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カテゴリー: 推しの逸品

これまでの発掘調査や整理作業で発見・掲載した遺物や遺構の中から,「これは」という「推しの逸品」を担当職員が紹介します。

修復された弥生時代の土器(田原迫ノ上遺跡:鹿屋市)

田原迫ノ上遺跡から出土した弥生時代の土器です。口縁部と突帯の間に,3か所の孔(穿孔)があります。これは「補修孔」と考えられるものです。

紐(ひも)などで穴どうしを結束して,土器のひび割れが広がらないようにしたり,割れ目をつないだりしたと考えられます。

※補修孔は,弥生時代だけでなく,縄文時代などの土器にもよくみられます。

何を研いだのでしょうか?(田原迫ノ上遺跡:鹿屋市)

弥生時代中期(約2100年前)の大型の砥石です。いずれも竪穴建物跡から出土しました。

軟質の砂岩製で,残存長が26~39㎝,幅が12~14㎝,厚さ9~12㎝あります。

鋭利な刃物等の研ぎにも利用されたと考えられています。鉄の道具を研いだのでしょうか?

「バーククロスビーター」って何?(田原迫ノ上遺跡・王子遺跡:鹿屋市)

「バーククロスビーター」とは,樹皮を敲打して布状に加工する道具のことで,日本語でいうと「樹皮布敲石(じゅひふたたきいし)」です。

軟質の砂岩製で,手元を握りやすく加工してあり,先端部を整えて,敲く面として使用されました。

大切に埋められた土器(細山田段遺跡:鹿屋市・大崎町)

縄文時代早期の後半になると埋設土器が出現します。祭祀行為として,特別な場所に意図的に埋められたものと推定されます。

1号埋設土器は,直径34㎝,深さ13cmの穴から,口径24.5cm,器高約20cmの深鉢形の山形押型文土器(約8,000年前)が出土しています

2号埋設土器は,直径24cm,深さ19㎝の穴から,口縁部は欠損していますが,底径は13.8㎝の壺形と推定される塞ノ神(せのかん)式土器(約8,000年前)が出土しています。

細山田段遺跡の埋設土器は,何を目的として埋められたのでしょうか。

埋設土器1号 出土状況

埋設土器1号

埋設土器2号出土状況

埋設土器2号

縄文時代の万能ナイフ(細山田段遺跡:鹿屋市,大崎町)

安山岩でできた石匙です。紐(ひも)を付けて,ぶら下げて持ち運んだと考えられています。皮や肉・骨などの加工や,木や植物を切るのに使われたと考えられています。

縄文時代の万能ナイフといっても良いでしょう。

※325・328・329は縄文時代早期,465は縄文時代後期

日本における導入時期の煉瓦(れんが)(久慈白糖工場跡:大島郡瀬戸内町)

久慈白糖工場跡では,普通煉瓦と耐火煉瓦の2種類が出土しています。

普通煉瓦の一部は,奄美大島で生産された可能性が高く,日本の煉瓦の歴史を考える上では,とても重要な発見です。

耐火煉瓦は,「STEPHENSON」の刻字のあるイギリスもしくはイギリスの植民地で製造されたとものと,「COWEN」の刻字のあるイギリスのJコーウェン社製造のものと考えられています。

発掘調査で見つかった煉瓦

奄美大島で生産された可能性が高い普通煉瓦

輸入された耐火煉瓦

 

女学校の実習用具?(本御内(もとおさと)遺跡:霧島市)

国分高校の前身である,国分高等女学校のゴミ捨て穴(昭和初期)から見つかりました。『火熨斗(ひのし)』と言われ,鍋部分に火のついた炭を入れて,その熱で布を伸ばす,現在で言うアイロンです。

柄の部分は無くなっています。鍋部分の大きさは約16cm,高さ8cmです。電気アイロンが普及し始めた頃で,古かったこの道具は捨てられたのでしょうか?

生徒たちが一生懸命アイロンがけをした授業の様子が想像されます。

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(199)「本御内遺跡」
https://www.jomon-no-mori.jp/wp-content/uploads/2019/05/H46001-2-0199.pdf

昭和初期のガラス製薬瓶(本御内(もとおさと)遺跡:霧島市)

本御内遺跡を調査中に,国分高校の前身である国分高等女学校(1923~1948)のゴミ捨て穴から,高さ約14cm,底の直径約5cmのガラス製の薬瓶が見つかりました。

薬瓶の表面には『鵜木醫(医)院』と表記されています。こちらの病院は,今も国分高校近くに所在します。

薬容器や現在まで続く病院の歴史を理解することができ,生徒を看病した様子なども想像できる資料です。

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(199)「本御内遺跡」
https://www.jomon-no-mori.jp/wp-content/uploads/2019/05/H46001-2-0199.pdf