縄文時代後期(約4,000年前)の器台状の土器です。指宿式土器ですが,この二つの土器は,胎土・色調・焼成等から,本来は同一個体(一つの土器)だったと考えられます。
外側に文様が巡る,かなり装飾性の高い土器です。何かを乗せたり,真ん中の穴に何かを挿したりして使っていたのでしょうか。
みなさんは,どのように使っていたと思いますか?
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(217)「中津野遺跡 低地部・低湿地部編」第1分冊,第2分冊,第3分冊
縄文時代後期(約4,000年前)の器台状の土器です。指宿式土器ですが,この二つの土器は,胎土・色調・焼成等から,本来は同一個体(一つの土器)だったと考えられます。
外側に文様が巡る,かなり装飾性の高い土器です。何かを乗せたり,真ん中の穴に何かを挿したりして使っていたのでしょうか。
みなさんは,どのように使っていたと思いますか?
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(217)「中津野遺跡 低地部・低湿地部編」第1分冊,第2分冊,第3分冊