鹿児島県上野原縄文の森 (公財) 鹿児島県文化振興財団上野原縄文の森 埋蔵文化財情報データベース 鹿児島県立埋蔵文化財センター (公財) 鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター
MENU

鹿児島県立埋蔵文化財センター

鹿児島県上野原縄文の森 HOME 公財 鹿児島県文化振興財団鹿児島県上野原縄文の森 埋蔵文化財情報データベース 鹿児島県立埋蔵文化財センター 公財 鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター

カテゴリー: 鹿児島県立埋蔵文化財センター

弥生時代のお墓3(永吉天神段遺跡:大崎町)

土坑墓20号は,隅丸長方形の平面形で,広く浅い形状をした土坑墓です。一部,削平されていますが,長軸 2.5 m,短軸 1.5 m,深さ 0.4 mの大きさがあります。

鉄鏃3点,磨製石鏃4点,管玉1点が出土しています。隣接する土坑墓19号からも,鉄鏃が出土しています。

この隣接する2基のみに,鉄鏃が出土しています。戦いで亡くなった2人の戦士? 親と子? 夫婦? など,色々想像が膨らみます。

『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(27)「永吉天神段遺跡5 第2地点-3」(第3分冊)
https://www.jomon-no-mori.jp/wp-content/uploads/2020/04/H46001-3-0027-3.pdf

土坑墓20号

土坑墓20号遺物出土状況

土坑墓19号(左)と土坑墓20号(右)

 

弥生時代のお墓2(永吉天神段遺跡:大崎町)

永吉天神段遺跡では,様々な形のお墓が発見されています。土坑墓2号は,隅丸長方形の平面形で,広く浅い土坑墓です。

長軸 2.5 m,短軸 1.4 m,検出面からの深さは浅く 0.3 mです。

土坑短辺にあ たる西壁と東壁の際には溝状の掘り込みも1条ずつあり,この溝状 掘り込みについては,木棺墓の小口板の痕跡の可能性があります。

『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(27)「永吉天神段遺跡5 第2地点-3」(第3分冊)
https://www.jomon-no-mori.jp/wp-content/uploads/2020/04/H46001-3-0027-3.pdf
土坑墓2号

実測図

弥生時代の墓~周溝墓~(永吉天神段遺跡:大崎町)

弥生時代中期(約2,200~2,000年前)の墓です。墓穴の周囲に溝をめぐらせています。

墓穴の部分は2段掘りの構造で,1段目は隅丸長方形で浅くて広いです。2段目は平面が長方形で,狭くて深いです。まわりの溝の規模は,8.6×8.2m(平均底幅104㎝)です。

遺跡では,弥生時代の墓が25基ほど発見されていますが,この周溝墓4号は位置や規模から,それらの中心的な墓の可能性があります。

『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(27)「永吉天神段遺跡5 第2地点-3」(第3分冊)
https://www.jomon-no-mori.jp/wp-content/uploads/2020/04/H46001-3-0027-3.pdf

石切場跡(虎居城跡:さつま町)

虎居城跡では石切場の跡が3か所発見されました。

約11万年前の加久藤火砕流堆積物である溶結凝灰岩を,縦方向に階段状に切り出しています。

石を割るためのくさび「矢」の痕跡も明瞭に残されています。城跡からこの石材を使った石製品が出土していないことから,切り出された石は,川内川から運ばれ,別の場所で製品化されたものと考えられています。

城の時期でなく,18~20世紀前半ぐらいに石切場として,活用されていたようです。

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(162)「虎居城跡」
 https://www.jomon-no-mori.jp/old/pdf_data/H46001-2-0162.pdf

石切場

矢の痕跡

 

ナスビ形の鍬(南下遺跡:南さつま市)

南下遺跡からは,古墳時代(3~5世紀ぐらい)の木製の鍬と柄が出土しています。

鍬はナスビ形といわれ,直に柄に鍬の刃を装着できるようにしています。平鍬と二叉が出土しています。境川対岸の中津野遺跡からは,弥生時代の鍬が出土しています。

昔からこの地域は,米作りが盛んだったのでしょうか?

