- 縄文の風 かごしま考古ガイダンス
第42回 強者どもの拠り所 - ■中世山城■
- 武士が際だった存在であり,その力量を存分に発揮していた平安後期-戦国時代(中世)において,所領争いの決着手段は合戦でした。そして武士の拠(よ)り所となるのが城です。
城というと,立派な天守閣(てんしゅかく)や高い石垣,周りを囲む堀などを思い浮かべるかも知れませんが,現在目にするような城の多くは,豊臣秀吉(とよとみひでよし)の天下統一以降のもので,中世の城の中心は自然の地形を利用した山城(やまじろ)でした。
源平の戦いのころから鎌倉時代後期にかけては,騎馬武者(きばむしゃ)が一対一で名乗りながら戦うのが合戦の基本でした。その後,集団で戦うようになると,防御する側は館(やかた)の周りに堀を作り,柵(さく)を置き,高い足場を作った砦(とりで)や城郭(じょうかく)を築くようになりました。 - 【写真 空堀の発掘調査(向栫城)】
- 南北朝時代に入り,全国各地で合戦によって勢力を確保して成長させようとする者が登場してくると,内乱が頻発(ひんぱつ)し,日常化してきます。そこで,城の防御機能を強化するために,自然の地形が作り出した見晴らしが効き,近寄りがたく,一定の平たんな台地や丘,山に城を築きました。そして戦闘の際は,そこに籠(こも)って戦いました。
- はじめは応急的なもので,簡単な造りであったと思われますが,合戦の長期化に伴い次第に整備され,○○城と呼ばれるような山城が登場し,中世の城の中心的なものとなりました。
特徴として,築城の際に自然の地形を利用して郭や曲輪(くるわ)を配置したり,空堀(からぼり)や門,石塁(せきるい)・土塁(どるい)などの施設を築くことで防御性の高い縄張り(なわばり)を確立していることが挙げられます。
近世の城が建物や堀,石垣など目に見えるのとは対照的に,中世山城は遺構の大半が地中に埋まっています。これは,山城が自然の地形を利用したもので,自然景観に溶け込む性格が強かったので,建設物は質素で実用的なものが多く,文化的・芸術的価値はあまり高くなかったのでしょう。
今現在,全国には2,5万~5万程度の中世山城があると推定されていますが,大部分はその範囲の確定もなされていないものが多いです。 - ■県内には600余の山城■
- 鹿児島県には600余の中世山城があり,貴重な文化財として調査研究され,保護と活用が進められています。ここで,県内各地にある中世山城の中からいくつか紹介します。
- ◆知覧(ちらん)城跡 (知覧町永里・国指定遺跡)
シラス台地特有の直立した崖(がけ)を利用して築かれた,南九州型の代表的な山城です。遺構の保存状態は極めて良好で,平成5年には国指定史跡となっています。近世の重要伝統的建造物として有名な,知覧麓の前身としても重要な意義があります。
【写真 国指定遺跡 知覧城跡】 - ◆苦辛(くらら)城跡 (鹿児島市山田町)
自然の川や崖を利用した連郭式(れんかくしき)山城で,郭には土塁が見られ,緩やかな斜面には郭を守るための帯曲輪(おびくるわ)の取り巻きがあります。その台地では,旧石器から中世・近世までの生活のあとがみられます。
【写真 帯曲輪の取り巻く苦辛城跡全景】 - ◆向栫(むかいがこい)城跡 (東市来町伊作田)
山の斜面の裾野(すその)に位置し,城に伴う炉跡(ろあと)や大型土坑(どこう),空堀,国内外の陶磁器などが見つかりました。 - ◆平泉(ひらいずみ)城跡 (大口市山野)
自然地形を利用した九つの曲輪からなる多郭式山城で,それぞれの曲輪は造成が行われ平たん面を構築しています。歴史的に軍事上・交通上の要地として室町時代から近世初期ごろまで活用されていました。 - この他にも代表的な山城として,清色(きよしき)城跡(入来町浦ノ名),高山(こうやま)城跡(高山町新富),志布志(しぶし)城跡(志布志町),蒲生(かもう)城跡(蒲生町下久徳),などがあります。
1587年5月,豊臣秀吉は九州勢に対して,「城割(しろわり)」を発令しました。一郡一城のみとし,必要な城のみを残して他を破壊することで,秀吉が全国を厳しく統治することとなりました。これをもって山城の理念としての存在が否定され,形として存続したとしても,強者(つわもの)どもが拠(よ)り所とした中世山城は終わりを迎えたのです。
現在に残る中世山城跡は,わたしたちに生きた歴史研究の貴重な素材を提供してくれています。開発などでその形を変えてしまう前に,史跡公園などに整備して保存の努力をしているところもあります。 - 用語解説
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郭(かく) 建物のある平たんな区域 曲輪(くるわ) 防御のために造られた区域で,連なったものや単独のものがある。 空堀(からぼり) 水のない掘り下げた堀で,別名堀切ともいう。 帯曲輪(おびくるわ) 敵の侵入を防ぐため,取り巻くように空堀を何本もめぐらした曲輪。 石塁・土塁
(せきるい・どるい)石を積み上げたり土を盛り上げて築いた小さなとりで。 炉跡(ろあと) 火を使って煮炊きをしていた場所の跡。 - (文責)平木場 秀男