久保田牧遺跡(鹿屋市吾平町)現地説明会
11月14日(土)に,久保田牧遺跡(鹿屋市吾平町)で現地説明会を行いました。
久保田牧遺跡は,大隅縦貫道の建設工事に伴い,令和元年度から発掘調査を行っている遺跡です。現地説明会では,古墳時代の竪穴建物跡や古代・中世の溝跡・掘立柱建物跡を紹介しました。
また,地層の説明,出土した遺物の展示も行いました。
今回は,新型コロナウイルス感染症対策のため,地元の自治会と小中学校にのみ事前に案内を出していましたが,139人の参加者がありました。参加された方々は,約7,300年前の大噴火による火山灰や約6,400年前の池田湖の大噴火で噴出した軽石等が地層となっていることや建物跡等について,担当者からの説明に熱心に耳を傾けられており,古代の吾平の様子を直接感じていただけたようでした。
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国内最古の落とし穴~立切遺跡(中種子町)~
Ⅰ.海上の道
鹿児島市を起点に,沖縄に向かう国道があるのをご存じでしょうか?
国道58号線は,鹿児島の偉人,西郷隆盛の銅像がある場所からほど近く,「朝日通り」と呼ばれる道路から,種子島,奄美大島を経て沖縄県那覇市まで続く国道です。鹿児島市では陸上分は700mほどで,海上の航路部分も国道扱いになっていて,種子島,奄美大島を経て沖縄に続いています。海上区間(約600km)を含めると総延長は880kmあり,海上区間を含む国道としては,国内最長なんですって。
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Ⅱ.発見された国内最古の落とし穴
立切遺跡(大津保畑地区)は,その国道58号線の改築工事に伴って,平成18年度~平成19年度に発掘調査が行われました。
遺跡は種子島中央部(中種子町坂井)にあり,標高112mの台地上に立地しています。平成18年度から19年度にかけて行われた発掘調査で,国内最古とみられる旧石器時代の落とし穴が12基発見され,注目を集めました。
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Ⅲ.遺構の特徴
発見された落とし穴遺構(遺構=地面に残された生活の痕跡)は,発掘調査の結果,ほとんどが直径1mほどで上部がラッパ状に開く形をしていて,深さも1mほどのものでした。底が丸い形をしているのが特徴で,同じような形をした遺構がまとまって見つかりました。
最上部には種Ⅳ火山灰といわれる約35,000千年前の火山灰がレンズ状に堆積していて,この火山灰が降った頃には,ほとんど埋まりかけていたようです。この火山灰によって,発見された遺構は,この火山灰とほぼ同時期(約35,000年前)ということが分かるわけです。
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Ⅳ.比較と検討
では,どうして落とし穴と分かったのでしょうか?
静岡県などでは,この時代の落とし穴が発見されています。立切遺跡の事例と直径はほぼ同じですが,深さは約2mとかなり深いことが分かります。こうした深い穴が台地上に並んで構築されていることから,落とし穴と考えられているのです。
立切遺跡の事例は,こうした事例と比較するとかなり浅いものです。また南九州では縄文時代早期(=約10,000年前)になると数多くの落とし穴が発見されていますが,こうした縄文時代早期の落とし穴と比較してもやや小ぶりで浅く,また逆茂木の痕跡が見られないなど,構造上の特徴には大きな違いがありました。
調査担当者は,立切遺跡(大津保畑地区)の事例は上部がラッパ状に開く点や遺構が見つかった層には周囲に石器や調理施設などの生活痕跡がみられないことなどから,落とし穴の可能性が高いと結論づけましたが,発見された遺構はこれを本当に落とし穴と考えてよいか,その後も懐疑的な意見があったことも事実です。
こうしたことから,平成20年から,中種子町教育委員会が遺跡や遺構の性格を評価するための発掘調査を継続して行うことになりました。
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Ⅴ.追加調査の努力と成果
平成20年から中種子町教育委員会によって行われた発掘調査では,大変重要な成果が発見されることになります。それまでに遺構が見つかってた大津保畑地区だけでなく,周辺の広い範囲に,同じような遺構が広がっていることが分かりました。
