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投稿者: chousa-c

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諏訪ノ前遺跡の発掘調査成果概要(令和5年度発掘)

諏訪ノ前(すわのまえ)遺跡は,阿久根市波留(はる)に所在し,高松川左岸の台地上から緩やかに下る斜面上に位置します。遺跡の近くには南方(みなみかた)神社があり,神社へ向かって下っていく地形となっています。
14世紀~15世紀の溝跡や炉跡,住居跡のほか,県内では,科学分析のもと裏打ちされた初めてとなるトイレ跡が確認されました。また,輸入陶磁器や土師質及び瓦質の擂鉢(すりばち),火鉢(ひばち)などの生活用具のほか,五輪塔の水輪(すいりん)や懸仏(かけぼとけ)の本尊が出土しました。

トイレ跡の断面
トイレ跡の断面
炉跡
炉跡
空撮
空撮
懸仏の本尊
懸仏の本尊

北山遺跡の発掘調査成果概要(令和2~5年度発掘)

北山(きたやま)遺跡は,阿久根市山下・波留(はる)の標高約35mの台地上に位置します。周辺は,古代の英祢(あくね)駅や,東側の愛宕山に中世莫祢(あくね)氏の本拠地・莫祢城跡が置かれるなど,古代から中世において重要な役割を果たした場所です。
調査区内では,縄文時代から近世の遺構・遺物を確認しました。縄文時代早期では,集石や土坑に伴う約1万年前の政所(まどころ)式土器が出土し,他地域との交流が窺えます。中世は,溝状遺構が複数確認され,土地区画を伴う大規模な開発が想定されます。中世後半から近世前半にかけては,製鉄炉4基など,製鉄関連遺構を確認しました。近世における出土陶磁器は, 17世紀後半~18世紀前半の陶磁器が主体を占め在地系陶器に加え,肥前系の陶器が多く見られるのが特徴です。

溝状遺構1号(薬研堀)
溝状遺構1号(薬研堀)
黒色土器(中世)
黒色土器(中世)
政所式土器(縄文時代)
政所式土器(縄文時代)
製鉄関連遺構(中世~近世)
製鉄関連遺構(中世~近世)

玉利遺跡の発掘調査成果概要(令和5年度発掘)

玉利(たまり)遺跡は,指宿市街地の北側に位置する,弥生時代の終わり頃を中心とする遺跡です。指宿地域に特徴的な色調をもつ甕形(かめがた)や壺形(つぼがた)の土器,石庖丁(いしぼうちょう)や軽石製品が出土しました。地層では,厚く堆積した開聞岳の噴出物も確認されました。
また,土器に残るススや圧痕(植物や生き物の痕),石器の分析から,当時の人々が利用したアワやイネ,アズキなどの植物,コクゾウムシやハエ類などの害虫の痕跡も見つかりました。当時の人々の植物利用をうかがい知ることができます。

石庖丁
石庖丁
甕形土器
甕形土器
鉢形土器
鉢形土器
開聞岳の噴出物の堆積層
開聞岳の噴出物の堆積層

山借シ遺跡の発掘調査成果概要(令和5年度発掘)

山借シ(やまかし)遺跡は, 奄美群島の喜界島(喜界町川嶺(かわみね))にある集落遺跡です。令和5年度に行った発掘調査によって,14世紀~16世紀頃の遺構や遺物が発見されました。
溝跡からは,当時の人々が継続的に廃棄したと考えられる青磁や白磁などの中国産陶磁器,動物の骨が大量に出土しました。出土した動物の歯を科学分析したところ,ウマや一部のウシに島外から連れてこられた個体がいることが分かりました。
また,景徳鎮窯(けいとくちんよう)系の瑠璃釉鉢(るりゆうはち)の破片が,島内で初めて確認されました。

 

中世の溝跡
中世の溝跡
ウシの骨の出土状況
ウシの骨の出土状況
瑠璃釉鉢の破片
瑠璃釉鉢の破片

約700年前のトイレを南九州で初確認

公益財団法人鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センターが令和5年度に発掘調査を行った諏訪ノ前遺跡(阿久根市)で,約700年前のトイレの遺構を確認しました。

諏訪ノ前遺跡は,阿久根市の標高34mのシラス台地上に立地し,発掘調査では,14世紀~16世紀(鎌倉時代~安土桃山時代)の集落跡が確認されています。

発掘調査では,直径約1.6m,深さ1~1.3mの円形土坑(穴)が6基確認され,内部から植物の種が検出されました。4基について土壌の寄生虫卵分析等を行ったところ,2基の土坑で回虫卵・鞭虫卵のほか,アブラナ科,ソバ属の花粉,ヤマモモの種,貝の蓋などが確認されました。

回虫・鞭虫は,寄生虫の卵が付着した生野菜を食べることによって感染します。寄生虫卵や食用植物の花粉が高濃度で検出された土は,糞便の堆積層と考えられます。

諏訪ノ前遺跡の円形土坑6基は14世紀(鎌倉時代~室町時代)のトイレであったことが判明し,これは,南九州において科学分析によってトイレ遺構と認定できた初めての事例となりました。

