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カテゴリー: 鹿児島県立埋蔵文化財センター

第2回「鹿児島県の製鉄・鍛冶遺跡」

Ⅰ.製鉄・鍛冶とは

  1.  製鉄とは,鉄鉱石や砂鉄などの材料から鉄製品の材料となる鉄を作る作業のことを言い,製錬(せいれん)とも言います。この製鉄によって鉄塊という鉄製品を作る基ができます。鉄の原材料の一つである砂鉄は,鹿児島では特に種子島産が有名です。
  2.  鍛冶とは製鉄によりできた鉄塊から鉄製品を作る作業のことです。鉄塊から不純物を取り出す精錬鍛冶と,鉄を加熱して叩いて鉄製品を作る鍛錬鍛冶の2つに分けられます。皆さんがテレビなどでよく見る鉄をハンマーで叩いているシーンは鍛錬鍛冶になります。昔の人々はこの鍛冶により生活に必要な鍋,農業で使う鎌・鋤・鍬など,武器である剣・刀・鏃などを作ったり,修理したりしていました。

Ⅱ.鹿児島県の製鉄遺跡

  1.  鹿児島県では10年程前までは中世(鎌倉時代~室町時代)以前の古い製鉄遺跡は発見されていませんでした。唯一,南大隅町に13世紀(鎌倉時代)の製鉄遺跡ではないかとされる炭屋製鉄遺跡がありますが,出土している遺物は18世紀(江戸時代)の物なので,はっきりはしていません。鹿児島では南九州市知覧にある近世(江戸時代)の厚地松山製鉄遺跡などが有名でした。
  2.  ところが,ここ10年程でまずは奄美諸島の喜界島(地図中①)で相次いで製鉄遺跡が見つかりました。喜界町大ウフ遺跡では製鉄作業の時に出る製錬滓が出土し,前畑遺跡では砂鉄が出土しました。どちらも10~12世紀(平安時代~鎌倉時代の初め)と考えられています。また,崩リ(くんでぃー)遺跡からは11世紀末~12世紀と考えられる製鉄炉の炉跡や製錬滓が出土しました。
  3.  喜界島での製鉄遺跡の発見から数年後,鹿屋市串良町細山田にある川久保遺跡(地図中②)で7世紀後半~8世紀(飛鳥時代~奈良時代)の製鉄炉が出土しました。また,志布志市の上苑A(うぇんそん)遺跡(地図中③)からも6世紀末~7世紀(古墳時代~飛鳥時代)の土器とともに製錬滓が出土しました。
川久保遺跡 製鉄関連遺構(土坑270号・271号)

Ⅲ.鹿児島県の鍛冶遺跡

  1.  鍛冶作業は製鉄作業と違い,材料となる鉄塊さえあれば作業ができるため,鹿児島県でも古くから見つかっています。鍛冶を行っていた鍛冶炉は指宿市橋牟礼川遺跡(地図中④)で8世紀のものが,薩摩川内市の鍛冶屋馬場遺跡(地図中⑤)で10世紀中ごろ,日置市の犬ヶ原遺跡(地図中⑥)で11~12世紀のものがそれぞれ見つかっています。また,最近では製鉄遺跡でも紹介した川久保遺跡でも鍛冶炉を持つ2基の竪穴建物跡が見つかっています(4~5世紀)。
  2.  また,鍛冶炉自体は見つかっていませんが,たくさんの遺跡で鍛冶作業に関わる遺物である鉄滓(鍛冶作業の時に出る不純物のかたまり)や,鞴(ふいご)の羽口(鍛冶炉に空気を送り込む送風機の部品)といったものが出土しています。なかには鹿屋市王子遺跡(地図中⑦)のように弥生時代の遺跡から鉄滓が出土している例もあり,鍛冶作業は弥生時代から行われていたことが分かります。

文責 岩永勇亮

川久保遺跡 16号竪穴建物跡(鍛冶建物)
川久保遺跡出土 鞴の羽口 上から(転用品)
川久保遺跡出土 鞴の羽口 横から(転用品)

 

令和2年度 第1回「河口コレクション」展示 ~洞穴遺跡~

 5月15日に,上野原縄文の森で展示している「河口コレクション」コーナーの入れ替えを行いました。

 日本考古学協会は,1962(昭和37)年,洞穴遺跡調査特別委員会を設置して全国各地の洞穴遺跡を発掘調査し,その成果は1967(昭和42)年に『日本の洞穴遺跡』として刊行されました。この中には,河口氏が中心となって調査した「黒川洞穴(日置市)」と「片野洞穴(志布志市)」が紹介されています。

 今回は,「河口コレクションの中の洞穴遺跡」と題して,前述の2遺跡に加え,「鍋谷洞窟(姶良市)」と,今年,4月28日付でその出土品が鹿児島県の指定文化財となった「中甫洞穴(知名町)」の4遺跡を紹介しています。

