南の縄文調査室から平成25年10月
南の縄文調査室から平成25年9月
9月17日,「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」がユネスコの世界文化遺産へ推薦されることが 埋文センターでは,2011年に,今回推薦される |
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出土した耐火レンガ | 調査時の鹿児島紡績所跡 | 2階廊下に展示中です |
南の縄文調査室から平成25年8月
ただ 今,南の縄文調査室は, 9月13日(金)から始まる第37回企画展の さて,左下の写真は,企画展に展示する「 また,真ん中の写真は,今回の企画展で紹介する遺跡の このほかにも展示する 企画展は,おとなりの上野原縄文の森で |
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でき具合はぜひは企画展で! | 並べてレイアウトを検討中です | 静かに出番を待ちます… |
南の縄文調査室から平成25年7月
県立埋蔵文化財センターには,館内展示スペースとして,エントランスの展示コーナーと,館内6カ所の また,館内6カ所の掲示板もリニューアル。1階の掲示板では,今年4月に もうすぐ夏休み。埋蔵文化財センターでは館内展示を |
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エントランスの新しい展示ケース | 1階掲示板「調査センター発足」 | 2階掲示板「東北だより」 |
平成25年7月18日(木)
この
南の縄文調査室から平成25年6月
サテライト
今回は,かごしま県民交流センターで 県民交流センター2階ロビーにて,県立埋蔵文化財センター,上野原縄文の森,そして本年度から新たに このサテライト展示,かごしま県民交流センター2階で6月6日(木)まで |
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サテライト展示の模様 |
南の縄文調査室から平成25年5月
上野原縄文の森には,「 しかし,地面の土はそのままにしていると, そこで,この2つの施設では,毎日,温度と湿度の環境調査を行い,その日の環境に合わせて |
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環境調査記録ノート | 地層観察館 | 遺跡保存館 |
環境データの一例(遺跡保存館,4月) | ||
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平成25年5月24日(金)
メッセージありがとうございます ~まいぶんキット
埋蔵文化財センターでは, 先日,まいぶんキットをご活用いただいた霧島市立 日当山小学校のみなさん!本当にありがとうございました。またの |
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日当山小学校の6年生のみなさんからのメッセージ |
南の縄文調査室から平成25年4月
- 平成25年4月18日(木)
- 企画展潜入リポート 〜まもなく第36回の企画展が始まります〜
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みなさんこんにちは,リポーターのタマリです。ここは,上野原縄文の森展示館の企画展示室です。ただいま,縄文の森の職員が 慌 ただしく企画展の準備を行っています。わたしは,この準備作業に関係者を装 って潜入 中です。今回は,19日から始まる企画展「巨大噴火と共に生きた人々」の直前情報をお届けしたいと思います。
まず,展示室に入ると,いきなり大きな日本地図が飛び込んできます。近くに3D眼鏡 が置いてありますので,どうやら立体地図のようです。いったい何が浮き上がってくるのでしょうか。左側の壁には,桜島大正噴火の模様を写した写真が展示されています。刻一刻 と姿を変える100年前の桜島の姿がカメラにおさめられています。正面には大正噴火で埋まった古道の剥 ぎ取り資料がどーんと展示されています。幅3mはあろうかと思われる道跡が大正噴火の火山灰で埋まっています。
奥の方に進んでみましょう。ウォールケース内にはおびただしい数の土器が展示されています。巨大噴火によって埋められた土器が年代順に並べられています。約38,000年前の種Ⅲ 火山灰噴出から大正噴火までの火山活動とそれらの時代を生きた人々の営 みを,石器や土器の変遷 で紹介しようという意欲的な展示です。「巨大噴火」のタイトルに恥 じないスケールの大きさです。
