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考古ガイダンス第3回

  • 縄文の風 かごしま考古ガイダンス
    第3回 実験考古学が私たちに伝えるもの
  • ■実験考古学とは・・・■
  • 集石(上野原遺跡)発掘調査は土の中に眠っている土器や住居跡等様々な情報を掘り起こし,その情報を基にして各時代の様相を明らかにしていこうとするものです。
    しかし,土の中に眠っている情報は限られています。情報化社会といわれる現代は,急速なパソコンの普及とともにインターネットで誰でも身近に様々な情報が瞬時に得られ,一つのキーワードに対して数多くの情報が得られる社会です。それに比べて土の中から得られる情報は形に残るものが中心で,ごく僅かです。
  • 【写真 集石(上野原遺跡)】
  • 各時代の様相を明らかにしていくためには,この僅かな情報を大事にし多角的に比較検討していかなければなりません。その検討方法の一つが実験考古学です。
  • 実験考古学は,発掘調査で出土した遺物や遺構の持つ性質を探るためにその遺物や遺構の制作方法や使用方法を復元し,それらを使用したときの効果や有効性を確かめたり,ある考古学上の考え方や仮説に対しその考え方や仮説が正しいかどうかを確かめるために行われるものです
  • 復元した連穴土坑(上野原遺跡)たとえば,貝塚などでシカの角でできた釣り針が出土することがあるが,シカの角は石器を加工するときに使われるほど硬いものです。
    この硬いシカ角製の釣り針をどんな方法で作ったかを調べるために,当時可能な方法で作り,使用実験をして漁具としての有効性を確かめた例があります。
    また復元された住居に火をつけ,消失した柱の倒れ方や生活道具の状態を記録し,実際に発掘で調査された住居と比較検討することも試みられています。
  • 【写真 復元した連穴土坑(上野原遺跡)】
  • このように実験考古学は,遺物や遺構から得られた目に見える情報から目に見えない行動や時間等を想定し当時の生活を復元することで,遠い昔のことを身近なものにするのです。
  • ■竪穴住居の復元■
  • 上野原遺跡の竪穴住居復元発掘調査の醍醐味の一つに住居跡の発見があります。住居跡からは,当時の生活を知るための様々な情報が得られるからです。平成9年5月には,上野原遺跡で約9,500年前の住居跡が52軒発見され話題になりましたが,鹿児島県内の縄文時代における竪穴住居跡の発見数は,平成12年2月現在71遺跡・395例にものぼります。
    竪穴住居は,地面に掘り込んだ竪穴の上に上屋を覆って家を建てる住居です。発掘の際,上屋の部分は発見されることはほとんどありません。(低湿地の遺跡や消失し炭化した柱が残る場合もある)
  • 【写真 上野原遺跡の竪穴住居復元】
  • しかし,地面に掘り込まれた竪穴・柱穴・炉跡等を詳しく調べることで,柱の太さや深さ・角度・数等によって上屋の大きさや形を想定することができます。 
  • また柱等の材質については,どのような材質のものが使われた可能性が強いかを土壌を分析することによって調べることができます。更に上屋の構造については,世界各地の民俗例や土器・埴輪等に描かれた家の形から想定することができます。このように,多角的な分析をすることによりより正確な住居の復元が可能になります。

    住居を復元した例は数多くありますが,居住性についても調べた例もあります。鹿屋市の前畑遺跡では,弥生時代の竪穴住居跡3軒と掘立柱建物跡8軒が発見されましたが,昭和63年夏にここで弥生時代の復元住居を建てています。復元には発掘調査で発見された竪穴住居を基に実測図によって竪穴の深さや柱の数を決定し,より正確な復元を行っていきました。完成後何回かに分けて寝泊まりを繰り返し,室内外の湿温の違いや火を焚いた場合の一酸化炭素や灰じんの割合を調査しました。その結果一酸化炭素の割合が0.001%以下,灰じんも一番多いときで1立方メートル当たり0.35mgで,人体には問題ないことがわかりました。これは発掘調査ではわからない,目に見えない「過ごし易さ」という感覚を実験によって明らかにしようとした試みです。
  • ■集石と連穴土坑■
  • 石蒸し調理(イメージ図)集石
    石をたくさん集めて焼き,その中に肉などを入れた昔の調理場です。

    ビストロ縄文集石・石焼きレシピ
    1. 魚・肉などの食材を大きな葉で包む
    2. 焼けた石の中に入れる
    3. 上から土をかぶせる
    ※料理の前に,まず火で石を焼きます。                 
    次に火を消して焼き石だけにしたうえで料理を始めます。
  • 縄文時代の遺跡では,大小多くの石が意図的に集められた「集石」という遺構が数多く発見されています。集められた石に焼けた痕があることや炭が発見されることから,石を焼いて蒸し焼きをした施設ではないかと考えられています。また縄文時代早期を中心に,大小二つの穴がトンネルで繋がった「連穴土坑」という遺構が見つかっています。トンネルの下の土が赤く焼けている場合があることから,火を使用したことが考えられます。また加世田市の栫ノ原遺跡では,動物の脂肪酸が検出されています。これらのことからこの施設は燻製を作るものであったと考えることができます。
  • 連穴土抗による調理。(イメージ図)連穴土坑

    大小2つの穴をトンネルでつなぎ大きな穴のほうをたいて,小さな穴の上に肉をつるし,煙でいぶして薫製を作る施設です。
  • この二つの遺構は上野原遺跡の中で復元遺構として使われ,体験活動のひとつとして活用されています。集石では,集めた石の上で火を焚き,熱く焼けた石の上に食材を入れ,土でパックして蒸し焼き料理を作っていました。これまでの活動から,石を焼く時間や蒸す時間など天気や食材に応じて様々な対応が可能であることがわかってきています

    また連穴土坑を使った調理では,鶏肉まるごと一羽の場合約5時間から10時間も燻せば完全に脂が抜け,見事な燻製ができることがわかりました。燻製という保存食ができるということは,食生活にとって重要な問題です。縄文時代の人々も私達現代人と同じように焼くという調理だけでなく,土器で煮たり,集石で蒸したり,連穴土坑で燻すといういろいろな調理方法を知っていたことが想像できるのです。
  • ■実験考古学を生かす体験活動■
  • われら縄文探検隊体験活動には,実験考古学によって得られた様々な情報が生かされています。遺跡から発見された遺物や遺構を基にすることと,実験考古学で得られたデータを数多く収集することで,遠い昔の生活により近づくことができます。また,このように確かな裏付けがあるからこそ,古代の生活体験が楽しく有意義なものになると思います。
  • 【写真 われら縄文探検隊】
  • (文責)森田 郁朗