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【北山(きたやま)遺跡(南九州西回り自動車道建設)】報告書番号(51) ~その1~

鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センターでは,令和4年度に4冊の発掘調査報告書を刊行しました。鹿児島県立埋蔵文化財センターのホームページに掲載されていますのでご覧ください。これらの報告書の中から,注目すべき成果や今後の研究課題などを紹介したいと思います。第2回は,公益財団法人鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書(51)の北山遺跡1の古墳時代編です。

 

【北山(きたやま)遺跡(南九州西回り自動車道建設)】報告書番号(51) ~その1~

北山遺跡は,高松(たかまつ)川左岸の標高約33mの台地の北側縁辺にあり,この地区の台地上に数か所の遺跡が広がっています。西側から諏訪ノ前(すわのまえ)遺跡,北山遺跡,新城(しんじょう)跡です。今回報告された調査区は,北山遺跡の西側で諏訪ノ前遺跡に隣接した範囲です。

今回報告した調査区では,縄文時代早期(約11,000年前)から近世(18世紀)までの生活痕跡がみつかっています。内容が豊富ですので,数回に分けて紹介します。今回は,古墳時代について紹介します。

阿久根市の古墳時代は,4世紀代の竪穴石室(たてあなせきしつ)が検出された鳥越(とりごえ)古墳や,箱式石棺墓(はこしきせっかんぼ)・板石積石棺墓(いたいしづみせっかんぼ)・横穴式石室墓(よこあなしきせきしつぼ)からなる5世紀末~7世紀初頭に位置づけられる脇本(わきもと)古墳群が知られています。しかし,これらの時期の集落跡はほとんど確認されていませんでした。北山遺跡の発掘調査で,15m四方の範囲に古墳時代前半(4世紀代)の竪穴建物跡が3軒検出されました。海が見える調査区外の北西側へ集落が広がる可能性があります。

煮炊き用として使われた甕(かめ)形土器は,南九州で特徴的な中空の脚台をもちながら,製作技法としては当時の南九州ではあまりみられない器壁を薄く仕上げるタタキ技法が新たに導入されています(報告書掲載番号70)。畿内地域から広がった製作技法が,不知火海(しらぬいかい)を取り囲む地域で流行し,北山遺跡まで伝わったのかもしれません。口縁部が「く」字状に外反し胴部が膨らむ土器(報告書掲載番号141)は,タタキ技法によるもので,白っぽい色調で胎土に赤色砂礫が目立ちます。これは,熊本市植木町北牟田(きたむた)遺跡出土品に類似しており,この土器も不知火海での交流をうかがわせます。

また,興味深い出土品に杓子(しゃくし)形土製品があります。報告書の総括ではこれまで鹿児島県内から出土した27遺跡110点について紹介してあります。古いものは南さつま市金峰町高橋(たかはし)貝塚出土の弥生時代前期(前4世紀頃)のものがあり,多くは北山遺跡と同じ弥生時代終末から古墳時代の例です。杓子形土製品については,水に関係のある祭祀を行った可能性が指摘されています。柄の部分の曲がり具合から,一般的には右手での使用が考えられますが、左手で利用されたのではないかと考えられる例(南さつま市上水流遺跡)もあり,非日常的な行為を行う場合,利き手と逆の手を使ったのかもしれません。

古墳時代の1号竪穴建物  直径:2.3m

脚台のある甕形土器  高さ:33.6㎝

杓子形土製品 長さ:8.7㎝

タタキ技法による甕形土器  復元口径:21.8㎝