鎌倉時代の紀伊(今の和歌山県)産土師質釜の出土の南限は,上ノ村遺跡(高知県土佐市新居)でしたが,永吉天神段遺跡の出土品は,国内の南限を新たに塗り替えるものになりました。
さらに,紀伊型釜は広域流通品ではないとされていますが,なぜか遠く離れた鹿児島の大崎町で出土しています。
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(17) 「永吉天神段遺跡3 第2地点-2」
掲載番号393
鎌倉時代の紀伊(今の和歌山県)産土師質釜の出土の南限は,上ノ村遺跡(高知県土佐市新居)でしたが,永吉天神段遺跡の出土品は,国内の南限を新たに塗り替えるものになりました。
さらに,紀伊型釜は広域流通品ではないとされていますが,なぜか遠く離れた鹿児島の大崎町で出土しています。
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(17) 「永吉天神段遺跡3 第2地点-2」
掲載番号393