最新の分析から分かったこと(2)小牧遺跡(鹿屋市)
最新の分析から分かったこと(1)牧山遺跡(鹿屋市)
縄文土器の表面についたくぼみ(圧痕(あっこん)と呼びます)から,植物種子や昆虫の痕跡を探す研究が行われています。鹿児島をはじめ,九州地方の縄文時代後期・晩期の遺跡から出土した土器に,コクゾウムシの圧痕が発見されており,イネが縄文時代後期頃(約3,000年前)に朝鮮半島から伝わった証拠とされていました。
しかし,種子島にある三本松遺跡で,縄文時代早期(約9,500年前)の土器からコクゾウムシ圧痕が発見され,縄文人が貯蔵したドングリなどを食べていた害虫であることが分かりました。コクゾウムシはイネとともに日本に侵入してきた外来種ではなく,古くから日本列島に住み着いていた在来種であることが分かりました。
上野原縄文の森では,牧山遺跡の縄文時代の土器の圧痕を見ることができます。また,コクゾウムシのレプリカ(50倍)を見ることができます。
《引用・参考文献》
コクゾウムシと縄文人 世界最古の貯蔵食物害虫の発見
熊本大学国際人文社会科学研究センター
小畑 弘己
発掘調査報告書から「八重石遺跡」(西之表市)
八重石遺跡は,西之表市馬毛島中央部の最高地点である岳之越から約400m東,標高約40mの段丘面に位置する,縄文時代草創期から縄文時代晩期にかけての遺跡です。
発掘調査では,県内で最南端と考えられる連穴土坑1基が検出されたほか,縄文時代草創期と考えられる局部磨製石鏃,縄文時代早期前葉と考えられる条痕文土器や磨製石斧など複数 の石器が出土しました。
また,縄文時代晩期の黒川式土器と考えられる土器も出土しました。
これらの発掘調査の成果は,当該地域の縄文時代草創期から縄文時代晩期の生活をとらえる上で,貴重な資料となります。
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(234)「八重石遺跡」(PDF)
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【発掘調査報告書から「二子塚B遺跡」(曽於市大崎町)】
二子塚B遺跡は,曽於郡大崎町に所在する遺跡です。今回の発掘調査では,縄文時代早期から近代にかけての遺構・遺物が検出されました。
縄文時代早期では,竪穴建物跡が1軒,集石が12基など,多様な遺構が検出されました。竪穴建物跡は北端の区で検出され,そこに縄文時代早期の生活根拠地があったことがうかがえます。また,最南端の区では,早期後葉の埋設土器が1基検出されたことが特筆されます。
縄文時代後・晩期から弥生時代では,調査区の北側で竪穴建物跡が2軒検出されました。竪穴建物跡からでた資料をはじめ,縄文時代後期後葉の中岳Ⅱ式土器などの多様な遺物は,土器研究の新たな資料となることが期待されます。
古墳時代では,竪穴建物跡が3軒検出されました。竪穴建物跡から出た資料は,宮崎平野からの文化的影響がうかがえ,当該期の南九州の関係性を探る上で,貴重な資料となることが期待されます。
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(233)「二子塚B遺跡」(PDF)
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鹿児島空港ギャラリーパネル展
6月3日,鹿児島空港3階のギャラリーフレンドリーに,鹿児島県立埋蔵文化財センターと上野原縄文の森の紹介パネルを展示しました。
6月27日まで展示しています。
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発掘調査報告書から「久保田牧遺跡3」(鹿屋市吾平町)
久保田牧遺跡は,鹿屋市吾平町麓に所在する,縄文時代早期から中世にかけての複合遺跡で,今回「縄文時代前期中葉から古墳時代編」を刊行しました。
遺構は,縄文時代前~中期・後期・晩期~弥生時代にかけての土坑や落とし穴・集石遺構などが検出されました。
遺物は,土器が曽畑式土器・深浦式土器・野久尾式土器・船元Ⅱ・Ⅲ式土器・丸尾式土器・中岳Ⅱ式土器・黒川式土器・刻目突帯文土器,石器は打製石斧や打製石鏃・石匙などが多く出土しています。
