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第10回 土器はタイムカプセル~圧痕から分かること~

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Ⅰ はじめに -圧痕とは何か?-

 遺跡を発掘して,最も多く見つかる遺物が土器です。土器の表面をよく見ると,穴が空いていることがあります。実はその穴は,土器作りの過程で植物の種実や昆虫・貝などが粘土の中に混入し,土器を焼成した際に焼け落ちて空洞になったものです。このように,穴やスタンプとして残っている痕跡を「圧痕(あっこん)」と呼びます。

 

 私たちの身の回りは,植物や昆虫,動物,その加工品であふれています。かつての人々はより自然に近い生活をしていたので,現在とは比べものにならない程多くの植物や昆虫が身の回りに存在したはずです。では,遺跡を発掘してみるとどうでしょうか。ほとんどの植物や昆虫は,長年地中に埋まっていたことで分解され,ほとんどは消滅してしまいます。遺跡で有機質のものが残るためには,火を受けて炭化しているか,低湿地や乾燥地などの稀な条件下でなければならず,通常の遺跡では,かつて存在したはずの資料の多くが,実は失われているのです。
 ここで活躍するのが,圧痕です。圧痕のもととなる植物等は,土器を作っている時にしか入ることはありません。つまり,土器を作っている瞬間にその場に存在していたものが“型”として記録されているのです。まさに,土器は当時の植物や昆虫の姿を伝えてくれるタイムカプセルと言えます。

 

Ⅱ 圧痕調査は第2の発掘

 圧痕の存在は,1980年代にはすでに論文でも取り上げられ,特に弥生土器に残るイネ籾の圧痕は,稲作の証拠として注目されてきました。当時から,圧痕を何とか立体的に復元して観察しようと,石膏やガラスをはめるパテ,和紙を細かくしたものなど,様々な素材が試されました。1991年,「レプリカ法」というシリコーン・ゴムを用いて型取りする手法が提唱されました(丑野・田川1991)。これ以降,歯科用や模型用のシリコーン・ゴムを用いた型取り方法が一般的になりました。この手法によって,より鮮明に型取りできるようになり,作製したレプリカを走査型電子顕微鏡(SEM)で観察することで,さらに細かい分析が可能となりました。先ほど写真で挙げた土器のレプリカとSEMの画像が下です。表面の凹凸や網目状の構造などがよく分かり,現生資料と比べることで何の種子であるかが同定できます。

 圧痕は,当初,イネ籾の圧痕のように,偶然見つかったものだけが着目されてきました。2000年代に入り,遺跡から出土する土器を破片の大きさや部位に関わらず全て観察する「悉皆(しっかい)調査」が開始されました。その結果,これまで見つかっていなかった種実や昆虫類が数多く発見されたのです。
 圧痕調査は,多量の土器を一つ一つ手にとって,表面をくまなく探す,一見すると地味で根気のいる作業です。しかし,その学術的成果は大きく,新たな歴史的事実が多く発見されました。圧痕調査は,これまで発掘された膨大な資料を新しい視点で見直す契機にもなるため,「第2の発掘」(小畑2016b)とも呼ばれています。

 

Ⅲ 圧痕から見える縄文時代の暮らし

 圧痕調査は,縄文時代~近世までの幅広い時代の焼き物を対象に行われています。圧痕で見つかる植物や昆虫は,食用・薬用などの有用植物やいわゆる害虫など,人間の身近な植物・昆虫相が多いということが分かってきています。
 ここでは,縄文時代の暮らしぶりを示す研究成果の一部を紹介します。

1 縄文時代のマメ栽培

 ダイズやアズキは,日本人に身近な植物です。かつて,ダイズやアズキは中国大陸から伝播したものと言われていました。ところが,縄文土器からダイズやアズキの圧痕が見つかる事例が増え,さらには縄文時代の後半になるにつれて,種実自体が大きくなる傾向が見えてきたのです。日本には,ツルマメやヤブツルアズキといったダイズ・アズキの祖先野生種が存在します。
 圧痕や炭化物で見つかったマメを研究した結果,縄文人がより大きいマメを獲得しようと,栽培したことが分かってきました(小畑2016a)。九州地方でも,縄文時代後期後葉には現在とあまり変わらないサイズのマメが圧痕で見つかっています。