 洞穴遺跡は,土の堆積が緩やかであり,各時代の土層が細かく分かれているので,層ごとの遺構や遺物を把握しやすく編年研究に適しています。また,酸性の火山灰にさらされることが少ないので,人や動物の骨,骨角器や貝製品の残りが良く,情報量が豊富です。

 ぜひ,上野原縄文の森で,ご覧ください。

展示期間
令和2年5月16日(土)~令和2年9月18日(金)

岩川官軍墓地の調査

5月18日から,岩川官軍墓地(曽於市大隅町岩川)の確認調査が始まりました。岩川官軍墓地は,1877(明治10)年の西南戦争で亡くなった官軍(政府軍)の戦死者を埋葬した墓地です。陸軍大尉山形照方の墓石のほか,約80基が残っています。

確認調査では,墓石の大きさや配置を記録したり,トレンチ(調査のための穴)を掘って,墓地が作られた当時から現在までの土地の変化を確認したりする予定です。

 

第1回「令和元年度に埋蔵文化財センターが調査した主な遺跡」

廣牧遺跡(ひろまきいせき)

 鹿屋市吾平町の姶良川と大姶良川に挟まれたシラス台地に立地する遺跡です。平成30年度から主要地方道鹿屋吾平佐多線(吾平道路)の建設に伴い,発掘調査が行われています。
 縄文時代晩期から弥生時代前期(約3,000~2,400年前)の地層の中に,遺物が集中して出土する場所がありました。そこの浅い掘り込みの中から刻目突帯文土器の破片と共に5点の打製石斧が重なった状態 (集積遺構)で出土しました。 これらは,石斧というよりも土掘り具と考えられる石器ですが,なぜ5点もそろえて埋めてあったのか,興味が持たれるところです。
 この土掘り具と考えられる石器は,畑などを耕したり,地中で育った植物食料を収穫したりする際の道具ではなかったかといわれており,この地域で農耕が営まれていた可能性を感じさせる遺物として注目されます。

遺跡の位置
積み重なって見つかった打製石斧

久保田牧遺跡(くぼたまきいせき)

 廣牧遺跡と同じく,鹿屋市吾平町にある遺跡です。縄文時代早期(約8,000年前)の集石遺構や土器・石器,古墳時代(5~6世紀)の大型竪穴建物跡,中世(12~15世紀)の掘立柱建物跡などの遺構・遺物が発見されており,大隅半島南部の先史・古代の人々の様子がわかる貴重な遺跡です。また,池田湖の大噴火による噴出物(約6,300年前)の堆積も観察できます。
 古代(9~10世紀)の地層からは,墨書土器(墨で文字が書かれた土器)が見つかりました。はっきりとは読み取れませんが,当時の人々の生活の中で,文字が使われていた可能性を示す資料です。

遺跡の位置
墨で文字が書かれた土器

 

牧B遺跡(まきびーいせき)

 曽於市末吉町にある遺跡で,県道飯野松山都城線(末吉道路)改築に伴い,令和元年6月から10月まで調査を実施しました。
 縄文時代後・晩期(約3,300~2,800年前)の遺物を含む地層を掘り下げたところ,約500点の土器や石器が出土しました。また,中央に土坑のある住居状の遺構が1基検出され,縄文時代後期(約3,300年前)の御領式土器や軽石,磨石,炭化物などが出土しました。
 縄文時代早期(約9,000~8,000年前)の遺物を含む地層からは,下剥峯式土器や押型文土器,塞ノ神式土器,石鏃,スクレイパー,磨石などが出土しました。

遺跡の位置
土器や石器が出土した竪穴建物跡

笠取戦跡(かさとりいくさあと)

 霧島市牧園町三体堂付近(標高 296m)の尾根に位置しています。西南戦争時の1877(明治10)年7月に,薩軍が堡塁(ほうるい),塹壕(ざんごう)を構築して陣を構え,官軍との激しい戦いが行われました。
 このような堡塁跡は ,地元有志の方々によって, 牧園や横川を中心に約300基確認されています。調査を行った地点では,大型(長さ 10m・幅6m)の半円形堡塁が3基と,タコツボ形堡塁4基の計7基の堡塁を確認できました。
 これらは,官軍が攻めてきたと考えられる北側方面に対して守備しており,高台から下の道路を一望できます。

遺跡の位置
今も残る堡塁跡

鹿児島(鶴丸)城跡(かごしま(つるまる)じょうあと)

 鹿児島市城山町にある近世薩摩藩の本城跡で,鹿児島県歴史・美術センター黎明館が建っている場所が,ほぼ本丸の跡になります。
 御楼門建設や石垣整備等のために,平成27年から発掘調査を行っています。城の範囲を確認するために実施した令和元年度の発掘調査では,納戸や長屋など,建物の基礎と考えられる遺構が確認できました。
 また,これまでの発掘調査で得られた成果から,令和2年4月に完成した御楼門の鬼瓦などが復元されています。

