虎居城跡に,「八女壇(やめだん)」と呼ばれる曲輪があります。
長禄3年(1459年)に城主渋谷氏の息女が船遊びをしていたところ溺れてしまい,付き添いの女中7人とともに亡くなって,場内にあった寺に葬ったという事件があったそうです。「八女壇」の由来も,この事件から来ているようです。
その曲輪に,現在は崩れていますが,石塔があります。石塔には,「宝徳二年 義先仁公座□ 二月 二十二□」と記銘があります。
年代は近いですが,伝承との関わりは現在のところ不明です。
虎居城跡に,「八女壇(やめだん)」と呼ばれる曲輪があります。
長禄3年(1459年)に城主渋谷氏の息女が船遊びをしていたところ溺れてしまい,付き添いの女中7人とともに亡くなって,場内にあった寺に葬ったという事件があったそうです。「八女壇」の由来も,この事件から来ているようです。
その曲輪に,現在は崩れていますが,石塔があります。石塔には,「宝徳二年 義先仁公座□ 二月 二十二□」と記銘があります。
年代は近いですが,伝承との関わりは現在のところ不明です。