- 縄文の風 かごしま考古ガイダンス
第13回 めざめる遺跡 - もうすぐ,鹿児島に新幹線がやってきます。
現在,鹿児島県のあちらこちらで九州新幹線鹿児島ルート建設のための工事が行われており,その工事の約70%がトンネル(新八代・西鹿児島間125キロメートルのうち88キロメートル)工事です。
その中で,新幹線がトンネルから姿を現す地上部分で埋蔵文化財が眠る大切な遺跡とぶつかることがあります。
そこで,鹿児島県教育委員会(県立埋蔵文化財センター)は,文化財保護のため,新幹線建設工事にぶつかってしまう遺跡の発掘調査を行いました。
それぞれの遺跡では,縄文時代から最近までのいくつかの時代の生活の跡がみられる複合遺跡で,昔の人々の生活の様子を知る上での貴重な手がかりが多く発見されています。 - 【地図 新幹線関連の遺跡:1 大坪遺跡,2 計志加里遺跡,3 上野城跡,4 山ノ脇遺跡】
- ■玉類の発見■
- 出水市大坪遺跡では,縄文時代晩期(約3,000年前)のものと思われる緑色をした勾玉(まがたま),丸玉(まるたま),管玉(くだたま)が多数出土しています。
この玉類は,縄文人がきれいな緑色の石に根気強く穴をあけ,きれいに磨きあげたものです。これらは,当時の人々がペンダントとしての装身具や呪(まじな)いの道具として使っていただろうと考えられます。 - 【写真 大坪遺跡出土の玉類】
- これらの玉類をよく観察するときれいに作り上げられた完成品の他に,製作途中の玉類や原石も多く見つかっています。このことは,大坪遺跡で遠い昔,せっせと勾玉作りに精出していた人々がいたであろうことを物語っています。
- ■川跡からめざめた木製品■
- 川内市楠元遺跡では,弥生時代の終わりから古墳時代の初め(約1,700年前)の集落跡が発見されました。同時に発見された川跡や溝跡から鍬(くわ)や鋤(すき)などの木製の農具が,腐ることなく当時のままの形で見つかりました。
火山灰土壌が多く低湿地帯の少ない鹿児島では,木製品がそのままの形で見つかることはとてもめずらしいことです。 今回見つかった木製品を一つ一つ分析・研究することにより古代生活の1ページがまた1つ明らかにされることでしょう。 - 【写真 川跡から見つかった木製の鍬】
- ■役人の制服■
- 川内市東大小路町大島遺跡では,奈良時代から平安時代の土師器・須恵器・磁器・陶器などの焼物の器(うつわ)や青銅製の鈴,石製丸鞆(せきせいまるとも)が見つかりました。
丸鞆(まるとも)は,帯の表面に取り付けられる半円形の石の板です。儀式時に着用し,身分により種類がちがったようです。遠い昔,薩摩国府の役人が,この丸鞆を身につけて,毎日登庁していた姿が目に浮かぶようです。 - ■中世の居館跡■
- 伊集院町山ノ脇遺跡では,中世(約800年前)の掘立柱建物跡がたくさん見つかりました。
現在,9軒の建物跡が確認されています。その中で,面積が約100平方メートルにもおよぶ大きな建物跡も2,3軒含まれています。建物の大きさから,当時の伊集院地方の有力者の居館であろうと考えられます。
建物の周囲には,溝跡や塀跡(へいあと)も見つかっており,当時,ここに住んでいた人の生活の様子が想像できそうです。 - 【写真 山ノ脇遺跡の中世豪族居館跡】
- ■鹿児島有数の禅寺発見■
- 鹿児島市武2丁目武遺跡(西郷公園の近く)では,江戸時代中期(享保14年)に創建され,明治初年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で廃寺となった寿国寺(じゅこくじ)に関係すると思われるはん池(はんち)や井戸跡が見つかりました。
寿国寺は,黄檗宗(おうばくしゅう)に属し,同じ宗派の千眼寺(せんげんじ)と並ぶ当時の鹿児島最大の寺院でした。寺院の様子は,三国名勝図会(さんごくめいしょうずえ)の中の記載から相当な規模であったと想像できます。
今回,見つかったはん池は,当時の様子を伝えるいくつかの絵図に記載されている門前池の一部であろうと考えられています。
この池には,内側に浮島(中島)が設けられていて,そこには石像が設置されていたことが伝えられていますが,今回の発掘調査で,この石像ではないかと思われる破片が見つかっています。 また,池の西側で見つかった井戸跡や柱跡は,長寿院のものではないかと考えられています。
当時の寺の様子が再現されたようで興味深いものがあります。 - 【写真 寿国寺のはん池跡】
- 以上最近の情報をいくつか紹介しましたが,新幹線建設に関係して発掘調査された遺跡からは,旧石器時代,縄文時代,弥生時代,古墳時代,奈良・平安時代,中世,近世の全ての時期・時代にわたる貴重な遺構・遺物が発見されました。
これらの発見は,鹿児島あるいは南九州の古代の文化解明に大いに役立つことでしょう。 - (文責)上之園 建二