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カテゴリー: 鹿児島城便り

 島津氏の居城である鹿児島(鶴丸)城跡は,石垣修復工事に伴う発掘調査を実施しました。調査結果から,近世薩摩藩の政治・文化の中心地として,さらに西南戦争の激戦地としての様相が少しずつ明らかになってきました。
 このページでは,鹿児島城跡の発掘調査・整理作業の様子を随時紹介していきます。

西田橋(鹿児島県立図書館ロビー展から)

鹿児島城下と出水筋(西目筋)を結ぶ交通の要所に掛かる橋で、弘化3(1846)年に石橋に架け替えられたアーチ式石橋です。

平成5(1993)年の集中豪雨で被災し、原位置(甲突川)での保存が困難となったため移設・保存されました。

移設に際しては様々な調査が行われ、瓦や陶磁器などが出土しています。これらの中には、家紋が施された薩摩焼などが見られます。

家紋は、白い生地とは異なる粘土を埋め込む象嵌技法で表現されています。花瓶の家紋は、「丸に花菱」、香炉の家紋は、「丸に蔦」と呼ばれるものです。

左岸発掘状況

家紋入り香炉

 

 

「浜町遺跡」(鹿児島県立図書館ロビー展から)

浜町遺跡(鹿児島市浜町)は、現在の石橋記念公園一帯にある遺跡で、石橋移設や公園整備に伴って平成8・9(1996・1997)年に発掘調査が実施されました。
江戸時代の絵図などによると、抱真院や島津山城殿下屋敷などがあったことがわかっており、発掘調査はこれらの史料を参考に実施されました。調査の結果、建物の基礎や上水道施設などの遺構や、陶磁器などの遺物が出土しています。
特に注目される資料として、当時の沖縄から鹿児島へ楊梅(ヤマモモ)がもたらされたことを示す木札があります。

島津山城殿下屋敷建物跡

上水道施設

楊梅(ヤマモモ)がもたらされたことを示す木札

型打ち製品(鹿児島県立図書館ロビー展から)

竪野(冷水)窯跡(鹿児島市冷水町)から出土した白薩摩の一種ですが、その所有者は藩主や上級武士ではなく、将軍家や有力家臣、諸大名などで
あった可能性が指摘されています。

また、江戸の薩摩藩上屋敷で行われた外交行事で使用された可能性もあります。今後の研究成果が期待される資料です。

竪野(冷水)窯跡(鹿児島県立図書館ロビー展から)

鹿児島市冷水町にある薩摩焼の窯跡です。窯が開かれたのは、薩摩藩初代藩主である島津家久が鹿児島城に移城した際
の元和6(1620)年頃とされています。

昭和53(1978)年に発掘調査が実施され、窯跡1基と物原2か所が確認されています。

窯は、平面全長14.48mの連房式登窯で、7つの室などで構成されていました。また、物原と呼ばれる場所からは、大量の陶器片や窯道具が出土しています。

この調査は、これまで美術史上で語られることが多かった薩摩焼を考古学上の視点から捉え直すきっかけとなりました。その後、薩摩焼の研究が進み再整理の必要性が高まる中、平成25(2013)年に作業を実施した結果、型打ち製品の様相が明らかとなりました。

発掘調査の様子

物原

 

 

 

「まな板・ダイコン・包丁」(鹿児島県立図書館ロビー展から)

寿国寺跡(鹿児島市武)では、唐草文や山水文などの絵柄に混じって、まな板やダイコン、包丁が描かれた陶磁器が出土しました。
 
特にまな板には四本の脚が描かれており、当時の生活用具の姿を知ることができます。暮らしの様子を伝える貴重な資料です。

 

「寿国寺跡」(鹿児島県立図書館ロビー展から)

寿国時寺跡(鹿児島市武)は、江戸時代中期に建立された黄檗宗の寺院です。九州新幹線鹿児島ルートの建設に伴って平成11・12(1999・2000)年に発掘調査が実施されました。
調査の結果、門前池の一部が発見されました。これは、幕末から明治初期に記された三国名勝図会に描かれた寿国寺や周囲の施設と位置関係などが合致しており、文献の内容が発掘調査で裏付けられた事例として注目されます。
この池の中にある方形石組み遺構の石垣下には、鹿児島城の石垣と同様に、胴木が敷設されており、当時の土木技術を知る上でも貴重な発見となりました。

寿国寺跡近景

発掘調査風景

「舶来製品」(鹿児島県立図書館ロビー展から)

垂水・宮之城島津家屋敷跡から出土しました。イギリスのドーソン窯で焼かれた小皿で、図柄は「ザ・サプライズ」と呼ばれています。木の下の貴婦人と、その後ろの人影が特徴的です。

この陶磁器は薩摩焼や中国産陶磁器とともに出土しており、どのような経路で持ち込まれたのか興味深い資料です。

「垂水・宮之城島津家屋敷跡」(鹿児島県立図書館ロビー展から)

平成11・12(1999・2000)年にかごしま県民交流センター建設に伴って発掘調査が実施されました。
この屋敷跡は旧鹿児島県庁地内に位置し、平成8(1996)年に現在の鹿児島県庁に移転するまで、県政の中核をなした地でもあります。
発掘調査の結果、屋敷の柱礎石の下部構造である坪地業や、石垣に挟まれた溝などの遺構が確認されました。特に、石垣に挟まれた溝は、天保年間(1831-1845)に描かれた絵図と照らし合わせたところ、両島津家屋敷の境にあった溝である可能性舶来製品 が高いことが分かりました。

垂水・宮之城島津家屋敷跡遠景

屋敷境遺構検出状況

出土遺物

「鬼瓦」(県立図書館ロビー展から)

棟の端などに設置される厄除けと装飾を兼ねた役瓦です。
 
鬼の面を表したものは少なく、吉祥文を配したものが多く知られています。
 
発掘調査では両者が出土しており、鬼面は復元可能なものも複数確認されています。
 
展示の鬼瓦は二之丸近くの御角櫓跡周辺から出土したもので、特徴的なまゆ毛が目を引きます。

「鹿児島(鶴丸)城跡」(県立図書館ロビー展から)

鹿児島城は、慶長6(1601)年頃、後の初代藩主島津家久が建設に着手した城で、鶴丸城の名で親しまれています。

築城当初は、背後の城山に本丸、二之丸を置き、麓に屋形を配置して藩主の居所としていました。これは、島津氏が鎌倉時代からの守護として、山城と屋形で構成される武家の伝統や、格式を重んじて築城したと考えられ、三方を堀に囲まれていました。江戸時代の後半になると、本丸、二之丸は麓の居所を指すようになります。

県立図書館は二之丸跡に建っており、昭和52・53(1977・1978)年にかけて発掘調査が行われ、黎明館側の石垣の手前に長さ約73m、幅約13m、深さ約3mの濠跡などが発見されました。

県立図書館入口付近の調査風景

上から見た御角櫓跡周辺