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カテゴリー: 鹿児島県立埋蔵文化財センター

文化庁への要望活動オンライン

 「全国公立埋蔵文化財センター連絡協議会」は,全国の自治体設立による埋蔵文化財センターや出土品管理センターなどが参加し,埋蔵文化財の保護・活用・調査研究の充実と情報交流を目的として設立された組織です。令和元年度から,鹿児島県立埋蔵文化財センターが事務局を務めています。

 10月12日,その連絡協議会の業務の一環として,文化庁への要望活動を行いました。今回は新型コロナウイルス感染症対策として,文化庁と当センターをインターネットでつなぎ,オンラインで実施しました。

 本格的な双方向オンライン会議は,当センターでも初めての試みでしたが,お互いの顔を見ながら話し合いを順調に進めることができました。

 

曽於市立笠木小学校での出前授業

 10月8日,曽於市立笠木小学校の5・6年生(8名)と3・4年生(11名)に,ワクワク考古楽(出前授業)を実施しました。

 笠木小学校は,笠木遺跡の中にあり,校舎の建設に伴って2005年に調査が行われました。児童たちは自分たちの校舎が遺跡の上に建っていることを知ると,とても驚いていました。その時に出土した土器や石器を直接手に取って触れることで,より関心が深まった様でした。

 また,5月に調査を行った岩川官軍墓地(曽於市大隅町)の調査成果を紹介しました。大隅町や笠木周辺で,西南戦争の戦いが行われていたことや,岩川に政府軍の墓地があることに興味津々でした。

 その後,地層観察を行い,桜島や鬼界カルデラの火山灰が厚く積もっていることを調べたり,地層から土器を見つけたりと,理科や社会の学習に対しても理解が深まっていたようでした。

 さらに,火起こし体験も楽しく行うことができました。

学校周辺の遺跡を紹介

学校から出てきた土器や石器を触ってみる

地層の観察

みんなで火おこしに挑戦
指導案はこちらからダウンロードできます

新城跡・北山遺跡・諏訪ノ前遺跡の確認調査

 新城跡・北山遺跡・諏訪ノ前遺跡は,阿久根市山下にある遺跡です。令和2年9月1日から同月28日まで,南九州西回り自動車道建設に伴い,事前調査を行いました。

 トレンチ(確認用の穴)を設定して調査を行ったところ,いくつかのトレンチ内でピット(柱穴跡)が確認できました。また,陶磁器や土師器などの遺物も出土しました。

 今後行われる本調査に向けて,重要な情報を得ることができました。

トレンチ内の堆積状況を確認

トレンチの位置を機械で記録

トレンチ内の遺物出土状況

 

大学生のインターンシップ

 9月14日から18日までの5日間,鹿児島大学理学部の学生2人が当センターでインターンシップを行いました。

 今回は理系の学生ということで,主に鉄器処理や木器処理などの保存・分析業務を体験してもらいました。2人とも,業務に熱心に取り組んでいました。最終日には,このインターンシップで学んだことをプレゼンにまとめ,発表を行いました。

 また,業務を通して,仕事に関する姿勢や自分の進路について改めて考えることができたようです。

 この経験が,2人の進路選択や就職,これからの生き方について役立てば,大変ありがたいことです。

埋蔵文化財センターの業務について説明

遺構の保存処理方法を見学

木製品の保存処理を体験

蛍光X線による元素分析

最終日にインターンシップで学んだことを発表

第6回 「重要文化財~鹿児島県三角山遺跡出土品」

はじめに

 鹿児島県種子島の西之表市と中種子町の接する丘陵地帯に,三角山遺跡群があります。新種子島空港の建設に先立って,平成7年度から平成14年度まで発掘調査が行われました。調査の結果,縄文時代草創期から古代まで各時代の遺構や遺物が出土しました。特に,桜島の大噴火による薩摩火山灰層(約12,800年前)の下から,縄文時代草創期の遺構,遺物が多数発見され,多く方々の関心を集めました。
 これらの出土遺物のうち,全形が復元できる多数の隆帯文土器や,文様の構成がよくわかる大型土器片に加えて,それらに伴う石器など,「土器・土器片」160点,「石器」144点,「附石核・剥片」60点の計364点が,「縄文時代草創期の南九州における生活・文化の様相を知る上で,学術的価値が高いものである」として,令和元年7月23日,国の重要文化財に指定されました。