 日本人は,納豆に醤油,みそ汁に豆腐と,豆製品同士を掛け合わせて使う食文化があります。縄文人はどのような食べ方をしていたのか,気になりますね。

2 縄文人と害虫との関わり

 圧痕調査で検出されるムシの多くは,ダニ,ゴキブリ(卵),シラミなど,現代人にとって聞けばゾクゾクする,いわゆる“害虫”と呼ばれる類です。中でも,最も多く見つかっているのがコクゾウムシです。コクゾウムシは,最近こそ米櫃で見かけなくなりましたが,米を食べる貯穀害虫として知られています。かつて,コクゾウムシは弥生時代に稲作と共に日本にやってきたムシと考えられていました。しかし,2010(平成22)年に衝撃的な発見がありました。
 種子島西之表市に所在する三本松遺跡の縄文時代早期土器から,コクゾウムシの圧痕が7点見つかりました。後の研究によって,このコクゾウムシは貯蔵食料を加害する世界最古の害虫と評価されました(Obata et al.2011)。

 では,縄文時代の古い頃に生息していたコクゾウムシは米を食べていたのかというと,そうではありません。縄文時代の主要な食糧はドングリです。コクゾウムシは,乾燥したデンプン質に富んだ種子を加害するムシなので,当時縄文人が貯蔵していたドングリやクリを加害していたと考えられます。よって,コクゾウムシの圧痕が見つかるということは,土器作りの場の近くに貯蔵食物があったということであり,当時の暮らしぶりの一部を垣間見ることができます。
 さて,コクゾウムシに対して縄文人が何も対処しなかったのかというと,そうではなさそうです。圧痕調査を進める中で,縄文土器からコクゾウムシ圧痕と共にカラスザンショウの種実や果実がよく見つかることに気づきました。カラスザンショウは,ミカン科サンショウ属の落葉高木樹で,探してみればあちこちにある身近な木です。果実の化学成分を調べてみると,特殊な精油成分が含まれ,それが貯穀害虫の防虫・駆虫に効果があるものであることが分かりました(真邉・小畑2017)。つまり,縄文時代の虫除け剤として,カラスザンショウが使われていた可能性が指摘できます。

 このように,圧痕調査では発掘調査ではなかなか見つけられない小さな植物や昆虫が多く見つかり,その小さな痕跡から当時の生活の一端を復元することができるのです。

 

Ⅳ 隠れ圧痕を探せ! 第3の発掘!

 実は,圧痕は土器の表面に見えているものだけではありません。粘土の中に隠れて表面から見えないものがあり,これらを「潜在圧痕」と呼びます。近年,潜在圧痕を調査するため,Ⅹ線ⅭT装置が導入されています。これらの装置で土器の内部を観察すると,粘土中の空隙が見え,その空隙の形を解析すると,植物や昆虫であることが分かりました。また,圧痕では復元が難しい細かい部位などを確認できます。

 中には,土器の中に数百点ものタネやムシが入った事例が県外で見つかり始め,偶然粘土に入ったのではなく,当時の人々が意図的にタネやムシを混ぜ込んだ可能性が出てきました。このような最新技術を用いた圧痕調査は,まさに第3の発掘(小畑2019)と言えます。

 

Ⅴ おわりに

 私たちにとって身近な植物や昆虫が土器から見つかると,当時の人々とのつながりを感じ,嬉しくなるものです。鹿児島県内には数多くの遺跡が存在します。圧痕調査を進めることで,今まで見えていなかった当時の人々の暮らしが見えてくるかもしれません。
 これからの,第2・第3の発掘にご期待ください。

文責 眞邉 彩

【引用文献】

丑野 毅・田川裕美
1991「レプリカ法による土器圧痕の観察」『考古学と自然科学』24 日本文化財科学会

小畑弘己
2016a『タネをまく縄文人 最新科学が覆す農耕の起源』吉川弘文館
2016b「アッコン(圧痕)とはなにか」『いま,アッコンが面白い!-タネ・ムシ圧痕が語る先史・古代の農とくらし-』熊本大学文学部小畑研究室
2019『縄文時代の植物利用と家屋害虫 圧痕法のイノベーション』吉川弘文館

眞邉 彩・小畑弘己
2017「産状と成分からみたカラスザンショウ果実の利用法について」『植生史研究』第26巻第1号 日本植生史学会

Obata H.,Manabe A.,Nakamura N.,Onishi T.,and Senba Y. 2011 A new light on the evolution and propagation of prehistoric grain pests: the world’s oldest maize weevils found in Jomon potteries, Japan. PLoS ONE