遺跡の位置
石で作られた排水溝跡や建物の基礎

 

令和元年度刊行報告書

令和元年度に刊行した報告書を,公開しました。
以前の報告書は,「年度別 発掘調査報告書一覧」からご覧ください。

令和元年度

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(201)「出水貝塚」
松山初音・大保秀樹

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(202)「中津野遺跡」
鮫島えりな・湯場﨑辰巳・大保秀樹

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(203)「木佐木原遺跡」
黒木梨絵・宮﨑大和

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(204)「宇都上遺跡」
藤島伸一郎・株式会社パスコ(池畑耕一・関口昌和・関口真由美)

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(205)「鹿児島(鶴丸)城跡」
永濵功治・阿比留士朗・藤﨑光洋・山崎克之

『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(25)「細山田段遺跡1」
鶴田靜彦・森えりこ

『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(26)「小牧遺跡1」
田中時太郎・北園和代

『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(27)「永吉天神段遺跡5 第2地点-3」(第1分冊)
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(27)「永吉天神段遺跡5 第2地点-3」(第2分冊)
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(27)「永吉天神段遺跡5 第2地点-3」(第3分冊)
横手浩二郎・相良典隆・株式会社パスコ(池畑耕一・関口真由美・関口昌和・翁長武司・松村由記・飯野拓哉)

『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(28)「宮脇遺跡」
抜水茂樹・上床真

『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(29)「六反ケ丸遺跡1」
平木場秀男・倉元良文・有馬孝一

『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(30)「牧山遺跡2」
堂込秀人・本髙謙治・有馬孝一

『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(31)「川久保遺跡2 B・D地点」
楸田岳志・中村有希・横手浩二郎

『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(32)「春日堀遺跡1」
川口雅之・木之下悦朗・福永修一・馬籠亮道

『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(33)「安楽小牧B遺跡(小牧古墳群)」
抜水茂樹・北園和代・馬籠亮道

『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(34)「安良遺跡」
上床真・小田裕人

研究紀要第12号

鹿児島県における縄文土器の実年代 -土器付着炭化物放射性炭素年代測定値から-
川口 雅之,黒木 梨絵,立神 倫史

天神段遺跡・宮脇遺跡出土試料の炭素14 年代測定 -大隅地方中部における押型紋土器の年代的位置付け-
中央大学 小林 謙一,立神 倫史

弥生時代におけるいわゆる樹皮布叩石の再検討 ―三次元記録と観察から―
鹿児島国際大学 中園 聡,太郎良真妃,平川ひろみ,若松花帆,下小牧 潤

遺物3Dデータ(PDFデータです。右クリック等でダウンロードして保存後,開いてください)
王子遺跡_454
王子遺跡_633
王子遺跡_1322
王子遺跡_1323
王子遺跡_1324
持躰松遺跡_595
持躰松遺跡_598
芝原遺跡_砥石
田原迫ノ上_1159

鹿児島県における弥生時代の周溝状遺構に関する基礎的研究 -周溝状遺構の集成と考察-
湯場﨑 辰巳

鹿児島城跡元禄以降の石垣について
阿比留 士朗

 


平成30年度年報

整理作業開始

 埋蔵文化財センターでは,発掘現場から持ち帰った遺物や図面,写真などを整理(遺物の接合や復元,実測図作成など)し,遺跡の内容や様子を正確に記録し,後世に伝えるために,調査報告書を作成します。

 整理作業は,埋蔵文化財センターの職員に加え,補助事務員(会計年度任用職員)の方々を任用し,遺跡ごとにチームを作って進めています。

 4月14日,今年度の開始式がありました。今年は,新型コロナウイルス感染症拡大防止のため,センター2階の外にある「大地の広場」行いました。朝の屋外ということで,やや肌寒さがありましたが,新鮮で開放的な式になりました。
 
 こうして,本格的な整理作業が始まりました。各遺跡,報告書作成に向けて1年間取り組んでいきます。

 ※ 新型コロナウイルス感染症拡大防止のため,現在整理作業の様子は見学できません。

春は,別れと出会いの季節

 埋蔵文化財センターでは,令和元年度の人事異動で8名の転退職があり,3月31日に離任式と出発式を行いました。
 これまでセンターの業務に大いに貢献された方々です。きっと新しい職場でも,ご活躍されることと思います。

 そして,4月1日に新任式を行い,新しい職員を迎えました。埋蔵文化財の仕事が全く初めての方もいらっしゃれば,懐かしい方もいらっしゃいました。
 こうして全職員がそろい,令和2年度がスタートしました。

 これからも,埋蔵文化財の発掘調査を実施するとともにその保護に努め,文化財に対する普及・啓発を進めてまいります。よろしくお願いいたします。

(今回の離任式・出発式・新任式は,新型コロナウイルス感染症対策のため,規模縮小・時間短縮で実施しました。)

離任式
出発式
新任式