Ⅰ.戦争遺跡保存に至るまで
2020年は戦後75年目の年です。当時20歳の若者は今年95歳,ということになります。これは戦争体験者の激減を意味し,次世代に戦争体験をどのように伝えるかという問題にも繋がってきます。戦争遺跡には地表に露出したものや,地下に埋もれたもの等がありますが,多くは戦後長い間放置され,老朽化や開発などで風化や解体が進んできています。
そのような中,1970年代ごろから,全国各地で戦争遺跡を調査する事例が少しずつ見られるようになりました。さらに,沖縄県南風原町の南風原(はえばる)陸軍病院壕が1990年に日本初の指定史跡(町指定)になったことで徐々に関心が高まり,1995年には広島原爆ドームが国の史跡に指定され,ユネスコの世界文化遺産にも登録されることとなりました。この原爆ドームの文化財指定は,全国の戦争遺跡に対する意識が見直され,後世に語り継ぐべき遺産として把握・保護される大きなきっかけとなりました。
番号 | 市町村名 | 名称 | 内容 | 時代 |
1 | 薩摩川内市 | 天狗鼻海軍望楼台 | 市指定 | 明治 |
2 | 鹿児島市 | 天保山砲台跡 | 市指定 | 幕末 |
3 | 〃 | 祇園之洲砲台跡 | 〃 | 幕末 |
4 | 〃 | 沖小島砲台跡 | 〃 | 幕末 |
5 | 南九州市 | 陸軍知覧飛行場給水塔跡 | 市指定 | 昭和 |
6 | 〃 | 陸軍知覧飛行場弾薬庫跡 | 国登録 | 昭和 |
7 | 〃 | 陸軍知覧飛行場着陸訓練施設遺構 | 〃 | 昭和 |
8 | 〃 | 陸軍知覧飛行場水風呂(防火水槽跡) | 〃 | 昭和 |
9 | 姶良市 | 山田の凱旋門 | 国登録 | 明治 |
10 | 曽於市 | 岩川官軍墓地 | 市指定 | 明治 |
11 | 鹿屋市 | 海軍笠野原航空基地跡川東掩体壕 | 市指定 | 昭和 |
12 | 〃 | 海軍串良航空基地地下壕電信司令室 | 〃 | 昭和 |
13 | 志布志市 | 権現島砲台遺構(水際陣地跡) | 〃 | 昭和 |
14 | 〃 | 海軍岩川航空隊基地通信壕跡 | 〃 | 昭和 |
15 | 〃 | 平床通信壕跡 | 〃 | 昭和 |
16 | 南大隅町 | 原の台場跡 | 県指定 | 幕末 |
17 | 大和村 | 今里小中学校奉安殿 | 国登録 | 昭和 |
18 | 瀬戸内町 | 久慈小学校奉安殿 | 〃 | 昭和 |
19 | 〃 | 須子茂小学校奉安殿 | 〃 | 昭和 |
20 | 〃 | 薩川小学校奉安殿 | 〃 | 昭和 |
21 | 〃 | 池地小中学校奉安殿 | 〃 | 昭和 |
22 | 〃 | 節子小中学校奉安殿 | 〃 | 昭和 |
23 | 〃 | 古仁屋小学校奉安殿 | 〃 | 昭和 |
24 | 伊仙町 | 鹿浦小学校奉安殿 | 〃 | 昭和 |
Ⅱ.戦争遺跡の分類
本稿では戦争遺跡を幕末・明治初期からアジア・太平洋戦争終結までのものとします。この間の80年余り,主なもので薩英戦争,戊辰戦争,西南戦争,日清戦争,日露戦争,第1次世界大戦,日中戦争,アジア・太平洋戦争があります。近代的中央集権国家として帝国主義の時代を生き抜いていくために,日本はこれだけの戦争を行ってきました。
ところで,鹿児島県はこの中で特にアジア・太平洋戦争に係る戦争遺跡が多く所在します。これらを大まかに分類すると,
①航空基地関係(滑走路・掩体壕・建物や施設)
②沿岸施設(砲台・観測施設・哨戒施設・防備所・水上水中特攻基地・建物や施設)
③軍事施設(建物や施設・要塞・塹壕)
④その他(奉安殿【注1】・防空壕・記念施設・慰霊碑・墓地)
などに分けられます。
【注1】 戦前の日本において,学校等にあった天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めていた建物
Ⅲ.鹿児島県の戦争遺跡
鹿児島県にアジア・太平洋戦争関連の遺跡が多いのは①~④の理由によると考えられます。
①1945年3月の沖縄戦以後は本土防衛の最前線となり,陸海軍の出撃,防御拠点が集中しました。
(資料2,3 写真6)
②吹上浜と志布志湾が本土上陸作戦(オリンピック作戦)の目標地点となっていたことから,コンクリート製の永久築城の要塞や素掘りの洞窟式陣地,トーチカ等の施設が昭和19~20年に多数構築されました。(写真1~3 )
③南九州一帯にひろがるシラスの崖は掘りやすく,本土防衛の最前線である鹿児島への空襲が激しくなるにつれて防空壕が県内に多く作られました。(資料4)
北海道 | 1,210 | 山 梨 | 1,181 | 広 島 | 262,425 |
青 森 | 946 | 長 野 | 53 | 島 根 | 38 |
秋 田 | 94 | 富 山 | 2,300 | 山 口 | 3,362 |
岩 手 | 616 | 石 川 | 27 | 香 川 | 1,359 |
宮 城 | 1,118 | 岐 阜 | 1,191 | 徳 島 | 1,710 |
山 形 | 41 | 愛 知 | 12,379 | 高 知 | 487 |
新 潟 | 1,467 | 三 重 | 5,612 | 愛 媛 | 1,097 |
福 島 | 661 | 滋 賀 | 35 | 福 岡 | 5,570 |
