い接着剤を併せもつ三叉文の浅鉢形土器 (復元口径:20.7㎝)