加えて当時の周辺地形も復元され,当時周辺に広がっていた浅い谷状の地形にそって,こうした遺構が構築されていることが分かりました。台地上に列状に配置された静岡県の事例とは異なりますが,地形に沿った配置の特徴から,落とし穴である可能性がさらに高まりました。こうした調査の成果によって,現在ではこの大津保畑地区で発見された遺構は,落とし穴とみてよい,というのが大方の研究者に支持された見解となっています。
立切遺跡群は,少し離れた地点(=立切地区)で,生活の痕跡を示す礫群(=調理施設)や焼土跡(=炉跡)が発見されています。こうしたことから,3万年以上前の生活と狩猟の場をセットで知ることができる遺跡として,さらに高い評価を受けることになりました。
Ⅵ.「今も昔も最先端」種子島の歴史を将来に
立切遺跡群は,こうした評価を受けて,平成27年に県史跡として指定されることになりました。花粉分析の結果,遺跡周辺には現在と同じような照葉樹林が広がっていたことが分かっています。
立切遺跡からは,そうした環境の中で,狩猟や植物の加工などを行い,日々の暮らしを営んでいた当時の人々の姿が浮かび上がります。集落の少し離れた森の中に落とし穴をつくり,時々見回りながら,周辺の環境を上手に利用して暮らしていたのでしょう。
サトウキビが広がる畑の下には,はるか昔の人々の痕跡が,今でも眠っているのです。
種子島には,立切遺跡群のほかにも,南種子町横峯遺跡など同じ時期の遺跡が発見されています。この時期の遺跡は宮崎県や静岡県で多く見つかっていますが,種子島もこの時期の遺跡がたくさん残されている地域のひとつです。
また,当時は,今と同じように九州や外の島とも海で隔てられていたと考えられています。そうした場所に人々が暮らした痕跡があるということは,当時種子島に人々が到達する手段があった(=舟などを造って海を越える手段が既に存在していた)ということも示しています。
現在の種子島には,国内最長の海上国道である国道58号線が通っていますが,ひょっとすると,35,000年前にも,海上の移動ルートが存在していて,当時の文化を携えた人々が種子島にも来て日々の暮らしの拠点にしていた,そんな想像を膨らますのも楽しいかもしれません。
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文責 馬籠亮道
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曽於市立大隅中学校での出前授業
11月2日に,曽於市立大隅中学校でワクワク考古楽(出前授業)を学年ごとに実施しました。体育館で授業を行いましたが,少し肌寒い日で体育館の床も冷たく感じました。それでも生徒たちは,しっかりと私たちの話を聞いてくれました。
学習の内容は,まず県立埋蔵文化財センターの業務と役割を説明しました。その中で,上野原遺跡や鹿児島城の御楼門の復元,明治日本の産業革命遺産の世界遺産登録などに,発掘調査の成果が生かされていることを紹介しました。
次に,5月・6月に行った学校近くの岩川官軍墓地(西南戦争時の政府軍墓地)の調査を説明しました。西南戦争に関係する史跡が,身近な地域に残っていることに興味を持ってくれたのではないかと思います。
さらに,東九州自動車道建設に伴い発掘調査を行った定塚遺跡(曽於市大隅町)で出土した,本物の縄文時代の土器(角筒形やレモン形)や大きな石皿などを持っていき,紹介しました。生徒たちは実際に遺物に触れる活動を通して,歴史を感じているようでした。
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埋文だより第83号~河口貞徳とかごしまの考古学~ほか
ワクワク考古楽in廣牧遺跡
10月21日,鹿屋市立吾平小学校の6年生が理科の授業の一環で,学校の近くで発掘調査を行っている廣牧遺跡の見学にやって来ました。今回のワクワク考古楽では,主に地層(土層)の成り立ちを学ぶ活動を中心に実施しました。
始めに,廣牧遺跡について紹介しました。発掘調査の様子を間近で見ることができ,昔の人々の暮らしの様子を聞いて,子どもたちは驚いていたようでした。