茨 城 | 2,452 | 福 井 | 1,809 | 佐 賀 | 138 |
栃 木 | 612 | 京 都 | 215 | 長 崎 | 75,380 |
群 馬 | 967 | 奈 良 | 32 | 大 分 | 710 |
埼 玉 | 392 | 和歌山 | 1,781 | 熊 本 | 869 |
東 京 | 116,959 | 大 阪 | 14,770 | 宮 崎 | 646 |
千 葉 | 1,450 | 兵 庫 | 11,997 | 鹿児島 | 4,604 |
神奈川 | 9,197 | 鳥 取 | 61 | 沖 縄 | 約1,500 |
静 岡 | 6,234 | 岡 山 | 1,773 | (人) |
④奄美大島の大島海峡は複雑に入り組んだリアス海岸からなり,海軍艦艇の絶好の泊地となり両岸に関連する軍事施設が集中しました。(写真7~10 )
これらの施設は戦後の開発による消失を免れてそのまま残っているものが多数みられます。その中の一部はコンクリート製の耐弾構造となっているため,当時の構造がほぼそのまま残っているものもあります。
Ⅳ.保存と活用
最近,全国各地で「身近にある戦争遺跡から戦争のことを知り平和の大切さを学ぼう」という活動を行う各種団体が現れています。また,個人的に踏査や集成を行い,紹介や普及活動を行っている人もいます(写真2,5)。市町村では戦争遺跡が多く所在する自治体(南九州市,出水市,霧島市,曽於市,鹿屋市,瀬戸内町その他)で積極的に保存・活用する動きが,いわゆる“まちおこし”と絡めて見られます。そして今後県内で埋蔵文化財の発掘調査が行われるに伴い,新たな戦争遺跡や遺物が確認され,この時代に対する認識と評価が深まっていくことでしょう。
Ⅴ.埋蔵文化財発掘調査報告書に記載された戦争遺跡
古い時代(縄文時代や弥生時代等)の遺跡の発掘調査中に偶然出土した戦争に関連する遺構や遺物はこれまでも様々な報告書に掲載されています。また,最近では戦争遺跡そのものを保護,記録保存するために発掘調査を行い,それらの報告書が刊行されています。ここでは前者の例として霧島市の上野原遺跡を,後者の例として南九州市の知覧飛行場跡を紹介します。
上野原遺跡(霧島市)の調査で,2基の探照灯跡と配線ケーブルを埋めた溝が検出されています(第10地点)。探照灯跡は直径3.5mの円形の掘り込みが2段に掘り下げられており,礎石の上に円形のコンクリートの台座が据えてあります。台座にはボルトが6か所あります。周囲からは昭和19年12月製造の四式電話機のラベルが出土しています。これらは海軍の国分第一基地に関わる施設の一部であると考えられます。
知覧飛行場跡(南九州市)の調査で,排水施設と考えられるコンクリート製溜枡とそれに繋がる土側溝2条が検出されています。溜枡は,上幅約4m,底幅約70cm,深さ約1.6mの台形断面で,コンクリートの厚さは約8cmで,不揃いの玉砂利が用いられ型枠痕が見られないことから,現場打ちによって構築されたと考えられます。これらの施設は終戦直前の昭和20年7月22日米軍の偵察機が上空から撮った写真でも存在が確認できます。また,周辺からは明治から昭和初期にかけて鋳造された貨幣,統制食器,ガラス瓶,碍子その他が出土しています。
海軍 | |||
出撃基地 | 出撃隊員 (未帰還機含) |
機数 (未帰還機含) |
備考 |
鹿 屋 | 832 | 445 | |
串 良 | 334 | 122 | |
国 分 | 354 | 224 | |
出 水 | 41 | 14 | |
指 宿 | 82 | 41 | 古仁屋含む |
鹿児島 | 12 | 1 | |
喜界島 | 19 | 11 | |
合 計 | 1,674 | 858 | |
陸軍 | |||
出撃基地 | 出撃隊員 (未帰還機含) |
機数 (未帰還機含) |
備考 |
知 覧 | 439 | 354 |
※戦争遺跡の調査を報告した埋蔵文化財発掘調査報告書
- 鹿児島県立教育委員会 「西原掩体壕跡」1990
- 鹿児島県立埋蔵文化財センター 「知覧飛行場跡」2017
- 鹿児島県立埋蔵文化財センター 「敷根火薬製造所跡 根占原台場跡 久慈白糖工場跡」 2018
- 南九州市教育委員会 「知覧飛行場跡」 2015,2016
- 出水市教育委員会 2014 『出水市埋蔵文化財発掘調査報告書25:旧海軍出水航空基地 掩体壕 発掘調査報告書』
- 瀬戸内町教育委員会 2017 『瀬戸内町文化財調査報告書第6集:瀬戸内町内の遺跡2』
Ⅵ.負けた戦争の大切さ
近・現代の歴史は戦争と軍隊の存在抜きには語れません。戦争遺跡を保存し活用することの最大の目的は,「過去にこのようなことがあった。二度と繰り返してはならない」と「自分達の身近な地域では過去にこのような人や物の動きがあった。現在はその上に成り立っている」ことを学ぶことであると思います。歴史を見ると人類は勝った戦争よりも,負けた戦争から多くの戦訓や教訓を学んできているようです。
近・現代の歴史は,日本が世界の中で今後どのようにあるべきかという問いに直接答えられる要素を他のどの時代よりも遙かに多く含んでいます。戦争遺跡を保存し周辺の安全管理を行ったうえで,これを積極的に活用していきたいと考えています。
文責 抜水茂樹