- 上野原発掘30周年
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「双子壺」 上野原台地の南東側に位置する区域の最も高い場所からは,対で発見された壺形土器をはじめ11基の土器埋納遺構が見つかっています。この場所で,マツリが行われたと考えられています。一般的に弥生時代になってから使われるようになる壺形土器が,5,000年以上もさかのぼる約7,500年前にすでにつくられていたことも明らかになりました。
現在,上野原遺跡の成果から,同じ時期の壺形土器の出土例が増えつつあります。約7,400年前の遺跡である城ケ尾遺跡(霧島市)からは,埋納された壺形土器が,ほぼ完全な形で3個体出土していますが,上野原遺跡のような「双子壺」(2つの壺形土器が並んで出土)の出土例を示す遺跡は,まだありません。2個並んで埋められていた壺形土器(「双子壺」) 「双子壺」とその周囲から出土した
壺形土器縄文時代早期後葉(約7.500年前)の遺物出土状況(●は「双子壺」の出土位置) -
表4 縄文時代早期後葉の壺形土器が見つかっている遺跡 【参考・引用文献 】新東東晃一 2003「縄文時代早期の壺形土器出現の意義」『年報・紀要 縄文の森から』創刊号 鹿児島県立埋蔵文化財センター 上野原遺跡の今 上野原遺跡の早期前葉(約9,500年前)と早期後葉(約7,500年前)の主な発掘調査成果を,近年県内各地で発掘調査された同時期の遺跡の調査成果と比較しながら,30周年を迎えた「上野原遺跡の今」について紹介しました。
上野原遺跡は,これまでの縄文時代の遺跡では知り得なかったことを数多く含み充実したものであること,縄文時代早期の時代に南九州で多彩な縄文文化が花開いたこと,そして,日本列島における縄文文化の成り立ち,発展を知る上で貴重な遺跡であることは,発掘調査から30年経った今でも変わることはありません。 -
1 縄文時代早期後葉の壺形土器が見つかっている遺跡の位置図(PDF) 2 縄文時代早期後葉の壺形土器が見つかっている遺跡一覧表(PDF)