- 縄文の風 かごしま考古ガイダンス
第1回 農業開発総合センター - ■縄文時代晩期の様相■
- 金峰山から東シナ海に目をやると眼下に金峰町と吹上町が接した小高い大野原台地(おおのばるだいち)が開けています。現在,ここでは「食の創造拠点鹿児島の形成」の一環として鹿児島県農業開発総合センターが建設されつつあります。
それに先立って,現在,農業開発総合センター遺跡群の発掘調査が行われています。ここは,23の遺跡が確認され,旧石器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代・古代・中世の遺構や遺物が出土する複合遺跡です。今回は,その中でも縄文時代晩期に注目してみたいと思います。
県内で確認されている縄文時代晩期の主な遺跡としては,加世田市の上加世田(うえかせだ)遺跡・吹上町の黒川洞穴(くろかわどうけつ)・出水市の沖田岩戸(おきたいわと)遺跡・末吉町の入佐(いりさ)遺跡・鹿屋市の榎崎(えのきざき)B遺跡などが挙げられます。 - 【写真 晩期の浅鉢形土器(入佐式土器)出土した時の様子】
- 縄文時代晩期は,今から約3,000年前から2,300年前にあたり,このころになると縄文時代の生活も次第に変化してきました。
- このことは,出土土器から知ることができます。土器には文様が描かれなくなり,形の種類も増え,煮炊き用の深鉢や盛りつけ等に使われたと思われるよく磨かれた薄くて硬い浅鉢等が作られています。これらの土器は時間の推移につれ,上加世田式・入佐式・黒川式土器と変化していきます。
- この後,本格的な水田での米作りが始まる弥生時代を迎えることとなります。
- ■謎の柱穴跡■
- 農業開発総合センター内の遺跡群の中では,諏訪牟田(すわむた)遺跡・諏訪前(すわまえ)遺跡,建石ケ原(たていしがはら)遺跡を中心に縄文時代晩期の遺物や遺構が確認されています。
諏訪牟田遺跡と諏訪前遺跡は,大野原台地のほぼ中央部に,建石ケ原遺跡は東部に位置し,標高約50メートルで,現在,農業大学校の研修棟や学生寮が建設中です。
諏訪牟田遺跡と諏訪前遺跡では,入佐式の土器片や石器等が多く出土しています。中でも緑色の石で作られた管玉(くだだま)・勾玉(まがだま)・丸玉,土製垂飾品(どせいすいしょくひん)は注目されています。また,農工具(鍬)として使用されたのではないかと思われる打製石器も出土しています。 - 【写真 柱穴列/5つの柱穴が並んで検出された。柱穴の深さや埋土を調べるために半分に切っている】
- 遺構としては,柱穴列(柱穴が3~6個一列に並んでいるもの),竪穴住居跡,一間×一間の掘立柱建物跡,焚火跡(たきびあと),土坑,埋設土器などがあります。建石ケ原遺跡では,晩期としては非常にめずらしい道跡と思われる遺構が発見されています。
- 柱穴列は,柱穴3~6個が一列に並んで検出されるものです。諏訪前遺跡と諏訪牟田遺跡で,それぞれ9か所が確認されています。これらは,分布域と並んでいる方向の関係から2つのグループに分けられます。このことは作られた時期差を示すものではないかと考えられます。こうした柱穴列は,全国的にも類例を見ない遺構で,用途については,周辺遺物の状況や同時期の竪穴住居跡が1基しか発見されていないことなどから生活遺構としてとらえ,柱穴の深さからしても居住用の建物としての可能性が指摘されています。
- ■埋設土器と道跡遺構■
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晩期の深鉢形土器(入佐式土器)
埋設された状態で出土したもの
左の埋設土器の埋土を完掘 - 埋設土器は諏訪前遺跡で1基,諏訪牟田遺跡で3基が確認されています。これらは,地面に掘られた穴の中に深鉢形土器を埋めたものです。丁寧に埋められていることや底部が打ち欠かれていることなどから,埋葬に関わる遺構ではないかと考えられています。
道跡遺構は北北東から南南西にかけて弓なり状に130メートル検出され,幅は約3メートル,深さは約30センチメートルの浅い溝状です。底面には硬化面が見られましたが,この硬化面は開聞岳噴出物の灰ゴラで覆われています。この灰ゴラは縄文時代晩期から弥生時代前期頃の噴出物で,埋土からは晩期の遺物が出土していることから,晩期としては非常にめずらしい道跡と考えられます。 - ■農業開発総合センター■
- 農業開発総合センターには,耕種試験研究施設や農業大学校などが整備されています。これからの農業を支える技術や担い手となる人財育成の拠点となっていくところです。
これまでの発掘調査から,この大野原台地では縄文の太古より人々の生活が営まれていたことが分かってきています。先人の息吹を受けながら,次世代に向かって情報を発信していく新生大野原台地の完成も間もなくです。
農業大学校は平成15年春開校,試験研究施設は平成17年度末開設を目処に整備が進められています。 - 用語解説
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土製垂飾品
(どせいすいしょくひん)土(粘土)で作られた特殊な形をした小型のもので,穴が開いていることから首飾りと考えられる。 灰ゴラ(はいごら) 縄文時代晩期から弥生時代前期の頃にかけて開聞岳が噴火した時の火山灰。 - (文責)山崎 省一