また,古墳時代の竪穴建物跡からは多くの成川式土器が出土しており,土器棺や土器溜まりも検出されました。これらの遺構・遺物は大隅半島の当時の様子を知る上で貴重な資料となります。
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(232)「久保田牧遺跡3」(縄文時代前期中葉~古墳時代編)(PDF)
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発掘調査報告書から「鹿児島城二之丸跡」(鹿児島市)
鹿児島城二之丸跡は,鹿児島市城山町に所在し,近世から近代にかけての遺構や遺物が発見されました。
遺構は,近世の柱穴列や溝状遺構が発見され,なかでも,柱穴列は境となる塀の可能性があり,築城以降,二之丸を拡大し整備していった当時の状況を知る上で重要な資料になることも期待されます。
遺物は,薩摩焼をはじめ,近世の瓦や陶磁器,木製品等を中心とした資料が出土し,なかでも,将棋盤と考えられる木製品が土坑の中から出土しました。17世紀後半以降の将棋盤と考えられ,全国でも数例しかない,貴重な発見となりました。鹿児島でも将棋が親しまれていた証であり,鹿児島城や城下の人々の暮らしや文化を示す貴重な資料と言えます。
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(231)「鹿児島城二之丸跡」(PDF)
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家野遺跡(志布志市)の発掘調査を開始しました
令和7年5月,家野遺跡(志布志市志布志町)の発掘調査を開始しました。今回の調査は,遺跡の時代や範囲を確かめる「確認調査」です。「トレンチ」という試し掘りの穴を長方形に掘っていき,遺構や遺物の出土状況を確認していきます。
5月12日から調査を開始し,すぐに多くの遺物がトレンチから見つかりま した。確認調査は5月末までの予定で,調査の成果次第で,遺跡の全面を掘り下げて調査する「本調査」に移行します。
これからも調査の様子を紹介していきますので,成果の続報にご期待ください。
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発掘調査報告書から「中組遺跡」(天城町兼久)
中組遺跡は,大島郡天城町兼久に所在しています。令和5年度に,発掘調査を実施し,中世から近世・近代にかけての遺構や遺物が発見されました。
遺構は,近世以降と思われる溝状遺構や柱穴などが発見されました。また,近現代の石垣基礎も検出され,この地域の土地利用を研究する上で貴重な資料になることが期待されます。
遺物は,中世の青磁やカムィヤキなどが出土し,古くから周辺で生活していたことを示す手がかりとなりました。
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(230)「中組遺跡」(PDF)
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発掘調査報告書から「高橋貝塚2」(南さつま市金峰町)
高橋貝塚は,鹿児島県南さつま市金峰町高橋に所在し,万之瀬川の支流堀川右岸の河岸段丘上にある貝塚です。
南九州における弥生時代前期を代表する貝塚で,弥生前期の高橋式土器の標式遺跡でもあります。出土するゴホウラなどから南島と西北九州の弥生貝交易の中継地として注目されてきました。
本遺跡は1949(昭和24)年に発見されましたが,1961(昭和36)年に田布施小学校の辻正徳氏の情報から,1962(昭和37)年8月に金峰町教育委員会が調査委員会をつくり,河口貞徳氏らによって再度,発掘調査が行われました。
調査の結果,貝塚のほかにも,住居跡や土坑などが見つかりました。また,縄文時代晩期の夜臼式土器,弥生時代前期の高橋Ⅰ式・Ⅱ式土器,板付Ⅰ式・Ⅱ式土器や,石器,骨角器,貝製品などが出土しています。
また,文化庁主催の「発掘された日本列島2025展」(外部リンクリンク)で展示されます。
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(229)「高橋貝塚2」(PDF)
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