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考古ガイダンス第19回

  • 縄文の風 かごしま考古ガイダンス
    第19回 貝殻文土器の時代
  • ■桜島と考古学■
  • 錦江湾に悠然とそびえる桜島は鹿児島を代表する景観であり,象徴的存在でもあります。その桜島は,約2万5,000年前に大噴火した姶良カルデラの南東の海中に誕生し,17回の大規模な噴火のあったことが火山研究者によって確認されています。中でも4回目の噴火は今から約1万1,500年前とされ,この噴火により現在の桜島の姿が形作られたと考えられています。
  • この噴火の記録は各地で火山灰の堆積層として残され,遺跡や崖面で観察することができます。火山研究者や考古学研究者の間では薩摩火山灰あるいはSz‐SもしくはP14と呼ばれ,遺物や遺構の時代判断の重要な目安とされています。
    今回取り上げる土器はこの薩摩火山灰層に最も近く,しかもその直上で発見されることが多い「岩本式土器(岩本タイプ)」です。
  • ■貝殻文の時代■
  • 岩本式土器ところで縄文土器とは縄でつけた文様を持つ土器のことで,縄文時代の土器の総称です。しかし縄文時代人は,縄以外にもヘラや貝殻で文様を描いたり,粘土紐や文様を刻んだ棒状の施文具で巧みに土器の表面を飾っています。
    縄文時代早期の南九州の人々は,貝殻を利用することが一般的でした。特にサルボウやアカニシの口の部分を用い,押したり引いたりの動作を繰り返し,波形の刻み目を付けたり斜めに筋を引っぱったりと,シンプルではありますが芸術感あふれる文様を残しています。
    これらの土器を総称して貝殻文土器と呼んでいます。特に円筒形に仕上げることの多い岩本式土器・前平(まえびら)式土器・吉田式土器・石坂式土器などは,円筒形貝殻文土器と呼ばれています。
  • 【図 岩本式土器(指宿市・岩本遺跡出土)】
  • ■上山路山(かみやまじやま)遺跡■ 
  • 縄文早期の遺跡岩本式土器が大量に出土して注目されている遺跡に,伊集院町の上山路山遺跡があります。1997年度に南九州西回り自動車道の建設に先立って調査を行ったこの遺跡は,台地の縁辺から谷へ下る斜面に遺跡が作られていました。

    遺跡の中心部である集落跡は,調査範囲外の台地中央部と推定されています。谷への急斜面で大量の土器が発見されたことにより,ここは土器捨て場であった可能性が高いとみられています。縄文時代の遺跡は,上山路山遺跡と同様に台地の縁辺部に形成されることが多いといえます。ここ上野原遺跡もその一つであり,青森県の三内丸山遺跡も青森湾を見下ろせる場所に遺跡が残されています。
  • 【写真 縄文早期の遺跡(伊集院町・上山路山遺跡)】
  • なぜ縄文時代の遺跡の多くはこのような台地に作られたのでしょうか。おそらく台地の裾には川が流れ広い湿地が広がり,遠くには海が眺望できたとことでしょう。このような台地の麓には,水や食料を求めて動物が集まり,川や海には豊かな魚や貝があふれていたと思われます。
  • ところで,上山路山遺跡の谷筋には道跡らしき遺構も発見されています。頂上部分に当たるわずかな平坦部を調査していたときに検出されたもので,おそらく台地上の生活の場と谷を行き来したものと思われます。またY字状の三差路らしき部分もあわせて発見されました。
  • 道跡遺構は,黄褐色の薩摩火山灰層の上に黒っぽい土が入る溝状の窪みとして残されていました。また先に記した土器捨て場の可能性が高いことは,道跡には土器を捨てておらず,使用しない反対側の急勾配の斜面から大量に土器が発見されていることからも類推することができます。
    仮にこのように推定することが可能であれば,生活の場と捨て場の使い分けが既にあったこととなり,生活環境に対する空間認識が存在したということがいえます。
  • ■岩本式土器の起源■
  • 岩本式土器の出土状況岩本式土器の起源については,少しずつ明らかになりつつあります。

    薩摩火山灰層の下から発見される土器の多くは,隆起線文土器・隆帯文土器と呼ばれる縄文時代初源期の土器で,岩本式土器とは製作方法や土器の形・文様が大きく異なっています。そのため直接的な繋がりを見ることはできません。したがって,薩摩火山灰層を介して文化的・時間的断絶が存在することになります。
    しかし,最近指宿市の岩本遺跡や水迫遺跡,宮崎県の堂地西遺跡等の出土品の中に,その繋がりを示す答えが秘められている可能性が指摘されつつあります。また岩本遺跡・上山路山遺跡等では,岩本式土器に赤色顔料を塗った土器が出土しており,これまで日本最古の例であると考えられていました。
  • 【写真 岩本式土器の出土状況(田代町・ホケノ頭遺跡)】
  • しかし,最近になり薩摩火山灰層よりも古い隆帯文土器や,末吉町の桐木遺跡出土の隆起線文土器にも赤色を塗彩していることがわかってきました。このことは,薩摩火山灰層を介して時間的隔絶は明らかに存在してはいるものの,赤く塗られた土器を使う意識や慣習に共通した側面があったことを指摘できるでしょう。
  • 土器を赤く塗るという文化・伝統の面からの繋がりが考えられるのです。今後の新たな調査・研究の進展によって,また異なった展開も期待されるところです。
  • 「君よ知るや南の国」
    今回は上野原遺跡より少し古い時代の話でした。南国の豊富な自然の幸を利用しながら,南九州の人々はすばらしい文化を作りあげたのです。
  • 用語解説
  • 岩本式土器(岩本タイプ) 指宿市岩本遺跡で見つかった円筒形貝殻文土器の一種。
    器形は円筒形(バケツ形)で,口唇部に波型の刻みが入る。
    内外面は貝殻を利用して,丁寧になでてある。
  • (文責)寺原 徹