次に,6,400年前の池田火山灰(池田湖由来の火山灰),7,300年前のアカホヤ火山灰(鬼界カルデラ由来,現在の三島村硫黄島など)の地層を観察しました。子どもたちは,それぞれの火山灰の説明を興味深く聞いていました。
また,火山灰を採取したり,顕微鏡で観察したりしました。本物の火山灰に触れる活動を通して,理科の学習内容の定着に役立ったのではないでしょうか。
地層の学習以外にも,土器や石器などの遺物,実際の発掘調査についても質問があり,学習意欲の高さが伝わってきました。
今回の様に,学校の近くで発掘調査がある際は,学習の一環として見学が可能です。身近な遺跡を,ぜひご活用ください。
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文化庁への要望活動オンライン
「全国公立埋蔵文化財センター連絡協議会」は,全国の自治体設立による埋蔵文化財センターや出土品管理センターなどが参加し,埋蔵文化財の保護・活用・調査研究の充実と情報交流を目的として設立された組織です。令和元年度から,鹿児島県立埋蔵文化財センターが事務局を務めています。
10月12日,その連絡協議会の業務の一環として,文化庁への要望活動を行いました。今回は新型コロナウイルス感染症対策として,文化庁と当センターをインターネットでつなぎ,オンラインで実施しました。
本格的な双方向オンライン会議は,当センターでも初めての試みでしたが,お互いの顔を見ながら話し合いを順調に進めることができました。
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曽於市立笠木小学校での出前授業
10月8日,曽於市立笠木小学校の5・6年生(8名)と3・4年生(11名)に,ワクワク考古楽(出前授業)を実施しました。
笠木小学校は,笠木遺跡の中にあり,校舎の建設に伴って2005年に調査が行われました。児童たちは自分たちの校舎が遺跡の上に建っていることを知ると,とても驚いていました。その時に出土した土器や石器を直接手に取って触れることで,より関心が深まった様でした。
また,5月に調査を行った岩川官軍墓地(曽於市大隅町)の調査成果を紹介しました。大隅町や笠木周辺で,西南戦争の戦いが行われていたことや,岩川に政府軍の墓地があることに興味津々でした。
その後,地層観察を行い,桜島や鬼界カルデラの火山灰が厚く積もっていることを調べたり,地層から土器を見つけたりと,理科や社会の学習に対しても理解が深まっていたようでした。
さらに,火起こし体験も楽しく行うことができました。
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指導案はこちらからダウンロードできます |
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新城跡・北山遺跡・諏訪ノ前遺跡の確認調査
新城跡・北山遺跡・諏訪ノ前遺跡は,阿久根市山下にある遺跡です。令和2年9月1日から同月28日まで,南九州西回り自動車道建設に伴い,事前調査を行いました。
トレンチ(確認用の穴)を設定して調査を行ったところ,いくつかのトレンチ内でピット(柱穴跡)が確認できました。また,陶磁器や土師器などの遺物も出土しました。
今後行われる本調査に向けて,重要な情報を得ることができました。
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大学生のインターンシップ
9月14日から18日までの5日間,鹿児島大学理学部の学生2人が当センターでインターンシップを行いました。
今回は理系の学生ということで,主に鉄器処理や木器処理などの保存・分析業務を体験してもらいました。2人とも,業務に熱心に取り組んでいました。最終日には,このインターンシップで学んだことをプレゼンにまとめ,発表を行いました。
また,業務を通して,仕事に関する姿勢や自分の進路について改めて考えることができたようです。
この経験が,2人の進路選択や就職,これからの生き方について役立てば,大変ありがたいことです。
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第6回 「重要文化財~鹿児島県三角山遺跡出土品」
はじめに
