鹿児島県上野原縄文の森 (公財) 鹿児島県文化振興財団上野原縄文の森 埋蔵文化財情報データベース 鹿児島県立埋蔵文化財センター (公財) 鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター
MENU

鹿児島県上野原縄文の森

鹿児島県上野原縄文の森 HOME 公財 鹿児島県文化振興財団鹿児島県上野原縄文の森 埋蔵文化財情報データベース 鹿児島県立埋蔵文化財センター 公財 鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター

考古ガイダンス第6回

  • 縄文の風 かごしま考古ガイダンス
    第6回 南九州西回り自動車道関係遺跡
  • ■発掘された26の遺跡■
  • 南九州西回り自動車道(鹿児島から川内間)建設予定地内には31の遺跡が存在します。道路建設工事に先立ち遺跡の発掘調査は平成3年から計画的に行われ,調査の結果,旧石器時代から中・近世にかけての遺構や遺物が発見され多くの成果を得ました。
  • ■縄文早期前葉の拠点集落■
  • 永迫平遺跡の全景
    永迫平遺跡の全景
    前原遺跡の縄文早期の竪穴住居跡群
    前原遺跡の縄文早期の竪穴住居跡群
  • 伊集院町永迫平遺跡は旧石器時代から近世にかけての複合遺跡です。特に縄文時代早期については目をみはるものがあります。遺構としては,竪穴住居跡(9軒 )をはじめ集石(12基) ・連穴土坑(3基)・土坑 (487基)等があります。竪穴住居跡は保存状態が良好で,周囲には住居に関連する小柱穴も多数検出されています。遺物は,前平式土器を中心に石鏃,打製・磨製石斧,台形状に加工した石皿等が出土しています。

    松元町前原遺跡では縄文時代早期の前平式土器に伴う竪穴住居跡が26軒,連穴土坑(5基),土坑(211基),集石(28基)が発見され,また水場へ続くと考えられる道跡も検出されました。これは縄文時代早期の集落構成を考える上で貴重な資料です。

    縄文時代早期前葉(約9,500年前)の薩摩半島において,広域的な広がりの中で定住生活が営まれていたことが窺えます。これらの遺跡から立地や周辺の環境・遺構や出土遺物など,霧島市上野原遺跡との共通性が見られ,これらの3つの遺跡は極めて近い関係にあると言えます。
  • ■西日本を代表する後期旧石器時代の複合遺跡■
  • 旧石器時代面の検出状況(前山遺跡)松元町前山遺跡は約25,000年前に噴出した姶良丹沢火山灰・入戸火砕流層(シラス)を境に,下層に台形石器やハンマーストーン,上層に細石器とナイフ形石器等が出土し,旧石器時代の道具の変化を知る上で貴重な遺跡です。
    仁田尾遺跡は松元町石谷字仁田尾に所在し,旧石器時代から平安時代までの複合遺跡です。特に,西日本最大級の規模を誇る細石器文化期とナイフ形文化期の遺物は,当時の様子を知る貴重な資料を提供するものです。
  • 【写真 旧石器時代面の検出状況(前山遺跡)】
  • そのほかにも薩摩火山灰層(約11,500年前)直下からは,縄文時代草創期の無文土器や石鏃も出土しています。
  • ■苗代焼最古の窯■
  • 移設展示されている堂平窯跡これまで紹介した遺跡は,今はすでになくなってしまって見ることができませんが,発見された遺構を移設して保存されている遺跡もあります。東市来町美山の堂平(どうびら)窯跡は,平成10年に調査を行いました。

    堂平窯は慶安元年(1648年)に薩摩藩の御用窯として開窯されたといわれています。窯の構造は長さが約30メートル,幅が1.2メートル,傾斜角17度の半円筒形をした単室傾斜窯です。床面は5回の造り替えをした跡が観察できます。窯の北側には平坦地があり,ここでは多くの柱穴や,石囲いの穴,素掘りの穴などが発見され,窯に伴う作業場の可能性が高いと思われます。

    出土品には薩摩焼の黒ものを主に,甕・壺・徳利・鉢や窯道具・動物形土製品等があります。白ものもわずかに焼かれていました。
  • 【写真 移設展示されている堂平窯跡】
  • 特に注目されるのは瓦(軒丸瓦・軒平瓦・丸瓦・平瓦の陶器瓦等)の生産であり,これらは鶴丸城及び周辺で使われたとも言われています。
    この遺跡は調査終了後,美山の陶遊館近くに移設されており,現在でもその姿を見ることができます。
  • ■時代別の住み分けが概観できる遺跡■
  • 池之頭遺跡の発掘調査風景最後にこの堂平窯跡の北側に所在する,池之頭遺跡について紹介します。
    この遺跡は東シナ海から直線距離にして約2.5キロメートルの内陸に位置し美山池北西部の標高約80から100メートルのシラス台地の尾根部にあたります。調査は,平成10年8月末から翌11年3月末まで行われました。
  • 【写真 池之頭遺跡の発掘調査風景】
  • 池之頭遺跡は地形的に大きく4つに分けられ,シラス台地の尾根部・尾根を挟む南側斜面及び北側斜面・さらに南斜面の裾にあたる平坦部から成っています。 南平坦部からは薩摩火山灰層(約11,500年前)の下にあたる通称チョコ層から旧石器時代の細石刃・細石刃核をはじめ剥片・砕片が多く出土しました。南斜面・尾根・北斜面では古墳時代の成川式土器が多量に出土しました。
  • 器種も甕形土器・壺形土器・高坏形土器・坩形土器等と多彩です。また,南平坦部から南斜面にかけては,縄文時代早期の前平式土器・吉田式土器・石坂式系土器などの土器が出土しました。さらに縄文時代中期・後期と考えられる土器片も少量ですが見られます。

    遺構は,縄文時代早期の集石(石蒸し料理の施設と考えられている)5基が検出されました。しかし,今回の発掘調査では,竪穴住居跡等は発見することはできませんでした。
    これらの遺跡全体を概観すると,旧石器時代・縄文時代・古墳時代とひとつの丘陵の中でそれぞれ住み分けをしたことがうかがわれ,同じ丘陵上での時代別の変遷を知るうえで貴重な資料であると言えます。
  • (文責)宮田 洋一