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考古ガイダンス第24回

  • 縄文の風 かごしま考古ガイダンス
    第24回 縄文文化は海を越えて
  • ■北から南へ・海峡を南下した細石器文化■
  • 大隅海峡を南下する船(イメージ図)縄文時代開始直前の約14,000年前,日本列島には細石器文化が大盛行していました。鹿児島もその例にもれず,細石器文化の真只中にありました。特に鹿児島・宮崎・大分を含む南・東九州では在地の流紋岩(りゅうもんがん)という石を利用した特徴的な船野型(ふなのがた)という槍先の製作技術が存在することが知られ,その分布の南限は鹿児島県本土までとされていました。

    そんな中,1997年,中種子町立切(たちきり)遺跡で本土と種子島との交流を示す驚くべき発見がありました。種子島で初めて細石器文化期の遺物が発見されたのです。しかも石材は南九州で産出する流紋岩,槍先を作る技術も九州本土に特徴的な船野型であったのです。この発見により,細石器文化の南限を書き換えるとともに,本土と種子島の技術・物資・人間の南への流通が明らかとなり,さらに大隅海峡を南下するための船の存在が確定的となったのです。

    丸木舟に乗って流紋岩を大事そうに抱え,海峡を南下した旧石器人の姿が目に浮かんでくるようです。
  • ■南から北へ・海峡を北上した「磨き」の技術■
  • 1995年に調査された西之表市の奥ノ仁田遺跡,中種子町三角山遺跡では縄文時代草創期(約12,000年前)の磨製石鏃(ませいせきぞく)が発見されています。これらは種子島に安定して磨製石鏃を作る技術が存在していたことをうかがわせるものです。

    一方,鹿児島県本土に目を向けてみると,磨製石鏃の出現は種子島より一時期遅れた縄文時代早期初頭(約10,000年前)まで待たねばなりません。なお,日本全国を見渡すと縄文時代の最初の時期に磨製石鏃を生み出す技術を保有しているのは南九州しか見当たらず,鹿児島県本土に石鏃を磨く技術をもたらしたのは現在のところ種子島しか考えられません。この事実は南から北への技術の北上を示すことに他ならなく,北から南だけでなく南から北への動きがあったことをうかがわせるものです。
  • ■北から?南から?土器文化の交流■
  • 縄文時代草創期には,全国的に土器の周りに粘土紐を貼り付けてつくる隆起線文土器が特徴的に使用されていました。中でも南九州の粘土紐は他地域よりひときわ太く,隆帯文土器と呼ばれています。また,貼り巡らした粘土紐には貝殻や指などで模様が施され,この特徴は県本土も種子島もほぼ同じです。

    では,この隆帯文土器は南北どちらから伝わったのでしょうか。分布からみると,現在のところ県本土よりも種子島に密度が濃く,出土量も多いため,種子島からの伝播の方が考えやすいです。しかし種子島よりも南では隆帯文土器の出土は見られず,南からの伝播を考えにくい逆の状況も存在します。また,その他にも種子島の隆帯文土器の密度の濃さを説明する学説もあります。それは種子島では次の文化が流入するまでの間ずっと隆帯文土器を使用し続けた結果であるというものです。いずれにせよこの問題の解答は,今後の発掘調査による成果をを待たねばならないようです。
  • ■槍はどこから?中種子町園田遺跡■
  • 1999年10月,種子島で縄文時代草創期の地層から8本の石槍が発見されました。槍は意図的に23個のパーツに分割され,折り重なるような状態で2ヵ所から発見されました。石材は安山岩で,種子島では産出しないものであり,石器を製作した痕跡も残していないことから島外で製作され,持ち込まれたものであると考えられています。その出土状況,石材,槍の形状の類似から,信州を中心に分布する神子柴(みこしば)文化との関係を論じられることもあります。

    しかし神子柴文化の石槍とは厳密には技術・形態など異なっており,間接的な影響は考えられるものの,直接的に信州との交流を語れるものではありません。広くアジアを見渡しても現在のところ園田遺跡のような精美な槍,またそれを作り出す技術は見当たらず,園田遺跡の槍がどこで製作され,どのようなルートで種子島にたどり着き,そしてまたなぜ分割され,置かれたのかは謎です。
  • 用語解説
  • 船野型 宮崎県船野遺跡で最初に発見された槍先の製作技術。石核の形が船底状を呈するのが特徴。
    神子柴文化 長野県神子柴遺跡を標識とする。北海道を除く東九州を中心に広がっており,九州への波及も部分的に認められている。独特の形の槍や石斧を特徴とする文化。
  • (文責)桑波田 武志