- 縄文の風 かごしま考古ガイダンス
第46回 弥生研究の中心・高橋貝塚 - ■弥生日記■
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-僕の名前はよしのぶといいます。今,小学校最後の夏休みを利用して,福岡から金峰町のおじいちゃんの家に遊びに来ています。-
『8月○日晴れ
きょうは朝早く,おじいちゃんと一緒に近くの玉手(たまて)神社まで散歩に出かけました。……』 - ■高橋貝塚で■
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おじいちゃん 「何をお願いしたんだい?」 よしのぶ 「うん。夏休みの宿題が無事に終わりますようにって。」 おじいちゃん 「鹿児島での思い出も日記に書いてみたらどうかな。」 よしのぶ 「うん,そうするよ。ところでおじいちゃん,どうしてこの神社の地面には貝殻が落ちているのかな?」 おじいちゃん 「貝塚(かいづか)だからだよ。」 よしのぶ 「貝塚?」 おじいちゃん 「そう。ここは高橋貝塚といってな。今から40年くらい前に発掘調査があって,縄文時代の終わりごろから弥生時代の人たちが食べた貝の殻が捨てられた場所らしいよ。」 よしのぶ 「へぇー,そうなんだ。僕の住んでいる福岡にも弥生時代の遺跡があるんだって聞いたことがあるけど,何か関係があるのかな?」 おじいちゃん 「そういえば今,町内で発掘調査をやってるはずだから,一緒に行ってみよう!」 - ■貝塚は宝箱■
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調査員 「貝塚は全国で約3,000か所あるといわれているんです。高橋貝塚は吹上浜に近い場所にありますから,昔から貝がたくさん取れたんだと思います。」 よしのぶ 「貝以外のものは食べなかったのかな?」 調査員 「貝が主食だったのではなく,おそらく古代人は動物の肉や木の実,米や畑作物などの不足を補うため貝を食べていたのでしょう。貝はこれらの食料に比べて栄養価(カロリーなど)が低く,たくさん取って食べる必要があるからなんです。」 おじいちゃん 「貝塚って,昔の人々のゴミ捨て場なんですよね。」 調査員
「発掘調査では,現在のゴミ捨て場とはちょっと違う見方をするんですよ。日本では昔から火山活動が活発に繰り返されてきたため,土壌(どじょう)は酸性が強く,動物や魚の骨などは長い年月の間に土にかえってしまいます。ところが貝塚では,大量の貝殻で土壌がアルカリ性に保たれ,一般の遺跡では発見されにくいものが腐らずに残されています。考古学にとっては,まさに宝箱みたいな存在なんです。」 よしのぶ 「おもしろいなぁ。中には何が入っているんだろう?」 調査員 「それでは,宝箱のふたをあけてみることにしましょう。」 - ■貝の道■
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調査員 「高橋貝塚で発見された貝のなかに,ゴボウラ・オオツタノハというものがあります。これらの貝は奄美より南の,サンゴ礁の海でしか取れないものです。」 おじいちゃん 「…ということは,ここまで運んできた人たちがいるんですね。」 調査員 「そうなんです。もうひとつ興味深いのは,これらの貝で貝輪(かいわ)がつくられていることです。未製品(制作途中のもの)も,たくさん見つかっています。」 よしのぶ 「貝輪って何ですか?」 調査員 「今のブレスレット(腕輪)のようなものです。弥生時代になると,北部九州を中心に貝輪を身につける習慣がもてはやされ,なかでもゴホウラ製の貝輪が大切にされたようなんです。」 よしのぶ 「わぁ。福岡ともつながりがあったんですね。」 調査員 「はい。例えば飯塚市の立岩(たていわ)遺跡の甕棺(かめかん)というお墓には,貝輪を右腕に14個もはめた男性がほうむられていました。北海道でも貝輪が発見されているんですよ。」 よしのぶ 「飛行機やフェリーのない時代に,すいぶん遠くまで運ばれたんですね。」 調査員 「弥生人は丸木舟(まるきぶね)という舟で海を渡っていたと思われます。高橋貝塚の貝製品は,南海でとれた貝が舟によって運ばれ,加工された後,北部九州などへもたらされていたことを教えてくれました。考古学ではこういったルートのことを『貝の道』と呼んで研究しています。」 - ■米作りのあかし■