また,土壌分析から,当時の人々は寄生虫卵が付着した野菜のほか,コメ,ソバ,ゴマなどを食していたことが判明しました。

今回確認されたトイレ遺構は,鎌倉時代から室町時代におけるトイレの様子や食生活,衛生環境を知る上で重要です。

 

 

新城跡の報道発表について

新城跡において中世阿久根氏の防御施設が初確認され,報道発表が行われました。

発表事項:「中世阿久根氏の防御施設を初確認」

内容:

(1) 本遺跡は,標高36mのシラス台地上に立地している。発掘調査では,一辺12m,深さ3mの方形に掘られた大型土坑や通路跡と考えられる遺構が発見された。
(2) 通路跡は,シラスを2.5m程掘削して造られており,底は35㎝と狭い。多くの人数が往来できないように,緩やかに蛇行し,大型土坑の手前で直角に折れ曲がっている。
(3) 遺構の年代は,15世紀~16世紀頃(室町時代~安土桃山時代)である。周辺では同時代の掘立柱建物跡や炉跡が発見されている。

評価:

(1)発見された遺構は,山城の虎口(出入口)に類似しており,防御施設と考えられる。
(2)標高の低い台地上に大型土坑を掘削し防御施設とする事例は,九州において類例がなく,中世山城の構造を考える上で重要である。
(3)新城跡は阿久根を治めていた阿久根播磨守良正が16世紀に築城したといわれているが,具体的な位置は不明であった。今回の発見によって,新城跡の位置や築城方法の解明が期待できる。
 また,本遺跡の防御施設は隣接する北山遺跡の防衛を目的としている可能性がある。

遺跡の位置
防御施設
台地へと下る通路跡
参考:防御施設の3D画像

12月の発掘調査

北山遺跡(阿久根市)

落とし穴が見つかりました。

埋土からは遺物が出土していませんが,埋土や逆茂木痕の様子から鎌倉時代~近世の可能性が考えられます。

逆茂木を固定する石組がこれほどはっきりしているものは他になかなか見られません。

 

新城跡(阿久根市)

新城跡の最上段を10月から掘り下げていましたが,現在3mほど掘り下げられています。

そこから,土器,石器などの遺物が出土しています。中にはサンゴもあり,どうのような用途で使われたのか謎は深まります。

 

萩ヶ峰A遺跡ほか(鹿屋市)

竪穴建物跡3軒と大型土坑1基の遺構が検出されました。それらの遺構内から甕や壺などの遺物が出土しました。

 

現地説明会を開催しました!~北山遺跡(阿久根市)

 12月3日(土),北山遺跡(阿久根市)で発掘調査の現地説明会を開催しました。現地説明会は今年で3回目の開催となり,地域の住民をはじめ150人ほどの見学者がありました。

 

 見学者は,鎌倉時代から室町時代の集落跡や縄文時代以降の落とし穴,江戸時代の炉跡などの説明を聞いたり,出土品を見学したりしました。北山遺跡は,鎌倉時代に阿久根を治めていた有力者一族が居住していた可能性が考えられています。

 

 また,発掘調査を体験できるコーナーでは,子どもから大人まで多くの参加者でにぎわい,あちこちで遺物を見つけて歓声をあげる光景も見られました。

 

江戸時代の炉跡を説明しています。   (炉跡は炭窯の可能性があります。)

 

 

鎌倉時代の溝跡を説明しています。    (溝跡は堀の可能性があります。)

 

発掘体験の風景です。大人も子供も真剣です。

 

発掘体験コーナーで出土品の説明を行っています。

 

遺物展示コーナーです。北山遺跡で発見した縄文時代前期(約6,000年前),古墳時代(約1,700年前),平安時代(約1,200年前),鎌倉・室町時代(約600~800年前),江戸時代(約150~400年前)の出土品を展示しました。

10月の発掘調査

六反ケ丸遺跡(出水市)

貴重な木製品や弥生時代の土器が発見されました。

発見された木製品。弓の可能性が高いです。
発見された弥生土器

 

北山遺跡(阿久根市)

柱を固定させるために片側に石を詰めた柱穴跡(ちゅうけつあと)が発見されました。また,焼土(しょうど)や鉄滓(てっさい)が発見され,カマドに関係する炉の跡である可能性があります。

柱穴に詰められた石
赤い部分が焼土です
流動滓(高温で鉄を作るときに,炉から流れ出た状態で固まった残りです)

 

新城跡(阿久根市)

大型の窪地が発見されました。窪地は自然の作用でもできますが,今回発見された窪地は,人が何かの目的で作った遺構(いこう)に土が溜まったものです。当時の人が何のためにここを掘ったのかを知るために調査をしています。

発見された窪地
125cmほどの深さです(掘り下げ途中です)

 

萩ヶ峰A遺跡ほか(鹿屋市)

竪穴建物跡にじょうろで水をまいています。乾燥が進むと遺構が傷む場合があるからです。

水まきの様子1
水まきの様子2