重要文化財に指定された土器・石器

空からみた三角山遺跡(平成13年度撮影)

発掘当時の作業の様子

貴重な遺構と遺物

 縄文時代草創期では,竪穴住居跡2基やたくさんの集石・土坑などの遺構,2万点を超える土器や石器などの遺物が発見されました。竪穴住居跡は直径2m程度で,2基が隣り合っていました。その一つの中央には火をたいた跡がありました。床面に接して出土した土器片や石鏃などもあり,当時のくらしを知る上で貴重な資料です。
 また,遺跡内では,バラバラになった土器片が集中して出土した場所が多数確認されています(図1)。それらを水洗いし,丁寧に接合していくと,それぞれが一つの土器として,いにしえの姿を現しました。ほぼ完全な形に復元できた土器は16点。この時期の遺跡としては驚くべき数です。

竪穴住居跡と発掘作業員さんたち

図1 縄文時代草創期遺物出土状況図

多彩な隆帯文土器

 発見された土器は,南九州の縄文時代草創期を代表する隆帯文土器です。隆帯文とは,口縁部周辺にぐるりと粘土の帯を1~6条まわし,指先や貝殻などを押して模様をつけたもので,中には横だけでなく縦の帯や沈線のある土器もあります。形も尖底からサラダボウルのような丸底,中には底部中央が内側にせり上がった茶碗のようなものまで,非常に多彩です。
 また,器の内外にススや炭化物が付着した例が多いことから,実際に煮炊きに使われたものと考えられています。放射性炭素年代測定の結果(補正)は,紀元前12,140~11,830年で,縄文時代草創期末にあたります。
 このように,当時の生活の様子を如実に示す貴重な資料であることから,国の重要文化財に指定されました。

多彩な隆帯文土器

指紋が残る隆帯文土器

手作りの「服」を着ていた? 縄文時代草創期の人々

 出土した土器の底に「もじり編み」と思われる圧痕のある隆帯文土器が1点あります。織物の痕跡としては,日本最古級の資料です。当時の人々が植物からとった繊維で織物を作り,土器を作る際の敷物にしていたことがわかります。植物の繊維を工夫して,”縄文服”も着用していたのかも知れません。
 

圧痕のある隆帯文土器

底部の圧痕

型取りでよみがえった「もじり編み」

断面の薄い大型土器

 三角山遺跡群の土器の中で最大級の大きさで,直径35cmを超えます。隆帯は6条。ヒダのある貝殻を押し当ててつけられた美しい文様で,指紋や爪の跡まで観察できます。
 サラダボウルに似た形で,大型にもかかわらず,厚みもできるだけ薄く作ろうと努力した様子がうかがえます。この薄さで長期間の使用に耐えられるのか心配してしまいますが,後から薄い断面を観察できるように,一部分を開けた状態で復元しました。

三角山最大の隆帯文土器

磨製石鏃

 三角山遺跡群では,特徴的な石器も出土しています。写真の磨製石鏃は,ホルンフェルスや頁岩を磨いて形作っていますが,一般的な石鏃より厚みが薄いようです。穴が開けられたものもあり,どのように使用されたか注目されます。

おわりに

 種子島空港ロビーの一角に三角山遺跡群のコーナーがあり,遺跡の紹介をしています。実物こそ県立埋蔵文化財センターにあるものの,これらのパネルを見て,地域の方々だけでなく,種子島を訪れた人にも,悠久の歴史に触れる機会になってくれればと思います。

