発掘調査の概要
約10,600年前(縄文時代早期前葉) 国指定史跡
定住化初期の大集落
見学エリア上野原台地の北側には,2条の道筋に沿った52軒の竪穴住居群を中心に,39基の集石や16基の連穴土坑などの調理施設をもった集落(ムラ)が発見されました。南九州地域における定住化初期の様子を知る大集落といえます。
なお,これらの住居の中には住居が重なり合っていることや,埋まり方に違いがみられることから,建てられた時期に差があり,ムラは長期間にわたって営まれていたことがわかりました。
約8,600年前(縄文時代早期後葉) 国重要文化財
まつり・儀式の場
台地南側の最も高い所にはひとつの穴に丸と四角の口をもつ2個の壺型土器が完全な形で埋めてありました。
また,その周りには壺型土器や鉢形土器を埋めた11か所の土器埋納遺構と石斧を数本まとめて埋めた石斧埋納遺構が見つかり,さらに,これらを取り囲むように,日常使用した多くの石器や割られた土器などが,置かれた状態で出土しました。
この場所は,まつりなどの儀式が行われた場と考えられています。
約7,200年前(縄文時代前期)
この時期の住居跡は発見されてはいませんが,台地の南側ではおとし穴と集石遺構がみつかり,一時的な狩り場や調理の場となりました。約4,400年前(縄文時代後期)
台地南側の斜面に近い場所からは,深さ2mから3mのおとし穴が長さ約400m,東西方向に2列ならんでみつかり集団で動物を追い込む狩り場となりました。
約3,200年前(縄文時代晩期)
台地の北側がおもな生活の場で,竪穴住居跡や掘立柱建物跡などが発見されました。建物の周辺にはドングリなどが入った「貯蔵穴」があり,森からの恵みを受けていました。
約2,400年前(弥生時代中期~後期)
台地北側には,東西約500mの範囲にムラが営まれ,竪穴住居跡5軒や掘立柱建物跡2棟,長さ100mの柵列も発見されました。またイネの植物の痕跡やモモの種も見つかりました。
約1,600年前(古墳時代~現代)
古墳時代は竪穴住居跡1軒,中世は掘立柱建物跡8軒,第2次世界大戦の探照灯跡が発見され,戦後はイモなどの耕作地になりました。