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旧石器・縄文・弥生時代の生活

時代の分け方

谷口康浩著「入門 縄文時代の考古学」(同成社)より引用

【用語解説】

吉野ケ里遺跡
佐賀県の弥生時代の遺跡です。周囲に約2.5kmの外壕をめぐらせた,東京ドームが7~8個は入るという巨大な環濠集落です。物見やぐらと思われる高さ約12mと推定される,掘建柱建物跡などが発見されました。最盛期には,1,000人もの人々が生活していたものと考えられています。

三内丸山遺跡
青森県の縄文時代前期~中期にかけて約1,500年間続いたと考えられている遺跡です。縄文海進の影響を受けて,豊富な海産物が採れる海の近くにありました。東京ドームが7~8個は入るという巨大な遺跡です。巨大な建物跡や倉庫群が見つかりました。最盛期には,500人もの人々が生活していたものと考えられています。

縄文海進
今から約6,000年前の縄文時代前期は,現在よりも温暖で,最も海面が高くなり海岸線が内陸部に入りこんでいました。現在よりも海面の高さは約2m高かったと考えられています。

上野原遺跡
上野原遺跡は,南に鹿児島湾や桜島,北に霧島連山を望む,鹿児島県霧島市東部の標高約260mの台地上にあります。
縄文時代の早い段階から多彩な文化が開花し,個性豊かな縄文文化がきずかれました。
くわしくはこちらのページを参照

土器の誕生
氷河期が終わり,大型動物が絶滅したことと,木の実や魚介類や小型動物が増えたことなどにより,人々の生活は狩猟から採取へと徐々に変わっていきました。この頃から、採取した食べ物を保管したり,煮炊きに使うために,土器が作られるようになります。

人類の誕生
今から500~600万年前に誕生したと考えられています。

各時代の文化の特徴

  旧石器文化 縄文文化 弥生文化
気候 寒温の繰り返し 間氷期になり,温暖になった 現在とほぼ同じ
食料 狩猟 採取 狩猟 採取 漁労 米作り 狩猟 採取 漁労
社会 貧富の差や階級の区別なし 貧富の差や階級の区別なし 貧富の差や階級の区別ができる。
小さな国家もでき始める。
道具 打製石器
ナイフ形石器
尖頭器
細石器
縄文土器
石槍・弓矢
石鏃・石匙・石斧
磨製石器
弥生土器
木製鋤・木製鍬
田下駄・石包丁
鉄器・青銅器
住居 簡単な小屋掛けをした住居
洞窟や岩陰を住居として利用
竪穴住居
わき水が得られる台地上に集落を形成
竪穴住居
農耕に適した低地に定着
未解明 埋甕 屈葬 伸展葬 支石墓 墳丘墓