貝殻模様の美しい隆帯文土器

文責 藤﨑光洋

令和2年度 第2回「河口コレクション」展示 ~霧島市内の遺跡~

 9月18日に,上野原縄文の森で展示している「河口コレクション」コーナーの入れ替えを行いました。

 今回は「河口貞徳氏の軌跡Ⅲ(霧島市内の調査遺跡)」と題して,口輪野遺跡(霧島市国分川内),平栫遺跡(同市国分上井),石峰遺跡(同市溝辺町麓),廻城跡(同市福山町福山)の4つの遺跡を紹介しています。

 特に平栫遺跡は,出土した縄文時代早期後半の土器を河口氏が「平栫(ひらがこい)式土器」と名付け,標式遺跡(特定の地域や時代・時期に流行した土器の特徴を示す契機となった遺跡)となっています。

 霧島市内には,上野原遺跡だけでなく,このように貴重な遺跡が数多くあります。今回の展示,上野原縄文の森でご覧ください。

展示期間
令和2年9月19日(土)~令和3年1月15日(金)

口輪野遺跡・平栫遺跡

石峰遺跡・廻城跡

平栫遺跡の発掘調査風景

 

企画展内覧会

 9月10日(木)に,第58回上野原縄文の森企画展「新発見! かごしまの遺跡2020 ~発掘調査速報展~」の内覧会が行われました。今回の企画展は昨年度,県立埋蔵文化財センターと(公財)埋蔵文化財調査センターが行った発掘調査や刊行した報告書から最新の調査成果を紹介・展示するものです。

 内覧会では,掲示資料や遺物が来館者に分かりやすく,また,興味を持って見てもらえるような展示になっているかを確認をしていきます。確認の中で修正が必要なものがあれば,その都度作り直し,よりよい展示を完成させていきます。

 第58回企画展は,9月12日(土)から11月8日(日)まで開催しています。ぜひ,上野原縄文の森で「最新の鹿児島の歴史」をご覧ください。

 

第5回 鹿児島の戦争遺跡について

Ⅰ.戦争遺跡保存に至るまで

 2020年は戦後75年目の年です。当時20歳の若者は今年95歳,ということになります。これは戦争体験者の激減を意味し,次世代に戦争体験をどのように伝えるかという問題にも繋がってきます。戦争遺跡には地表に露出したものや,地下に埋もれたもの等がありますが,多くは戦後長い間放置され,老朽化や開発などで風化や解体が進んできています。

 そのような中,1970年代ごろから,全国各地で戦争遺跡を調査する事例が少しずつ見られるようになりました。さらに,沖縄県南風原町の南風原(はえばる)陸軍病院壕が1990年に日本初の指定史跡(町指定)になったことで徐々に関心が高まり,1995年には広島原爆ドームが国の史跡に指定され,ユネスコの世界文化遺産にも登録されることとなりました。この原爆ドームの文化財指定は,全国の戦争遺跡に対する意識が見直され,後世に語り継ぐべき遺産として把握・保護される大きなきっかけとなりました。

資料1 鹿児島県内で指定・登録文化財となった戦争遺跡等(2019年7月末)
番号 市町村名 名称 内容 時代
1 薩摩川内市 天狗鼻海軍望楼台 市指定 明治
2 鹿児島市 天保山砲台跡 市指定 幕末
3   〃 祇園之洲砲台跡   〃 幕末
4   〃 沖小島砲台跡   〃 幕末
5 南九州市 陸軍知覧飛行場給水塔跡 市指定 昭和
6   〃 陸軍知覧飛行場弾薬庫跡 国登録 昭和
7   〃 陸軍知覧飛行場着陸訓練施設遺構   〃 昭和
8   〃 陸軍知覧飛行場水風呂(防火水槽跡)   〃 昭和
9 姶良市 山田の凱旋門 国登録 明治
10 曽於市 岩川官軍墓地 市指定 明治
11 鹿屋市 海軍笠野原航空基地跡川東掩体壕 市指定 昭和
12   〃 海軍串良航空基地地下壕電信司令室   〃 昭和
13 志布志市 権現島砲台遺構(水際陣地跡)   〃 昭和
14   〃 海軍岩川航空隊基地通信壕跡   〃 昭和
15   〃 平床通信壕跡   〃 昭和
16 南大隅町 原の台場跡 県指定 幕末
17 大和村 今里小中学校奉安殿 国登録 昭和
18 瀬戸内町 久慈小学校奉安殿   〃 昭和
19   〃 須子茂小学校奉安殿   〃 昭和
20   〃 薩川小学校奉安殿   〃 昭和
21   〃 池地小中学校奉安殿   〃 昭和
22   〃 節子小中学校奉安殿   〃 昭和
23   〃 古仁屋小学校奉安殿   〃 昭和
24 伊仙町 鹿浦小学校奉安殿   〃 昭和