室内をぐるっと見回してみましょう。壁には高さが優に3mを超える大きな地層剥ぎ取り資料が2つ。滅多 にみることのできない実際の地中の様子を間近にみることができます。河口コレクションの火山関係資料も同時開催される模様です。2つの大きな軽石製の陰陽石 がひときわ目を引きます。
おっと,学芸員が近づいてきました。見つかってしまったようです。今回の潜入リポートはここまです。すべてをお伝えできなかったのがで残念ですが,今回の企画展も見どころ満載 のようです。以上,現場から,リポーターのタマリがお伝えしました。
それでは,スタジオにお返します。立体写真です。3D眼鏡でどうぞ。 さしずめ現代の週刊誌でしょうか。 下原遺跡(志布志市)の資料です。 鹿児島の火山史が一望できます。 巨大な地層の剥ぎ取り資料です。 河口コレクションも同時公開です。
- 平成25年4月23日(火)
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奄美復帰 60年に思いをよせて… ~初出土から75年の市来式土器 を展示中~
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写真の土器は,いちき串木野市の市来 貝塚 から初めて出土したので,「市来式土器」と命名 されました。今からちょうど75年前のことです。この市来式土器は縄文時代後期(約3,500年前)に九州南部で作られた土器ですが,奄美群島 や沖縄県 でも数多く出土しています。このことは,縄文時代から本土 と南西諸島 の人々の間に交流があった証 です。
土器の赤い地肌が,南西諸島のサトウキビ畑の土の色を想 わせるのは,私だけでしょうか?縄文の遥 か昔から人々の結びつきは現代まで脈々 と受け継がれてきています。奄美群島本土復帰60年の今年,一時期とはいえ占領下 に置かれた奄美の人々に思いをはせながら,この赤い市来式土器を選んでみました。
南の縄文調査室から平成25年3月
- 平成25年3月6日(水)
- これで
刺 されたら痛 いかも…~剥片尖頭器 ほか~
レモン形土器にかわって,2階展示ケースに登場したのは,旧石器時代(およそ25,000年前)の剥片尖頭器 などの石器です。当時の人々はこれらの石器を棒 の先につけて,オオツノジカなどの獲物 をしとめていたのではないかと考えられています。石器の刃はかなり鋭 くとがっていて,これで刺されたオオツノジカはさぞかし痛かったことでしょう。
鋭く加工された刃先には,「オオツノジカよ,待ってろよ」という執念 さえ感じられます。ぜひ,旧石器時代の人々の生きる術 を感じていただきたいと思います。 -
- 平成25年3月8日(金)
思わず食べてしまいそう ~明恵の接合日記~
- ずいぶん日にちがたってしまいましたが,みなさんあの茶釜のこと覚えていらっしゃいますか?あの茶釜,あのあとずいぶんと大きくなって,写真のように立派に成長しました。どうです,この丸い底!まるで「ベビーカステラ」のようです。思わずナデナデしてしまいました。
ふたの部分もぴったりとくっつきます。内側もしっかり釉 がかけてあって,丁寧 に焼かれたことがわかります。さすが殿様御用達 の窯だけのことはあります。う~ん,実にいい仕事してます。
さて,食べ物つながりでなんですが,冷水窯 の遺物の中から,月日貝 にそっくりな鉢の破片が見つかりました。つりの大好きなO 係長は,破片片手に「月日貝は,刺身 でも,焼いて醤油 をたらしてもおいしいんだ。ひもの部分からいいダシが出るんだよ。」と熱弁 をふるっていました。それくらい精巧 に貝を模 して作っています。
さて,次はどんな食べ物,いや,どんな破片が見つかるのか,まだまだ私の接合日記は続きます。 -
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- 平成25年3月18日(月)
「あわび」か「とこぶし」か,それが問題だ!~明恵の接合日記~
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- 冷水窯の破片の中から,写真のような皿の破片を見つけました。「あわび」か「とこぶし」をモデルにしていると思うのですが,いったいどちらなのでしょう。
ところで, 「カツオブシ」は「勝男武士 」と漢字をあてて,戦国時代の武士の間で縁起物 として重用 されていました。調べてみると,「あわび」も,「のしあわび」を「打ちあわび(あわびの肉を打って薄くのばしたことから)」とよんで,お祝いに贈っていたそうです。
「とこぶし」にも「武士」がつくからいいかな,でも「床武士 」って縁起悪いよね,なんて考えながら,破片を接合していくと,皿の表面に4つの突起 があることがわかりました。これで皿のモデルが「あわび」であることがはっきりしました。「あわび」の殻 の表面には4~5個の突起があるのです。
