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投稿者: 管理人

考古学講座第1回「ブラっとモリ ~ご存知ですか?上野原遺跡!~」


4月20日(土)10:00~11:30
(参加申込受付中)

ブラっと上野原縄文の森を歩きながら,知られざる上野原遺跡の歴史や縄文の森の魅力をご紹介します。
【講 師】 上野原縄文の森職員
【定 員】 50人程度
【場 所】 見学エリア及び体験広場
【参加料】 300円(含むお菓子代)

○問い合わせ・申込先
〒899-4318
鹿児島県霧島市国分上野原縄文の森1番1号
上野原縄文の森
電話:0995-48-5701
FAX:0995-48-5704
E-mail:uenohara@jomon-no-mori.jp

 

「河口コレクションとは?」の疑問に答える! ~第1弾・山ノ口遺跡~

この報告書は,「河口コレクション整理活用事業」に伴い,平成28年度~29年度に整理作業を行った肝属郡錦江町馬場に所在する山ノ口遺跡の発掘調査の記録です。
山ノ口遺跡は,昭和33年~36年に故河口貞徳氏が主体となって,発掘調査が実施されました。南九州の弥生時代中期を代表する標式遺跡であるとともに,環状の配石遺構の周囲に岩偶などの軽石製品や孔が開けられた多数の土器などが出土した祭祀遺跡として学史的にも著名です。
報告書の中では,現代的な視点での山ノ口遺跡の再検討はもちろんのこと,河口氏の発掘調査歴一覧や氏所有の資料が寄贈されるまでの経緯,寄贈されたコレクションの内容なども掲載されています。まさに「河口貞徳コレクションとは何か?」という疑問に答えることができる報告書となっています。

※今回紹介した県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書(195)「山ノ口遺跡」は,こちらからダウンロードできます。

 

鹿児島城跡で整理作業を行っています

今年度の鹿児島城跡の発掘調査は,整理作業も同時に行っています。なんと,発掘現場で整理作業をしています。これまでの調査で見つかった遺物(瓦など)の水洗い,接合を主に行っています。
また,瓦の専門家の先生もお招きし,鹿児島城跡で見つかった瓦を見ていただきました。復元される御楼門の瓦の選定の参考にする予定です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鹿児島(鶴丸)城跡現地説明会を開催しました!

2月24日(土)に,鹿児島(鶴丸)城跡にて,明治維新150周年記念鹿児島(鶴丸)城跡現地説明会を開催しました。
午後だけの開催にもかかわらず,452名という多くの県民のみなさまに参加していただきました。

当日の見学コース※上の画像をクリックするとダウンロードできます。

鬼瓦,「発掘された日本列島2017」展に出張中

下の3枚の写真は,これまでに鹿児島城跡で出土した遺物です。ただ今,「発掘された日本列島2017」展(文化庁主催)で巡回展示中です。(現在は終了しています)

鬼瓦:排水溝から出土。憤怒の表情が表現されている。高さ29㎝,幅38.8㎝,重さ約10kg。

 

銃弾と砲弾:上の3点は戊辰戦争から西南戦争まで広く使われた四斤砲の榴弾破片。下の4点は銃弾。

 

薩摩焼:本丸跡から出土。奥は杓立(しゃくたて)。口径5.4㎝,器高19㎝。

今が見ごろです~調査担当者から写真が送ってきました~

鹿児島城跡の調査担当者から,近況を知らせる写真が届きました。
鹿児島城跡は,今,ハスの見ごろを迎えています。今年も綺麗な花を咲かせてくれました。

修復工事のほうも着々と進んでいます。見違えるほど奇麗になりました。
横矢掛り跡部分(黎明館を正面にして右手側の石垣の上):下の写真の青丸部分
枡形部分(黎明館を正面にして正面部分の石垣の上):下の写真の赤丸部分
鹿児島城跡航空写真(平成28年9月14日撮影)

 

「今何時?」「ちょっと待ってて」「まだ早い」 ~石製の日時計が見つかりました~

石製日時計(溶結凝灰岩製,幅67センチ,高さ14センチ,重さ76キロ)
石製日時計の出土場所( 写真の赤丸部分)

写真の石製日時計は,御楼門の右袖石垣上段から出土しました。島津斉彬がオランダの書物を参考に造らせた日時計とよく似ていることから,幕末から近代初頭に作られたものだ思われます。
碑面には,四方に「東西南北」が刻まれ,中央には穴が開けられています。この穴に棒を立て,お日様に照らされてできた棒の影で時刻をはかっていました。
碑面には「東西南北」の文字のほかに,「北」を手前にして,右に「五半」,中央に「九時」,左に「七時」などの文字も刻まれています。これは,明治時代以前の,日の出と正午そして日の入りの時刻を表しています。
鹿児島城内の役人たちは,出勤や昼食時間,退庁時刻をこの日時計で確認していたのかも知れません。