Ⅱ.戦争遺跡の分類

 本稿では戦争遺跡を幕末・明治初期からアジア・太平洋戦争終結までのものとします。この間の80年余り,主なもので薩英戦争,戊辰戦争,西南戦争,日清戦争,日露戦争,第1次世界大戦,日中戦争,アジア・太平洋戦争があります。近代的中央集権国家として帝国主義の時代を生き抜いていくために,日本はこれだけの戦争を行ってきました。

 ところで,鹿児島県はこの中で特にアジア・太平洋戦争に係る戦争遺跡が多く所在します。これらを大まかに分類すると,
①航空基地関係(滑走路・掩体壕・建物や施設)
②沿岸施設(砲台・観測施設・哨戒施設・防備所・水上水中特攻基地・建物や施設)
③軍事施設(建物や施設・要塞・塹壕)
④その他(奉安殿【注1】・防空壕・記念施設・慰霊碑・墓地)
などに分けられます。
【注1】 戦前の日本において,学校等にあった天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めていた建物

 

Ⅲ.鹿児島県の戦争遺跡

 鹿児島県にアジア・太平洋戦争関連の遺跡が多いのは①~④の理由によると考えられます。
①1945年3月の沖縄戦以後は本土防衛の最前線となり,陸海軍の出撃,防御拠点が集中しました。
(資料2,3 写真6)

資料2 県内の航空基地(昭和20年)

 

資料3 県内の水上(震洋)・水中(回天)特攻艇施設(昭和20年)

②吹上浜と志布志湾が本土上陸作戦(オリンピック作戦)の目標地点となっていたことから,コンクリート製の永久築城の要塞や素掘りの洞窟式陣地,トーチカ等の施設が昭和19~20年に多数構築されました。(写真1~3 )

写真1 榴弾砲陣地(観測所)跡(大崎町)
写真2 写真1を踏査する民間団体の活動
写真3 志布志湾岸のトーチカ(大崎町)
写真4 坊津電探基地跡(南さつま市)
写真5 写真4を踏査する民間団体の活動

③南九州一帯にひろがるシラスの崖は掘りやすく,本土防衛の最前線である鹿児島への空襲が激しくなるにつれて防空壕が県内に多く作られました。(資料4)

資料4 都道府県別の空襲による犠牲者数【『戦争遺跡から学ぶ』(岩波ジュニア新書)より】
北海道 1,210 山  梨 1,181 広  島 262,425
青  森 946 長  野 53 島  根 38
秋  田 94 富  山 2,300 山  口 3,362
岩  手 616 石  川 27 香  川 1,359
宮  城 1,118 岐  阜 1,191 徳  島 1,710
山  形 41 愛  知 12,379 高  知 487
新  潟 1,467 三  重 5,612 愛  媛 1,097
福  島 661 滋  賀 35 福  岡 5,570
茨  城 2,452 福  井 1,809 佐  賀 138
栃  木 612 京  都 215 長  崎 75,380
群  馬 967 奈  良 32 大  分 710
埼  玉 392 和歌山 1,781 熊  本 869
東  京 116,959 大  阪 14,770 宮  崎 646
千  葉 1,450 兵  庫 11,997 鹿児島 4,604
神奈川 9,197 鳥  取 61 沖  縄 約1,500
静  岡 6,234 岡  山 1,773 (人)
写真6 青戸基地トーチカ(南九州市)

