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カテゴリー: 推しの逸品

これまでの発掘調査や整理作業で発見・掲載した遺物や遺構の中から,「これは」という「推しの逸品」を担当職員が紹介します。

見事に復元された土器(川骨遺跡:薩摩川内市)

川骨遺跡の発掘調査では,弥生時代後期後半から古墳時代初頭にかけての土器集中遺構が13か所見つかりました。

土器はそこに集めて割ったのか,ばらばらの状態で見つかりましたが,その多くをもとの形に復元することができました。

接合・復元した職員の努力の成果が見て取れます。

土器集中出土の様子(一部)
復元された土器

 

「かつてその先は・・・」(天保山砲台跡:鹿児島市)

天保山砲台は,嘉永3(1850)年に築かれました。文久3(1863)年の薩英戦争では,この砲台が火ぶたを切りました。
埋蔵文化財センターでは,2011年に,多くのトレンチ(試掘坑)を設定して発掘調査を行いました。
その中の一つから,「荷揚場」の石畳が見つかりました。
石畳の先は,現在埋め立てられて駐車場になっていますが,かつては甲突川河口でした。ここから様々な品物が届けられていたのでしょう。

【何を作っていたのかな? 中世の畑の跡(狩俣遺跡:曽於市大隅町)】

狩俣遺跡において,古代から近世にかけての畑の畝(うね)跡が多く見つかりました。

写真で掘り込まれている部分が,畝と畝の間です。畝部については,後世において削平されたり,押しつぶされたりしたのか,確認できませんでした。どのような作物を育てていたのでしょうか?

「物原(ものはら)」(平佐焼窯跡群:薩摩川内市)

窯跡には,陶磁器を作るときに焼成に失敗し,商品にならないものをまとめて捨てる場所があり,それを「物原(ものはら)」といいます。

平佐焼窯跡群の発掘調査でも,工房跡とともに,この「物原」が見つかりました。多くの失敗作が捨てられていたこの「物原」には,陶磁器が地層のように重なっていて,発掘調査における大変重要な情報源になっています。

当時の職人たちは,失敗作が後世,大事に扱われるとは思いもしなかったことでしょう。

調査で見つかった物原

陶磁器が地層のように重なっています

 

「拡散希望! 弥生時代の木製品」(六反ヶ丸遺跡:出水市)

弥生時代の用途不明の装飾木製品です。樹種はイスノキで,全面に丁寧な加工が施されており,突起部分の間は磨きがなされています。

先端部は薄く削られており,刀身状になっています。その下部には,4条の段が削り出されており,装飾性が非常に高いものです。

先端部には,糸を巻き付けたような痕(あと)が両縁に二か所ずつあり,何かに結びつけて使う付属品の可能性が高いです。

類例や詳細を知るために,できるだけ多くの方に見ていただけるよう,この投稿をシェアしていただければありがたいです。

石が積つまれた遺構(尾付野山遺跡:さつま町)

峠の最頂部において,「塚状積石」と呼ばれる遺構が発見されています。峠の最高地点を切り通すときに出た石を積み上げたものと考えられています。

時期や用途が不明ですが,類例から,中世以降で,境界を表す機能や街道に関わる峠の祭祀遺構の可能性があるようです。

峠を通るときの無事を祈ったのでしょうか?