鹿児島県上野原縄文の森 (公財) 鹿児島県文化振興財団上野原縄文の森 埋蔵文化財情報データベース 鹿児島県立埋蔵文化財センター (公財) 鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター
MENU

鹿児島県上野原縄文の森

鹿児島県上野原縄文の森 HOME 公財 鹿児島県文化振興財団鹿児島県上野原縄文の森 埋蔵文化財情報データベース 鹿児島県立埋蔵文化財センター 公財 鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター

考古ガイダンス第22回

  • 縄文の風 かごしま考古ガイダンス
    第22回 大規模な石器製作所
  • ■旧石器時代終末■
  • 仁田尾遺跡日本最初の旧石器時代遺跡である岩宿遺跡が発掘調査(1949年)されてから半世紀が過ぎました。この間に鹿児島県内の旧石器時代遺跡も多く発見され,その数は現在100ヵ所を越えています。

    人類が誕生して以来,旧石器時代は数回の氷期を経ており,絶滅したナウマンゾウやオオツノジカなどを追い求める生活をしていたと考えられています。日本では最後の氷期であるウルム氷期のなかごろ,約3万5,000年前以後を後期旧石器時代に区分しています。

    後期旧石器時代の終末は,主要な狩猟用石器がそれまでのナイフ形石器から細石刃(さいせきじん)に変わることにより細石刃文化と呼ばれています。細石刃はカミソリの刃を小さくしたような長さ2センチ程度の大きさであり,小さいため単独では道具とならず骨角などに溝を彫り,そこにたくさん埋め込んで槍先などとして使用したと考えられています。
  • 【地図 仁田尾遺跡(鹿児島市石谷町/旧日置郡松元町)】
  • 細石刃は日本だけではなくシベリア・中国・韓国など東アジアの広い地域で,旧石器時代終末に使用されています。
    細石刃文化の開始は約1万5,000年前とされていますが,最近の北海道の調査では2万年前のものが発見されており,日本列島の南北で開始の様相が異なることが知られてきました。
  • ■仁田尾遺跡■
  • 仁田尾遺跡の発掘調査南九州西回り自動車道建設に伴い発掘調査された仁田尾(にたお)遺跡では細石刃文化の石器などが多量に出土しました。石器には細石刃のほか掻器(そうき)・削器(さっき)・打製石斧・礫器(れっき)・磨石(すりいし)などがあり,また石器を作った時の石のカケラ(剥片)も多量に発見されています。

    【写真 仁田尾遺跡の発掘調査】
  • これらの遺物は広い範囲に万遍なく出土するのではなく,直径数メートルの範囲に集中しており,このような遺物が集中している区域をブロックあるいはユニットと呼んでいます。つまり石器や剥片が集中して発見されるブロックは,それが石器製作の場所であったことを示しています。
  • 普通の旧石器時代遺跡ではブロックは数ヵ所発見されますが,仁田尾遺跡では50ヵ所を超えるブロックが発見されています。遺物総数も10万点以上であることから大規模な石器製作所であったと考えられます。そのため日本最大級の細石刃文化遺跡として注目されています。
  • ■細石刃技法■
  • 細石刃の装着例(実験製作品)石器である細石刃よりも,細石刃を剥ぎ取った残りの細石刃核(さいせきじんかく)が多くの情報をもっています。すなわち当時の人々がどのような手順で細石刃を作っていたかという石器製作技術が読み取れるからです。細石刃の形は一定であっても,それを剥ぎ取るまでの技術と方法は地域や時期の違いにより異なっていることが判明しています。
  • 【写真 細石刃の装着例(実験製作品)】
  • 細石刃の剥ぎかたの一例北海道や東日本では大型の槍のような形に整えたものを準備段階として作り,その後に平坦な打ち欠く面を作って細石刃を剥ぎ取る湧別(ゆうべつ)技法が一般的です。
    西日本では比較的小さな剥片や小礫を使い,最初に細石刃を剥ぎ取る平坦な打ち欠く面を決め,その後細石刃核の形を整える矢出川技法(やでがわぎほう)が広く分布しています。矢出川技法により作られたものは野岳・休場型細石刃核と呼ばれています。このように細石刃の製作技術の違いにより,当時すでに地域性があったことが理解できるのです。
  • 【図 細石刃の剥ぎかたの一例(細石刃核を左手で石の割れ目に固定し,右手の鹿角で押し剥いでいる)】
  • 九州では矢出川技法の他にも数種類の細石刃製作技術が知られており,地域性や製作時期の違いとされています。なかでも鹿児島市加治屋園遺跡から出土した細石刃核は,扁平な板状の凝灰岩質頁岩を数個に分割してそのまま細石刃を剥ぎ取るという,他に類例のない特徴的な製作技術であり,遺跡名から加治屋園技法と呼ばれています。
  • また宮崎県南部を中心として一部大隅半島まで分布するものとして畦原型細石刃核(うねわらがたさいせきじんかく)があります。これは砂岩の小円礫を二分割してそのまま細石刃を剥ぎ取るものであり,加治屋園技法との関連性が認められています。
  • 最近種子島の数か所の遺跡で発見された細石刃核は東九州に特徴的な船野(ふなの)型細石刃核であり,使用されている石材は頁岩であり,形態や石材から宮崎県南部との関連性が指摘されます。
    仁田尾遺跡で出土した細石刃核は1,000点を超えています。九州で認められるほとんどの種類の細石刃核が網羅されており,今後の分析・研究が期待されています。
  • ■狩猟用落とし穴■
  • 旧石器時代も終末になるとナウマンゾウなどの大型動物からイノシシやシカに変わっており,当時の人々はこれらの動物の狩猟やドングリ類などの採集により食料を確保していました。
  • 仁田尾遺跡の落とし穴仁田尾遺跡では平面形が長方形や楕円形の遺構が検出されました。長さ1.5メートル,幅0.8メートル,深さ1.2メートル程度の穴で,底面には小さな穴(細いクイを埋め込んだ痕跡)が複数確認されたことなどから,イノシシやシカを捕獲するための落とし穴であることが明らかとなりました。


    【写真 仁田尾遺跡の落とし穴(床面にクイを打った痕跡が見える)】
  • 仁田尾遺跡では16基の落とし穴が発見されました。このような細石刃文化期の落とし穴は出水市大久保遺跡や入来町鹿村ヶ迫遺跡でも検出されています。
  • つまり細石刃文化期の南九州では細石刃を装着した槍による狩猟だけでなく,落とし穴を使用する狩猟も,全国より早い時期に広く行われていたことが明らかとなりました。
  • ■縄文時代の開始前夜■
  • 仁田尾遺跡では細石刃などと一緒に,一部のブロックでは石鏃と土器も発見されています。この石鏃や土器は縄文時代の指標であることから,まさに旧石器から縄文へと,時代の新世紀を迎えていたと考えられています。
  • 用語解説
  • 掻器(そうき) 動物の皮などをなめす道具と考えられている。
    削器(さっき) ものを切ったり削ったりするナイフのような道具。
    磨石 ドングリ類などをつぶしたり粉にする道具。
    礫器(れっき) 礫に簡単な打ち欠きを行っただけの道具。
    細石刃技法 細石刃をどのような手順で製作していたかを明らかにしたもので,剥片などの接合作業から導かれる。
  • (文責)宮田 栄二