この「あわび」の皿も,「カツオブシ」と同じように,武運長久 の縁起物だったのかもしれませんね。
さて,わたしの謎解きはまだまだ続きます。 -
皿の外側 皿の内側 突起が4つ(長いのは脚 です)
南の縄文調査室から平成25年2月
- 平成25年2月14日(木)
これでチョコを送ったのかな?!~明恵の接合日記~
今日2月14日は,バレンタインデーですね。先日,いつものように接合作業をしていたら,バレンタインデーにぴったりなものを見つけました。なんと,逆ハート形の透かし彫りの入った冷水窯の陶片です。
おそらく鉢(向付 )と思われますが,当時の陶工たちは,この透かし彫りの形がハートだとはわかっていなかったでしょう。でも,現代の私たちが見ても,「かわいい」と思えるようなデザインの鉢です。
島津のお姫様たちも,この鉢の上にチョコをのせて,殿方に送っていたのかな…,なんて考えながら,ぴったり合う陶片を探しています。さて,運命の陶片はいずこに?!-
- 平成25年2月6日(水)
どんな形になるのやら… ~「明恵の接合日記」始めます~
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埋蔵文化財センターでは、縄文時代から近世までのさまざまな種類の土器,陶磁器の接合 作業を行っています。その一つに竪野冷水窯跡 から出土した大量の薩摩焼の接合作業があります。
竪野冷水窯跡は,江戸時代の薩摩焼古窯の一つで,藩主やその一族などの上級武士が使用する茶道具や日常品を製作し,一般的に「白薩摩」と呼ばれる陶器を多く焼いた窯として知られています。
写真の薩摩焼の破片は,接合作業が始まるまでは「壺」の破片と考えられていましたが,いざ作業を始めてみると,つまみの部分のある破片とぴったりくっついたのです。今まで「壺」の一部だとばかり思っていた破片が,なんと「茶釜」の破片だったのです。
土器の破片を接合をしていると,思ってもみなかった形になることがあります。それは,まるでパズルを解いているようです。「へぇ,こんな形だったんだ」「よくくっついたな」など,新たな感動や発見を得られることが,接合作業のおもしろいところです。
「明恵の接合日記」では竪野冷水窯跡の接合作業の様子を随時紹介します。この茶釜,いったいどんな形になるのか,わたくし「明恵」と一緒に接合のおもしろさを味わっていただけるとありがたいです。
接合前「壺」の一部と思われていた破片 接合作業の様子
(カーソルを置くと,別の破片がくっつきます)
南の縄文調査室から平成25年1月
- 平成25年1月28日(月)
- ただ今,レモン形土器展示中! ~遺物の展示ケースを新設しました~
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センター2階の南の縄文調査室前に,遺物の展示ケースを設置 しました。今月は,上野原遺跡で出土した縄文時代早期(約9,500年前)のレモン形土器を展示中です。
この土器は,貝殻 の縁 を押し当てた文様 とくさび形の粘土を貼り付けた装飾 が特徴 で,上から見るとレモンのような形をしています。
ただ今開催中の第35回企画展では,前原 遺跡出土のレモン形土器(国指定重要文化財)を展示中です。ショーケースの展示遺物と合わせて,レモン形土器の不思議な形をお楽しみください。ショーケースの展示遺物は毎月入れ替えます。こちらもお楽しみに! -
展示中のレモン形土器 上から見たところ - 平成25年1月24日(木)
センターのロビーに「礫群 」の実物を展示 中です
センターの入り口を入ると,縄文時代の「落し穴」のあとを地層ごとはぎとったものや,奄美大島で使われていた丸木舟の実物を展示しています。
ここに,旧石器時代の礫群の実物を展示中です。これらの礫群は,榎崎 B遺跡 (約15,000年前,鹿屋市),前原和田遺跡(約24,000年前,霧島市),桐木耳取 遺跡(約24,000年前,曽於市)で発見された遺構 をそのまま切りとってセンターに移設 したものです。
礫群は,旧石器時代の人々が石蒸 し料理や土器のない時代の煮炊 きをしたあとではないかと考えられています。
浅 い穴の中で石を焼き,その焼けた石の中に葉でつつんだ魚や肉,イモなどを入れ,上から土をかぶせて,しばらくおくと,おいしい蒸し焼き料理のできあがりです。
また,動物の皮を敷 いた穴の中に水を入れ,その中に焼いた石を投げ込んで煮炊きをしたりお湯をわかしたりしたのではないかとも考えられています。
さて,旧石器時代の人々はどんな想 いでこの礫群を囲んでいたのでしょうか。
落し穴と丸木舟 展示中の礫群