- 縄文の風 かごしま考古ガイダンス
第14回 山ノ口式土器と大隅半島 - ■山ノ口遺跡の発見■
- 昭和33年,大根占町馬場山ノ口集落の砂丘上で,民間の会社による砂鉄の採掘が行われていました。その最中に砂の中から弥生時代の中頃(約2,000年前)の土器片や,軽石に人の顔などを刻んだ岩偶(がんぐう)が見つかりました。これが山ノ口遺跡の発見です。
その後の緊急発掘調査では,約3mの大きさに軽石が円形に並べられ,その周囲ではたき火が焚かれた跡が発見され,農耕儀礼(のうこうぎれい)などの祭りを行った跡であることが分かりました。祭りでは軽石製の勾玉(まがたま),岩偶,石でつくった矢じり,胴に穴のあいた壺形土器(つぼがたどき)が円形に並べられた軽石を取り囲むように配置されていました。
発見された土器は山ノ口式土器と呼ばれています。 - 【地図 大隅半島遺跡地図:1 沢目遺跡,2 前畑遺跡,3 王子遺跡,4 山ノ口遺跡】
- ■山ノ口式土器の特徴■
- 山ノ口式土器
図左と図中
○壺形土器
(口の部分に櫛描文がある)
図右
○カメ形土器 - 山ノ口式土器には煮炊きに使うカメ形土器と,穀物類や水などを貯蔵する壺形土器(つぼがたどき)があります。カメ形土器は口の部分が外側へ「L字形」に飛び出し,胴の部分には三角形の粘土ひもがいく筋もめぐらされています。このような特徴は縄文時代の終わり頃の土器作りの伝統を根強く残しています。一方,壺形土器は口の部分を外側へ拡張したり,胴を粘土ひもで飾るなどカメ形土器に共通する部分も見られますが,口の部分には瀬戸内地域の土器によく見られる櫛描文(くしがきもん)と呼ばれる文様が描かれており,交流があったことを示しています。
当時の人々は,カメ形土器を自分たちの伝統としてかたくなに守り,壺形土器を他の地域の流行りの文様として取り入れながら作っていました。また,食べ物を盛る用途の高坏(たかつき)は,地元では作られず,現在の福岡県や愛媛県の周辺で作られたものを使用しているのも一つの特徴です。山ノ口式土器は大隅半島を中心に分布していますが,沖縄や奄美からも見つかっており幅広い地域と交流していたことがうかがえます。このような土器を使った人々の生活を集落遺跡からもう少しくわしく見てみましょう。 - ■台地に発達した集落■
- 弥生時代になると,人々は稲作を行うために積極的に平野の開拓を始めました。しかしシラス台地が発達し平野の少ない鹿児島では,弥生時代になっても台地上に多くの人々が暮らしていました。山ノ口式土器を使った人々の集落跡は,標高の高い平坦な台地上から発見されています。このような場所は水田耕作には適さないため,畑作(陸稲)を中心に生活を営んでいたと考えられています。その代表的な遺跡として,鹿屋市王子町の王子(おうじ)遺跡や同市郷之原町の前畑(まえはた)遺跡などがあります。
- 【写真 台地に暮らした人々の集落 鹿屋市王子遺跡】
- 標高約70メートルに位置する王子遺跡では,竪穴住居跡が27軒,掘立柱建物跡が14棟発見されました。鹿児島県でこれまでに発見されている遺跡の中でも規模が大きい集落跡です。
- 竪穴住居はまず地面を掘って床面を造りますが,掘った穴の形はだいたい円形か方形をしています。しかし王子遺跡の住居は部分的に外側へ張り出し部を持つもので,大隅半島や宮崎県を中心にに見られる独特の形をしたものです。また,集会場などに利用された可能性のある棟持柱(むなもちばしら)を持つ掘立柱建物のような特殊な建物も発見されています。
- 【写真 張り出し部分を持つ竪穴住居 鹿屋市王子遺跡】
- これらの建物は前畑遺跡や周辺の遺跡でもみつかっており,同じ山ノ口式土器を使う人々の間では,共通の認識でした。その他に,鍛冶(かじ)を行う時に出てくる鉄滓(てっさい)が見つかったことから,王子遺跡から出土したやりがんなは現地で作られた可能性もあります。当時,砂鉄や鉄鉱石から鉄を作る技術はまだ無いため,朝鮮半島産の鉄素材を入手し,再び鍛冶炉(かじろ)で熱を加え鉄製品に再加工していたと考えられています。
- 山ノ口式土器が使われていた頃,西日本では銅製の剣や矛(ほこ),銅鐸(どうたく)を使って祭りを行うことが一般的でした。しかし大隅半島では,山ノ口遺跡に見られるように地域独特の祭りが行われていました。このことは山ノ口式土器の製作方法と同様に外部の影響をマイペースに必要なだけ取り入れながらも,自分たちの伝統を大切に守っていこうとする当時の人々の意識のあらわれなのかもしれません。
- 用語解説
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勾玉 ゆるく湾曲(わんきょく)した装飾用の玉で紐に通して首,えりの飾りとした 櫛描文 櫛を使って描いた文様 竪穴住居 地面を水平に掘り下げ床面を作り,竪穴の中に柱を立て屋根をかけた半地下式の建物 掘立柱建物 地面に柱穴を掘って柱を立て,屋根や壁を造る平地式の建物 鉄滓 鉄を焼いてきたえるときに落ちるかす やりがんな 細長い棒状の鉄の先端を三角形にして両刃をつけた木工具
かんなが発明されるまで木材の表面をなめらかに仕上げるために使われた銅鐸 つまみ状のつり下げ部を持ち,内側に舌をぶら下げた青銅製の鐘(かね)
初めは楽器として使用されるが,やがて大型化し祭器として使用されるようになる - (文責)川口 雅之