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考古ガイダンス第25回

  • 縄文の風 かごしま考古ガイダンス
    第25回 シラスの上と下の文化
  • ■姶良カルデラの大爆発を中心に■
  • シラス下層出土の前山遺跡の石器群南九州の厚く堆積したシラスの下層から石器が出土することは極めて珍しいことです。

    平成7年,私は南九州西回り自動車道建設に伴って,日置郡松元町石谷の前山遺跡,現在の松元インターチェンジ付近の発掘調査を担当していました。

    【写真 シラス下層出土の前山遺跡の石器群】
  • 夏のある日,私は次の日に他の業務があり発掘現場を留守にするため,明日の調査計画について同僚と話し合いました。その結果,明日はシラスの風化土以下の地層がどうなっているかの確認を行うことにして,その日は発掘現場を後にしました。

    そして二日後に発掘現場に行くと,同僚が興奮した声で昨日の様子を話すのです。その内容は,シラスの下の地層から石器らしいものが出土したということでした。

    私はわが耳を疑いながら,遺物が出土した地点へと向かいました。出土した地層を再度確認し,地層の断面を移植ゴテで削ってみました。出土した地層は,シラスの風化した地層の下の砂礫層であり,遺物を見てみると確かに人為的に石を加工した痕跡があるものでした。

    それから発掘事務所へ駆け戻り,そして震える手で埋蔵文化財センターに電話で報告しました。「松元町の前山遺跡で,シラスの下層から石器が出土しました。」と。

    南九州の発掘調査に従事する我々が,調査終了の目安にするのはシラスです。シラスは,南九州を厚く覆っている火山堆積物で,時には100メートル近く堆積している所もあり,物理的に発掘調査が不可能なためです。
  • ■姶良カルデラとその環境■
  • さて,このシラスと当時の気候について若干触れてみたいと思います。

    今から約2万5,000年前,錦江湾の奥まった部分から火山活動が始まりました。その火山活動は,大量の軽石の噴出,そして第1次の火砕流を経て破局的な大火砕流をもたらしました。火山灰は,空高く成層圏まで舞い上がり,東北地方や朝鮮半島にまで及んだと言います。
  • この一連の火山活動によってもたらされたものがシラスであり,専門的には姶良・丹沢火山灰あるいはATと呼ばれるものです。そしてこの大噴火がもたらしたものは,陥没した大カルデラ(姶良カルデラ)と,旧地形をとどめないほどに降り積もった火山灰にまみれ茫漠とした南九州の地であったでしょう。
  • 屋久島の宮之浦岳の山頂姶良カルデラが噴火した2万5,000年前は,後期旧石器時代(旧石器時代とは,人類が誕生してから約1万2,000年前まで,主として石器を主な生活の道具とし,人類が土器や弓矢を発明して用い始める直前までの時代)にあたります。地質学的には更新世後期にあたり,大氷河が発達したり後退を繰り返した時代です。またこの時代は氷河が発達したことから氷河期とも呼ばれ,地球全体がとても寒い時期で,北海道にはマンモスが,九州にはナウマン象がいたといわれています。


    【写真 屋久島の宮之浦岳の山頂(出典 鹿児島県育英財団)】
  • ただし実際に氷河が存在したのは,北極などのように寒い地域や高い山だけです。南九州は,現在より気温が数度,海面が今より百メートル近く低く,あたり一面には草原が広がっていたと考えられています(現在の屋久島の宮之浦岳の山頂の様子に似ています)。
  • ■二つの石器(ナイフ型石器と剥片尖頭器)■
  • 前山遺跡の発掘風景南九州本土において,シラスの下層から石器が出土したのは前山遺跡が2例目,昭和41年出水市上場遺跡の発見以来,実に20数年ぶりでした。当初私は,発掘風景の写真のようにこの遺跡は安山岩の巨石がゴロゴロしていたため「シラスが薄くその下の地層がもしや観察できるのではないか」と考えていました。掘り下げを行った結果が思わぬ石器の発見につながったのです。
    【写真 前山遺跡の発掘風景】
  • 1年半に及ぶ前山遺跡の発掘調査の結果,シラスの下層から台形石器やナイフ形石器など約10点を含む約500点の石器,シラスの上層からは台形石器,ナイフ形石器,槍として用いたと思われる剥片尖頭器や三稜尖頭器などを含む約1万5,000点もの石器が出土したのです。
  • シラス上層出土の前山遺跡の剥片尖頭器前述のように2万5,000年前に大爆発した姶良カルデラは,南九州の地を火砕流で覆いつくして,人間,動物や植物までも死滅させたといわれ,その植生の回復には1,000年近くもの歳月を要したといわれています。

    ところが熊本県の狸谷遺跡(たぬきだにいせき)で見つかった,シラスの上層から出土したものを指標とする「狸谷型」と呼ばれるナイフ型石器は,前山遺跡のシラスの下層から出土した石器の中に類似したものが見出せるのです。長さ2,3センチで切り出しナイフの刃先に近い形状,そしてその石器の作り方も似かよっています。また狸谷型のナイフ型石器は,前山遺跡より数100メートル南東に位置する仁田尾遺跡では,シラスの上層から多数出土しているのです。 
  • 【写真 シラス上層出土の前山遺跡の剥片尖頭器】
  • 噴火後の九州では,新たな石器として剥片尖頭器という槍状の石器が登場します。南九州でも近年数多くの遺跡からこの剥片尖頭器が出土しており,前山遺跡からも相当数出土しています。そしてこの石器は,朝鮮半島にそのルーツが求められるともいわれ「海を渡った剥片尖頭器」とも呼ばれています。
  • ■エピローグ■
  • 喜入町帖地遺跡この南九州から出土した2つのタイプの石器(ナイフ型石器と剥片尖頭器)は,21世紀を生きるわれわれに何を物語ってくれるのでしょうか。

    前山遺跡出土のシラス下層のナイフ型石器についてある研究者は「生き残った集団によって,製作技法が受け継がれていったのではないか」とし,大災害でも生き延びようとする人間の生命力をいっそう確信したとさえいいます。
  • 【写真 鹿児島市[旧喜入町]帖地遺跡(出典 喜入町教育委員会)】
  • シラスの上層から出土する剥片尖頭器は,海水面が低くなり幅が狭くなったとはいえ海流が激しく荒ぶる朝鮮海峡を,旧石器人達が勇敢に丸木舟を操って行き来したあかしなのでしょうか。

    数少ない遺跡から出土する数点の遺物だけで早急に結果を導き出すことは,非常に危険ですが(考古学は,実証とデータ―の蓄積が大事である),前山遺跡のシラスの上層から出土した剥片尖頭器と下層から出土したナイフ型石器が,今後の南九州の姶良カルデラ爆発前後の様相を知る大きな手がかりになりうることは確かです。

    そしてその後,1996年1月に喜入町帖地遺跡からもシラスの上層と下層から数多くの石器が発見されました。この新たな資料の追加の意義は大きいものがあります。今後もこのような遺跡や遺物が発見され,南九州の旧石器文化がよりいっそう解明されることを期待してエピローグにかえたいと思います。
  • (文責)鶴田 静彦