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(157)「南下遺跡」
https://www.jomon-no-mori.jp/old/pdf_data/H46001-2-0157.pdf

色々な痕が残る土器の底(中津野遺跡:南さつま市)

縄文時代後期(約4,000年前)の土器の底です。土器製作時に底に敷いた物の痕跡です。

1795は,植物を編んだ網代編み(網代底),1817は葉っぱの圧痕が残る底部で,オオタニワタリの葉を利用していることが判明しています。

1828は底面の周縁部にごく小さなくぼみがまとまって見られるもので,クジラの脊椎骨の痕の可能性があります。

色々な敷物を使い土器を製作していたようすがわかると共に,当時の編物の技術も知ることができます。

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(217)「中津野遺跡 低地部・低湿地部編」第1分冊
https://www.jomon-no-mori.jp/wp-content/uploads/2022/04/H46001-2-0217-1.pdf
第3分冊

弥生時代の鍬や鋤(中津野遺跡:南さつま市)

中津野遺跡では,弥生時代(約2,500~2,200年前)の鋤(すき)や鍬(くわ)などの木製品が出土しました。

木の種類は,874・875はイスノキ,869・870・871・872はコナラ属アカガシ亜属との分析結果が出ています。どちらの木も,木刀などに使用される非常に固い材質です。

石包丁も出土していることから,稲作を行っていたと考えられます。超早場米の産地南さつま市金峰町では,弥生時代から米作りをしていたことがわかりました。

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(217)「中津野遺跡 低地部・低湿地部編」第1分冊
https://www.jomon-no-mori.jp/wp-content/uploads/2022/04/H46001-2-0217-1.pdf
第3分冊

 

【ワクワク考古楽出前授業IN鹿児島市立伊敷小学校】

5月29日(水),鹿児島市立伊敷小学校で「ワクワク考古楽」(出前授業)を実施しました。今回は,縄文時代について学習しました。

子どもたちは,実際に遺跡から出土した土器や石器に触れながら,土器の文様の作り方や,土器・石器の使い方などについて意見を出し合いました。土器や石器に触れる際,両手で大事そうに扱いながら楽しく話し合う様子が印象的でした。

今回の授業を通して,子どもたちが縄文時代のくらしについて思いを巡らせ,今後の学習に意欲的に取り組んでいくためのきっかけになれば,大変ありがたいことだと思います。

また今回は,縄文の森の「お出かけ体験隊」と合同での実施で,「勾玉づくり」を体験しました。一生懸命命勾玉づくりに取り組んだり,完成した作品を友達同士見せ合ったりしていました。

 

ワクワク考古楽出前授業IN志布志市立尾野見小学校

令和6年5月31日に,志布志市立尾野見小学校でワクワク考古楽(出前授業)を実施しました。今回は「地域の歴史や遺跡,文化財について知ろう」という学習目標で,6年生に授業を行いました。

最初に,埋蔵文化財センターの発掘調査の仕事を紹介しました。

次に,鹿児島県で見ることができる火山層について説明し,火山灰から年代がわかることを学習しました。

続いて,学校近くの京ノ峯遺跡や前谷遺跡を紹介しました。学校近くの「志布志市やっちくふれあいセンター」はかつて弥生時代の墓地だったと知り,そこから出土した弥生土器の実物を見たり触れたりすることで,自分たちの身近に遺跡があったことを実感できたようでした。

最後に,縄文土器や弥生土器,石器や黒曜石など実際に触ってもらい,いろいろな土器の文様や厚さが時代とともに変化していくことを学んでもらいました。また,長い年月を経て人々がそこで脈々と生活し,志布志市には多くの遺跡があることも知ってもらいました。

自分たちの郷土の歴史を知ることで,地域を大切にしていくことを学ぶ時間になってもらえればと思います。

志布志にはいくつ遺跡があるかな?

本物の土器に興味津々でした

虎居城跡の石塔(虎居城跡:さつま町)

虎居城跡に,「八女壇(やめだん)」と呼ばれる曲輪があります。

長禄3年(1459年)に城主渋谷氏の息女が船遊びをしていたところ溺れてしまい,付き添いの女中7人とともに亡くなって,場内にあった寺に葬ったという事件があったそうです。「八女壇」の由来も,この事件から来ているようです。

その曲輪に,現在は崩れていますが,石塔があります。石塔には,「宝徳二年 義先仁公座□ 二月 二十二□」と記銘があります。

年代は近いですが,伝承との関わりは現在のところ不明です。

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(197)「虎居城跡」