- 上野原遺跡発掘30周年
-
集落が営まれた時代
~縄文時代早期前葉(約9,500年前)~上野原台地の北東側に位置する地点は,「南九州地域における定住化初期の様相を典型的に示す大集落で,日本列島の縄文時代の開始期を知る重要な遺跡」として,平成11(1999)年1月14日に国の史跡に指定されました。
縄文時代早期前葉(約9,500年前)の上野原遺跡は,貝殻文をもつ円筒形や角筒形の土器を使った人々が生活した遺跡です。この頃の県外の遺跡では,10軒の竪穴住居跡が見つかれば大遺跡と言われるところですが,上野原遺跡では52軒の竪穴住居跡が見つかりました。また,2条の道跡 ,調理施設である39基の集石遺構や16基の連穴土坑,それに約270基の土坑が集落を構成していたことがわかりました。
さらに,竪穴住居跡や連穴土坑が廃棄されて自然に埋まっていく途中で,桜島の噴出物であるP13火山灰が堆積しており,このP13火山灰を年代測定した結果,約9,500年前という年代が得られたことから,それよりも古い集落跡であることが判明しました。竪穴住居跡 連穴土坑 縄文時代早期前葉遺構検出状況 -
現在,鹿児島県内では,上野原遺跡のように定住化初期の様相を示す遺跡として加栗山遺跡,前原遺跡(ともに鹿児島市),建昌城跡(姶良市),定塚遺跡(曽於市)など18遺跡が見つかっています。(住居跡が見つかっていない遺跡は除く。)
その中でも特に,平成17年度に発見された定塚遺跡(曽於市)からは,97軒の竪穴住居が発見されました。これらの遺跡の発見により,南九州地域が,他県に比べていち早く定住化していたことが再確認されました。(表1参照)
上野原遺跡は,今なお縄文時代早期前葉における県内最古・最大級である大規模集落跡の代表的存在であることは変わっていません。上野原遺跡出土の土器
(円筒形,角筒形,レモン形) -
表1 縄文時代早期前葉(約9.500年前)の竪穴住居が見つかっている遺跡 【参考・引用文献】鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書(153)『定塚遺跡』第4分冊 -
(上)定塚遺跡遺構検出状況
(右)前原遺跡出土の土器
(国の重要文化財に指定:2012年)
(円筒形,角筒形,レモン形)定塚遺跡出土の土器
(円筒形,角筒形,レモン形)定塚遺跡遺構検出状況 -
1 縄文時代早期前葉(約9.500年前)の竪穴住居が見つかっている遺跡の位置図(PDF) 2 縄文時代早期前葉(約9.500年前)の竪穴住居が見つかっている遺跡一覧表(PDF)