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考古ガイダンス第16回

  • 縄文の風 かごしま考古ガイダンス
    第16回 瀬戸内地方との交流
  • 休日を利用して,各地の遺跡巡りをするのも良いものです。
    実際にその大地に降りて土を踏みしめると,写真や書物では決して味わうことのできない太古のロマンを満喫することができます。嬉しいことにマイカーを使えば短い時間で多くの遺跡を見て回ることも可能です。これは単に「車」という文明の利器によるものだけではなく,無数に延びる交通網の整備・発達の恩恵にほかならないことは言うまでもありません。

    当然のことですが,縄文時代には現代のような大規模で計画的な道があったはずがなく,わずか数キロメ-トル離れた隣の集落へ出かけるにも山を越え,谷を渡り,道なき道を行く大変な苦労であったことは想像に難くありません。
    しかし,そのような時代にすでに九州島内はもとより,南は南西諸島,北は中国・四国以北の地域と交流が行なわれていたとしたら,皆さんはどのように思われるでしょうか。
  • ■交流の証し■
  • 船元式土器が出土した榎木原遺跡県内各地の縄文時代の遺跡から黒曜石を用いて作った石器が出土します。黒曜石の産地として県内では大口市の日東や鹿児島市の三船などが知られています。この黒曜石が産地以外の遺跡で出土するということは,当時の人々が頻繁にその産地と行き来し,持ち込んできたということが分かります。また,有り難いことに,黒曜石は産地によって性質が異なるので,どこの産地のものか見当がつきます。その中には大分県の姫島産のものも見られ,広範囲に渡って交流が行なわれていたということが伺えます。
  • 【写真 船元式土器が出土した榎木原遺跡】
  • さらに一歩踏み込んで,「土器」をもとにしてアプローチを図っていくと交流の様相が一層明らかになってきます。そこで,縄文時代早期と中期の遺跡から出土する土器に注目し,その実態にせまってみたいと思います。
  • ■縄文時代早期■
  • 船元式土器縄文時代早期は,様々なバリエーションに富んだ土器が登場した時期で,この頃の土器の文様は,関東地方一帯に於いては縄や撚糸(よりいと)を土器面に転がして施文した「縄文」や「撚糸文」が主流であったの対し,南九州では貝殻によって施文した「貝殻条痕文」が一般的です。
  • 【図 船元式土器】
  • 春日式土器上野原遺跡をはじめ県内各地の遺跡から出土する前平(まえびら)式土器や吉田式土器など,南九州の代表的な土器の文様がそれを物語っています。ところが,縄文時代早期も後半にさしかかると,塞ノ神(せのかん)式土器など「撚糸文」を施文した土器が現われます。また,その他には,「押型文」を施した手向山(たむけやま)式土器などが出現します。押型文は,瀬戸内地方で流行した,丸棒に山形や楕円形の文様を彫刻したものを土器面に転がして施す施文法です。
  • 【図 春日式土器】
  • このことは,南九州が瀬戸内地方の施文技術の影響を受け,交流があったことを意味しています。
    さらに時代が下って,縄文時代中期に入ると,春日(かすが)式土器と船元(ふなもと)式土器が登場します。この二つの土器にも交流の様子が伺えるのでご紹介します。
  • ■縄文時代中期■
  • 鹿児島県内の各遺跡と岡山県船元貝塚の位置図春日式土器と船元式土器は,ともに縄文時代中期(約4,500年前)の土器で,県内の各遺跡では混在して出土しますが,実は,それぞれ出身地が異なるものなのです。

    春日式土器は九州南部を中心に分布する土器型式で,鹿児島市春日町遺跡を標式遺跡としています。器形は口縁部が内湾しながら外に開くキャリパー形の深鉢が主体で,器面には「貝殻条痕文」が施され,文様は無文または沈線や隆帯の渦文や曲線文が描かれています。県内では春日町遺跡をはじめとして北手牧(きたてまき)遺跡(頴娃町)や,前谷(まえたに)遺跡(松山町),根木原(ねぎはら)遺跡(鹿屋市)など数多くの遺跡で出土しています。
  • 【地図 鹿児島県内の各遺跡と岡山県船元貝塚の位置図:1 春日町,2 榎木原,3 前谷,4 船元貝塚】
  • 船元式土器は中部瀬戸内を中心に分布する同じく縄文中期の土器型式で,岡山県倉敷市船元(ふなもと)貝塚を標式遺跡とします。器面には荒く固い繊維による「縄文」や「撚糸文」が施されるのが大きな特徴で,県内では榎木原(えのきばる)遺跡(鹿屋市),鞍谷(くらたに)遺跡(枕崎市)などで出土しています。
  • これら二つの土器は,九州と中国地方という隔てられた場所にほぼ同時代に出現した土器で,全く関連性がないように思われますが,面白いことに,キャリパー形の器形や施文の手法など非常に共通点が多い土器です。特に,榎木原遺跡で出土した船元式土器の中には,岡山県倉敷考古館所蔵の船元式土器と施文や胎土(たいど)において全く類似しているものが見つかっており,これは,倉敷の地でつくられた土器がそのまま移入してきたものと考えられます。

    また,春日式土器の「貝殻条痕文」に対する船元式土器の「縄文」「撚糸文」施文の両者の相違などから研究を進めると,春日式土器は縄文時代中期より以前に南九州地方に分布していた,深浦(ふかうら)式土器等の流れを汲みながら,瀬戸内地方から移入してきた船元式土器の影響を受けて登場した土器ではないかと考えられます。

    今回は,土器型式とその分布の様子から交流の手がかりを探る一例を紹介しました。すでに遥か数千年も前に私たちの先祖は,日本列島を舞台に活躍していたという一端が見え隠れします。彼らはどのような方法で行き来し,どのような形で交流をしたのでしょうか,想像が尽きることがありません。遥か太古に想いを駆け巡らす。これもまた,ロマンですね。
  • 用語解説
  • 縄文早期・中期 一般的に縄文時代は,草創期・早期・前期・中期・後期・晩期の六つの時期に区分される。
    早期は今から約9,000年~6,000年前,中期は約5,000年~4,000年前とされている。
    黒曜石 黒色や暗灰色を呈するガラス質の火山石。砕けば破片になりやすく,矢じり等の小型
    の石器の材料として良く利用された。
    キャリパー形 計測に用いる測径両脚器(キャリパー)を開いた形のこと。
    撚糸文 撚った糸を軸に巻き,土器面に回転押捺してつけた文様。
    貝殻条痕文 ハイガイ,ハマグリ等の二枚貝の背や腹の部分を土器面に押し当ててひっ掻いて施文
    した文様。
    押型文 彫刻のある丸棒を土器面に回転し,施文した技法で,山形・格子目・楕円など様々な文様
    がある。
    胎土 土器の素材となる粘土や混和材。
  • (文責)野邉 盛雅