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考古ガイダンス第33回

  • 縄文の風 かごしま考古ガイダンス
    第33回 考古学から見た神社仏閣
  • ■腕のない仁王像■
  • 腕のない仁王像教師A さーやっと着いた。ここが皇徳寺(こうとくじ)跡だよ。
    中学生B 先生,入り口にある2体の石像は何ですか。仏像ですか?
    中学生C 2体とも両腕がないわね。右側の石像は頭の一部も欠けているわ。どうしちゃったのかしら?
    教師A これはね,仁王(におう)像といってお寺を守護するために立ってるんだ。ここでは壊れていてよくわからないけど,口を開いた阿形(あぎょう)と口を閉じた吽形(うんぎょう)の2体でワンセットになってるんだよ。
  • 【写真 腕のない仁王像(鹿児島市皇徳寺跡,栗林 撮影)】
  • 中学生C でも先生,これ何で壊れているんですか?足も無いみたいだわ。
    教師A それはね,明治時代の初め。今から130年ほど前に起こった廃仏毀釈( はいぶつきしゃく)という出来事のためなんだ。
  • ■廃仏毀釈■
  • 大龍寺跡(鹿児島市)の発掘調査風景中学生C 先生,それはどういう事件だったんですか。
    教師A うーん,簡単に説明するにはちょっと複雑なんだが。江戸時代の終わり頃に,国学(こくがく)といって日本古来の思想を尊重しようという学問が流行したんだ。この学問によれば,仏教は後に外国から伝わってきた宗教だから,その前からある神道を尊重すべきだというんだ。この思想が下地となって,明治元年(1868)神仏分離令が出されると薩摩藩でも徹底的に寺院の打ち壊しが行われたんだ。その時この仁王像も壊されたんだよ。
  • 【写真 大龍寺跡(鹿児島市)の発掘調査風景(鹿児島市 立ふるさと考古歴史館)】
  • 中学生B へー,そんな歴史がこの仁王像にはあったんだ。ところで,先生。一体幾つぐらいのお寺が破壊されたんですか?
  • ■1066寺院すべてを取り壊す■
  • 教師A そーだね,史料によれば,当時薩摩藩には1066の寺があったとある。これらが全て取り壊されたんだ。またお坊さんも2964人いたらしいんだが,みんな還俗(げんぞく)させられて,兵隊や学校の先生等になったらしいよ。
    中学生B それじゃ明治より古いお寺は鹿児島にはないということなんですね。
    教師A そういうことだね。お寺とともに,古くからあった仏像・経典や古文書(こもんじょ)等今残っていれば,貴重な文化財となったものが多数失われたんだね。
    中学生C 先生,それじゃ昔のお寺の歴史は何もわからないってことですか?
    教師A うん,古文書が少ないから詳しいことはわからないね。
    中学生B えー!それじゃどうしようもないってことだ。
    教師A いや。ひとつ方法があるよ。それは地面の下に眠っている寺院の痕跡を捜し出すことなんだ。
    中学生C わかったわ!考古学ね。
    教師A そーだ。考古学の手法を使えば,文字史料がほとんどない古いお寺もいろんな事がわかってくるんだね。
    中学生C 先生,お寺や神社の発掘例はあるんですか?
    教師A あー,あるとも。数は多くはないがね。それじゃ,来週の日曜日に先生の自宅で,お寺や神社の発掘調査について調べてみようか。
    はーい。
  • ■寺院・神社の発掘調査事例■
  • 弥勒院の建物の瓦鹿児島市の福昌寺(ふくしょうじ)は,現在の玉龍高校の場所にありました。応永4年(1394)島津元久によって建てられた曹洞(そうとう)宗の寺院で,開山には一族の石屋真梁(せきおくしんりょう)が迎えられています。

    【写真 弥勒院の建物の瓦(隼人町教育委員会)】
  • 寺院の一部を発掘調査した結果,階段・石垣・門・排水溝・石列等の遺構が発見されました。福昌寺の全容は,『三国名勝図会 (さんごくめいしょうずえ)』の絵図により知られていますが,報告書ではこれらの遺構が絵図に見える山門跡に比定されています。このように,絵図や古文書と発掘調査の結果が合致するのかしないのかが,歴史時代の発掘調査の醍醐味(だいごみ)のひとつです。

    弥勒院出土の花瓶・灯明 皿・油壷など姶良郡隼人町の宮内小学校にあった弥勒(みろく)院は,すぐ傍にある鹿児島神宮(中世では正八幡宮,大隅国の一宮)の別当寺でした。その創建年は不明ですが,鎌倉時代には存在していたことが文献から確かめられます。

    【写真 弥勒院出土の花瓶・灯明皿・油壷など】
  • 発掘調査の結果,直径2m程の土壙が見つかり,中から1,000個以上の土師器が出土しました。儀式で使用したものを廃棄したのか,それともここで土師器を焼いたのか,まだ不明です。遺物では弥勒院の僧侶達が日常生活に使用したと思われる食器等が多数出土しました。その他花瓶・灯明皿・油壷・古銭・硯・鏡・碁石・毛抜き・煙管(きせる)等や,弥勒院の建物に使用された瓦も出土しています。
  • 最後に神社に関する発掘調査事例として,薩摩郡宮之城町の諏訪神社を見てみましょう。
    この諏訪神社は天明元年(1781)火災にあい消失し,文献史料でのみ存在が確かめられていました。調査の結果,この消失した神社の建物がそっくりそのまま見つかり,きわめて注目すべき成果をあげました。建物としては,本殿・舞殿・拝殿,その前面には周りより一段低くなった参道が延び,両側には溝が延びています。古銭も多く出土していますが,神社の建物の付近に集中していたといいます。参拝者が投げたお賽銭でしょうか。その他には,銅鏡・かんざし・鈴・煙管・人形等が神社特有の遺物といえます。
  • 諏訪神社の建物跡全景中学生C 先生,鹿児島県での調査事例はこれで全部なんですか。
    教師A いやいや,ここで君達に紹介したのはごく一部で,他にも薩摩国分寺(川内市)・大乗院・大龍寺(鹿児島市)・一乗院(坊津町)・宗功寺(宮之城町)等の跡でも発掘調査が行われているんだよ。
    中学生B 神社でお賽銭を投げていたなんて,お正月の初詣みたいだね。今と同じだ。
    教師A 最初に説明したように,鹿児島には古いお寺はひとつもないんだ。どうしてこんなに徹底して廃仏毀釈が行われたんだろうか?
    中学生C うーん,どうしてかしら?わからないわ。
  • 【写真 諏訪神社の建物跡全景(宮之城町教育委員会)】
  • 教師A 色々な意見があるんだが,例えば,僧侶の職能が狭く身分が低かったからだとか,民衆のほとんどが隠れ念仏の信者であったからだとか。文献史料も非常に少ないからわからないことが多いんだ。
    中学生B そこで,考古学の登場ってことですね。
    教師A その通り!そして,将来更に発掘調査が進めば,私達の祖先が寺院や神社とどのように関わったのか,そんなことまでわかるとおもしろいよね。
  • (文責)栗林 文夫