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第3回 新発見!鹿児島の遺跡

  • 第3回企画展 平成14年度 新発見!かごしまの遺跡
     -鹿児島県立埋蔵文化財センター速報展-

  • 開催期間:平成15年2月15日()~平成15年4月19日(
  • 県立埋蔵文化財センターでは,平成14年度に,数多くの発掘調査・整理作業・報告書作成を行いました。
    これらの発掘調査で出土した遺物や,整理作業で復元された土器,分類された石器などを,いち早くご覧いただきたいと存じます。
  • ■展示されている遺跡■
  • 雪山遺跡からみつかった薩摩焼雪山遺跡(日置市東市来町)

    本年度,報告書作成作業が行われた雪山遺跡は,南九州西回り自動車道の建設に伴って調査された遺跡です。この遺跡では,変形したり,焼き損ねたような甕・壺・鉢・擂鉢・土瓶などの日用雑器が大量に発見されました。
    また,陶器の製作用具や焼く際に使う窯道具なども出土していることから,古い文献を調べたところ「雪ノ山窯」の存在が明らかとなり,現地調査によって近くに窯跡も発見されました。
    本遺跡は,この「雪ノ山窯」に従事していた陶工の住居や作業場の跡だと考えられます。
    雪山遺跡の出土品は,19世紀後半の薩摩焼の研究をする上で大変貴重な資料であるといえます。
    ※左写真は,雪山遺跡からみつかった薩摩焼

  • 福山城ケ尾遺跡(姶良郡福山町)
  • 旧石器時代では1万6千点をこえる大量の石器が出土し,石器製作の跡と考えられています。
    また,縄文時代では早期後半(約7,500年前)の塞ノ神式土器が約40m×60mの半円形の範囲に散らばった状態で発見されたほか,この時期としては珍しい壺形土器が穴の中におさめられた状態で発見されました。
  • 上野原遺跡-第4工区- (霧島市国分上野原縄文の森)
  • 平成14年度は,縄文時代前期(約6,000年前)から近世(約300年前)の成果をまとめました。
    この時期の土坑には赤い顔料や多くのドングリを埋めたものもありました。さらに,弥生時代(約2,000年前)の集落跡や大規模な柵跡等も発見されています。
  • 栫城跡(いちき串木野市上名)
  • 平成12年度から発掘調査されている遺跡で,縄文時代の早期から近世末までの遺構や遺物が見つかっています。
    縄文時代早期の落し穴や晩期の石斧埋納遺構,古代の須恵器や土師器が多量に捨てられた土坑,中世の方形竪穴や掘立柱建物跡・かまど跡,溝状遺構,大型の土坑,近世の建物跡や石垣・石列などがあります。古代の刻書土器や墨書土器,中世の滑石製品やカムィヤキ(徳之島産の焼物)など,注目される遺物も多数出土しています。
  • 桜谷遺跡(南さつま市金峰町)
  • 縄文時代早期(約8,000年前)の土器や石器,蒸し焼き料理をした跡と考えられる集石遺構が発見されました。また,弥生時代中期(約2,100年前)の竪穴住居跡も見つかりました。住居跡の平面は約3m×4mの長方形で,深さが約50cmあり,柱の跡が4か所確認できました。この住居跡からは,入来式土器と呼ばれる土器がつぶれた状態で発見され,年代の決め手となりました。
  • 古市遺跡・南田代遺跡(川辺郡川辺町)
  • 古市遺跡では,弥生時代中期(約2,000年前)を中心に多くの土器や石器が出土しました。なかでも,大型甕形土器や石庖丁・磨製石鏃は当時の生活の様子を知る上で注目される資料です。昨年の調査では,住居跡も発見されており,集落があったこともわかっています。
    南田代遺跡では,石斧をまとめて穴に埋めたと考えられる遺構や集石遺構14基(いずれも縄文時代前期~中期)などが発見されました。また,さまざまな文様の土器やいろいろな形の石器,石器をつくる材料も出土しました。
  • 楠元遺跡からみつかった木製品楠元遺跡(薩摩川内市百次町)

    九州新幹線鹿児島ルート建設のために,平成11年度に発掘調査が行われ,本年度報告書作成のため作業が行われました。
    遺跡は標高11mほどの水田地帯にあります。発掘調査では,縄文時代早期から江戸時代にかけての遺構・遺物が発見されました。特に弥生時代終わりごろ(約1,750年前)の竪穴住居跡や水路・川跡が発見され,木製の鍬や丸木の弓,容器,建築材などが出土しました。
    住居は平野の中でもやや高い所につくられ,標高の低い川跡を利用して水田をつくっていたこともわかりました。弥生時代の人々は自然地形をうまく利用して稲作を行っていたと考えられます。見つかった木製品は,県内でも出土例が少ないため,稲作を始めた人々の様子を知る上で重要な発見となりました。
    ※上写真は,楠元遺跡からみつかった木製品

  • 垂水・宮之城島津家屋敷跡(鹿児島市山下町)
  • 垂水・宮之城島津家屋敷跡は,旧鹿児島県庁の跡地にある遺跡です。
    発掘調査の結果,柱の礎石や屋敷境の石垣を築いた溝などが発見され,この溝を境に長田中学校側が宮之城島津家屋敷,鹿児島地方裁判所側が垂水島津家屋敷であることがわかりました。
    江戸時代のものを中心として出土した多量の陶磁器の中,島津家の家紋が描かれた薩摩焼や,中国製やイギリス製の陶磁器もみられ,屋敷主が当時としては希少価値の高かったものを所有していたことがわかりました。このほか,天保二朱金と呼ばれる金貨や寛永通宝なども出土しました。これらの遺構・遺物から,当時の薩摩藩上級武士層の暮らしの一端をうかがうことができます。
  • 市ノ原遺跡 -第1地点- (日置郡市来町)
  • 市ノ原遺跡の第1地点は,東シナ海をのぞむ小高い丘の上にあります。南九州西回り自動車道の建設に伴って発掘調査が行われ,平安時代(約1,000年前)の掘建柱建物跡が15棟発見されたほか,近畿地方からもたらされた緑釉陶器や,中国から輸入された越州窯青磁,墨で「春」や「厨」等の文字が書かれた土器(墨書土器)などが出土しました。
    これらのことから,この地には当時,役所(官衙)があったのではないかと考えられています。 また,縄文時代の土器や石器,弥生時代の壺,中世に中国から輸入された焼物や江戸時代の墓など,それぞれの時代に生きた人々の痕跡が数多く発見されました。
  • 芝原遺跡(日置郡金峰町)
  • 芝原遺跡は万之瀬川の河川改修に伴って発掘調査が行われている遺跡で,これまで縄文時代中期から近代の遺構や遺物が数多く発見されています。
    特に,古墳時代初頭(約1,700年前)の遺構からは完全な形の甕形土器や壺形土器がまとまって出土しました。また,器面に細かな線で文様が刻まれた土器も発見されました。
    そのほか,南九州ではめずらしい弥生時代前期(約2,300年前)の土器なども見つかりました。
  • ■展示室案内図■
  • 展示室案内図