垂飾品の材料は?(尾付野山遺跡:さつま町)
大切に埋められた土器(細山田段遺跡:鹿屋市・大崎町)
縄文時代の万能ナイフ(細山田段遺跡:鹿屋市,大崎町)
日本における導入時期の煉瓦(れんが)(久慈白糖工場跡:大島郡瀬戸内町)
女学校の実習用具?(本御内(もとおさと)遺跡:霧島市)
国分高校の前身である,国分高等女学校のゴミ捨て穴(昭和初期)から見つかりました。『火熨斗(ひのし)』と言われ,鍋部分に火のついた炭を入れて,その熱で布を伸ばす,現在で言うアイロンです。
柄の部分は無くなっています。鍋部分の大きさは約16cm,高さ8cmです。電気アイロンが普及し始めた頃で,古かったこの道具は捨てられたのでしょうか?
生徒たちが一生懸命アイロンがけをした授業の様子が想像されます。
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(199)「本御内遺跡」
https://www.jomon-no-mori.jp/wp-content/uploads/2019/05/H46001-2-0199.pdf
昭和初期のガラス製薬瓶(本御内(もとおさと)遺跡:霧島市)
本御内遺跡を調査中に,国分高校の前身である国分高等女学校(1923~1948)のゴミ捨て穴から,高さ約14cm,底の直径約5cmのガラス製の薬瓶が見つかりました。
薬瓶の表面には『鵜木醫(医)院』と表記されています。こちらの病院は,今も国分高校近くに所在します。
薬容器や現在まで続く病院の歴史を理解することができ,生徒を看病した様子なども想像できる資料です。
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(199)「本御内遺跡」
https://www.jomon-no-mori.jp/wp-content/uploads/2019/05/H46001-2-0199.pdf
石臼(敷根火薬製造所跡:霧島市)
敷根火薬製造所では,水車動力を用いて火薬が製造されていましたが,本局の滝ノ上火薬製造所(鹿児島市)と合わせると,幕末の日本でも有数の製造量だったようです。
発掘調査では,水車動力を利用し,火薬の原料をひくための石臼が2点,個人で保管していた6点が確認されています。
直径は58~72㎝,厚さは15~27㎝,重さは160~240㎏もあります。硝石や硫黄などを挽いていたと考えられています。
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(194)「敷根火薬製造所跡 根占原台場跡 久慈白糖工場跡」
https://www.jomon-no-mori.jp/old/pdf_data/H46001-2-0194.pdf
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現在も利用されている導水路(敷根火薬製造所跡:霧島市)
敷根火薬製造所は,文久3(1863)年に薩摩藩火薬製造の本局である滝ノ上火薬製造所(鹿児島市)の分局として建設された火薬製造所です。
文献史料上では日本で初めて認定された,洋式水車(縦軸水車)で,水車動力を用いて火薬が製造されていました。
当時の導水路は,現在も水田の用水路として活用されています。
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(194)「敷根火薬製造所跡 根占原台場跡 久慈白糖工場跡」
https://www.jomon-no-mori.jp/old/pdf_data/H46001-2-0194.pdf
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推しの逸品「幕末の砲台跡」(根占原台場跡:南大隅町)
19世紀初頭の薩摩藩近海には,西欧諸国の艦船が頻繁に出没し,対外的な緊張が高まっていました。当時藩主であった島津斉興は,これに対応するため,指宿・山川・佐多・根占など各地に台場(砲台)を築いています。
根占に築かれた台場は,薩摩藩の中でも初期に築かれた台場の一つで,弘化4(1847)年に完成されました。現在は,台場公園として整備され,砲台が復元されており,平成30年に,県の史跡に指定されています。
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(194)「敷根火薬製造所跡 根占原台場跡 久慈白糖工場跡」
https://www.jomon-no-mori.jp/old/pdf_data/H46001-2-0194.pdf
ワクワク考古楽出前授業IN鹿児島県歯科医師会
令和6年6月1日(土),鹿児島県歯科医師会雀大学の皆さん18名に,ワクワク考古楽を実施しました。
今回は,昨年度まで取り組んでいた「廃寺は語る! よみがえる鹿児島の仏教文化」事業の成果を中心に講演を行いました。
まず,廃仏毀釈について説明を行った後,令和3~5年度に実施した光台寺跡(指宿市),照信院跡(大崎町),大願寺跡(さつま町)発掘調査の成果について紹介しました。
学生さんたちは,神仏習合を示す遺物で,懸仏(かけぼとけ)の一部である照信院跡から出土した「華瓶(けびょう)」や,諏訪ノ前遺跡(阿久根市)の発掘調査で出土した仏像を手にされると,興味深く見入っておられました。
廃仏毀釈に関心をもっていらっしゃる方も多く,雀大学の皆さんの鹿児島への熱い思いにもふれることができる時間となりました。
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