鹿児島県種子島の西之表市と中種子町の接する丘陵地帯に,三角山遺跡群があります。新種子島空港の建設に先立って,平成7年度から平成14年度まで発掘調査が行われました。調査の結果,縄文時代草創期から古代まで各時代の遺構や遺物が出土しました。特に,桜島の大噴火による薩摩火山灰層(約12,800年前)の下から,縄文時代草創期の遺構,遺物が多数発見され,多く方々の関心を集めました。
これらの出土遺物のうち,全形が復元できる多数の隆帯文土器や,文様の構成がよくわかる大型土器片に加えて,それらに伴う石器など,「土器・土器片」160点,「石器」144点,「附石核・剥片」60点の計364点が,「縄文時代草創期の南九州における生活・文化の様相を知る上で,学術的価値が高いものである」として,令和元年7月23日,国の重要文化財に指定されました。
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貴重な遺構と遺物
縄文時代草創期では,竪穴住居跡2基やたくさんの集石・土坑などの遺構,2万点を超える土器や石器などの遺物が発見されました。竪穴住居跡は直径2m程度で,2基が隣り合っていました。その一つの中央には火をたいた跡がありました。床面に接して出土した土器片や石鏃などもあり,当時のくらしを知る上で貴重な資料です。
また,遺跡内では,バラバラになった土器片が集中して出土した場所が多数確認されています(図1)。それらを水洗いし,丁寧に接合していくと,それぞれが一つの土器として,いにしえの姿を現しました。ほぼ完全な形に復元できた土器は16点。この時期の遺跡としては驚くべき数です。
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多彩な隆帯文土器
発見された土器は,南九州の縄文時代草創期を代表する隆帯文土器です。隆帯文とは,口縁部周辺にぐるりと粘土の帯を1~6条まわし,指先や貝殻などを押して模様をつけたもので,中には横だけでなく縦の帯や沈線のある土器もあります。形も尖底からサラダボウルのような丸底,中には底部中央が内側にせり上がった茶碗のようなものまで,非常に多彩です。
また,器の内外にススや炭化物が付着した例が多いことから,実際に煮炊きに使われたものと考えられています。放射性炭素年代測定の結果(補正)は,紀元前12,140~11,830年で,縄文時代草創期末にあたります。
このように,当時の生活の様子を如実に示す貴重な資料であることから,国の重要文化財に指定されました。
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手作りの「服」を着ていた? 縄文時代草創期の人々
出土した土器の底に「もじり編み」と思われる圧痕のある隆帯文土器が1点あります。織物の痕跡としては,日本最古級の資料です。当時の人々が植物からとった繊維で織物を作り,土器を作る際の敷物にしていたことがわかります。植物の繊維を工夫して,”縄文服”も着用していたのかも知れません。
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断面の薄い大型土器
三角山遺跡群の土器の中で最大級の大きさで,直径35cmを超えます。隆帯は6条。ヒダのある貝殻を押し当ててつけられた美しい文様で,指紋や爪の跡まで観察できます。
サラダボウルに似た形で,大型にもかかわらず,厚みもできるだけ薄く作ろうと努力した様子がうかがえます。この薄さで長期間の使用に耐えられるのか心配してしまいますが,後から薄い断面を観察できるように,一部分を開けた状態で復元しました。
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磨製石鏃
三角山遺跡群では,特徴的な石器も出土しています。写真の磨製石鏃は,ホルンフェルスや頁岩を磨いて形作っていますが,一般的な石鏃より厚みが薄いようです。穴が開けられたものもあり,どのように使用されたか注目されます。
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おわりに
種子島空港ロビーの一角に三角山遺跡群のコーナーがあり,遺跡の紹介をしています。実物こそ県立埋蔵文化財センターにあるものの,これらのパネルを見て,地域の方々だけでなく,種子島を訪れた人にも,悠久の歴史に触れる機会になってくれればと思います。
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文責 藤﨑光洋