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調査員 「弥生時代の特徴のひとつに稲作があります。中国大陸や朝鮮半島から日本に伝わったと考えられています。昭和26年に福岡県の板付(いたづけ)遺跡から炭化した米や籾痕土器(もみこんどき)が出土したことによって,稲作文化の始まりが日本で初めて証明されたんです。」 よしのぶ 「籾痕土器って何ですか?」 調査員 「籾のあとがついた土器のことです。弥生人が土器づくりをしている時,近くにあった籾が偶然くっついてしまったんでしょうね。籾痕から米があったことがわかりますし,稲の種類を知るうえでも重要な手がかりを提供してくれます。」 おじいちゃん 「土器を細かく観察することが,大きな発見につながるんですね。」 調査員 「この発見以来,『弥生文化は北部九州から始まった』と考えられるようになりましたそして高橋貝塚でも板付遺跡とそっくりの土器が大量に発見され,その中には籾痕土器も含まれていたのです。」 おじいちゃん 「鹿児島でも早くから米作りが行われていた可能性があるんですね。」 調査員 「高橋貝塚では水田の跡こそ見つかっていませんが,石庖丁(いしぼうしょう)や農作業で使う道具(クワやスキなど)を作るための抉り入り石斧(えぐりいりせきふ)・ノミ形石斧(のみがたせきふ)などの石器が発見されています。さらに,米を貯蔵(ちょぞう)するための甑(こしき)という土器も出土していますから,米作りの証拠はほとんどセットでそろっています。」 - ■水田跡の発見は?■
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よしのぶ 「水田跡が見つかった遺跡はないんですか?」 調査員 「鹿児島大学構内(かごしまだいがくこうない)遺跡で,弥生時代中期の水田跡が発見されています。水路に利用された溝や稲の切り株の跡,人の足跡らしいものも見つかっています。遺跡が低湿地(水気の多い低い土地)にあるため,台地の遺跡では発見されにくいものが水にパックされた状態で見つかっています。貝塚が宝箱なら,こちらは天然の冷蔵庫といった具合でしょうか。」 よしのぶ 「遺跡のある場所によって,いろいろ違いがあるんですね。」 調査員 「今後,低湿地の発掘調査が行われた場合,水田跡が発見されるかもしれません。しかし,今までに発掘された遺跡で,高橋貝塚と同じ時期のものは決して多くはないんです。そういった意味から,高橋貝塚は鹿児島県の弥生時代研究の中心となっています。」 - ■米作りが始まって何年?■
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おじいちゃん 「きょうは,いい勉強になったね。」 よしのぶ 「うん。今から2,000年以上前の時代には,米作りが始まっていたんだね。…。おじいちゃん,なんだか僕,おなかすいちゃった。」 おじいちゃん 「それじゃ,晩ご飯にしよう。米作りから始まって数えて何回目の収穫になるのかな。さあ,とれたての早期米で炊いたご飯だよ。」 よしのぶ 「いただきまーす!」 …今日のお米の味は,なんだか弥生の味のように感じられました。 - ◆籾痕土器の出土した遺跡
高橋貝塚(金峰町) 下原遺跡(金峰町) 市ノ原遺跡(東市来町) 魚見ケ原遺跡(鹿児島市など) - ◆高橋貝塚出土の自然遺物 (発掘調査による)
○貝類 ナガガキ・オシジミ・ハマグリ・マシジミ・タケノカワニナ・ウミニナ・マルタニシ
ギンタカハマ・ウスカワマイマイ・アズキガイ・ゴホウラ・オオツタノハなど43種類○魚類 サメ・サバ・スズキ・エイ・マダイ ○ほ乳類 イノシシ・シカ・イヌタヌキ・アナグマ・テン・ノウサギ・サル・クジラ ○ハ虫類 ウミガメ - 用語解説
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石庖丁 長方形や半月形をした扁平(へんぺい)な石器で,長い辺の片方だけ刃がつくられています。稲などの穂をつみとるための道具です。 抉り入り石斧 長方形の柱状の形をした石器で,柄(え)を固定するためのえぐり(くぼみ)を持つ石製の斧(おの)です。木材の加工に使われました。 ノミ形石斧 大工道具の鉄製のノミに似ていることからつけられた名前で,木材を平らにするために使われた石斧です。別名石ノミとも呼ばれます。 甕棺 大型の甕形土器(かめがたどき)の棺(ひつぎ)のことです。 - (文責)三垣 恵一