④奄美大島の大島海峡は複雑に入り組んだリアス海岸からなり,海軍艦艇の絶好の泊地となり両岸に関連する軍事施設が集中しました。(写真7~10 )

写真7 大島防衛隊与路派遣基地(瀬戸内町)
写真8 金子手崎潜水艦防備衛所(瀬戸内町)
写真9 金子手崎弾薬庫(瀬戸内町)
写真10 呑之浦特攻艇震洋の格納施設(瀬戸内町)

 これらの施設は戦後の開発による消失を免れてそのまま残っているものが多数みられます。その中の一部はコンクリート製の耐弾構造となっているため,当時の構造がほぼそのまま残っているものもあります。

Ⅳ.保存と活用

 最近,全国各地で「身近にある戦争遺跡から戦争のことを知り平和の大切さを学ぼう」という活動を行う各種団体が現れています。また,個人的に踏査や集成を行い,紹介や普及活動を行っている人もいます(写真2,5)。市町村では戦争遺跡が多く所在する自治体(南九州市,出水市,霧島市,曽於市,鹿屋市,瀬戸内町その他)で積極的に保存・活用する動きが,いわゆる“まちおこし”と絡めて見られます。そして今後県内で埋蔵文化財の発掘調査が行われるに伴い,新たな戦争遺跡や遺物が確認され,この時代に対する認識と評価が深まっていくことでしょう。

写真11 天保山砲台跡(幕末・鹿児島市)
写真12 天狗鼻海軍望楼台(明治・薩摩川内市)

Ⅴ.埋蔵文化財発掘調査報告書に記載された戦争遺跡

 古い時代(縄文時代や弥生時代等)の遺跡の発掘調査中に偶然出土した戦争に関連する遺構や遺物はこれまでも様々な報告書に掲載されています。また,最近では戦争遺跡そのものを保護,記録保存するために発掘調査を行い,それらの報告書が刊行されています。ここでは前者の例として霧島市の上野原遺跡を,後者の例として南九州市の知覧飛行場跡を紹介します。

 上野原遺跡(霧島市)の調査で,2基の探照灯跡と配線ケーブルを埋めた溝が検出されています(第10地点)。探照灯跡は直径3.5mの円形の掘り込みが2段に掘り下げられており,礎石の上に円形のコンクリートの台座が据えてあります。台座にはボルトが6か所あります。周囲からは昭和19年12月製造の四式電話機のラベルが出土しています。これらは海軍の国分第一基地に関わる施設の一部であると考えられます。

資料5 上野原遺跡1号探照灯跡(霧島市)
写真13 上野原遺跡1号探照灯跡

 知覧飛行場跡(南九州市)の調査で,排水施設と考えられるコンクリート製溜枡とそれに繋がる土側溝2条が検出されています。溜枡は,上幅約4m,底幅約70cm,深さ約1.6mの台形断面で,コンクリートの厚さは約8cmで,不揃いの玉砂利が用いられ型枠痕が見られないことから,現場打ちによって構築されたと考えられます。これらの施設は終戦直前の昭和20年7月22日米軍の偵察機が上空から撮った写真でも存在が確認できます。また,周辺からは明治から昭和初期にかけて鋳造された貨幣,統制食器,ガラス瓶,碍子その他が出土しています。

写真14 知覧飛行場跡(南九州市)の遺構
写真15 知覧飛行場跡の遺物

 

資料6 特別攻撃隊の基地別出撃数等 【『知っていますか?身近な「戦争遺跡」』(古場昌彦2004)より】
海軍
出撃基地 出撃隊員
(未帰還機含)
機数
(未帰還機含)
備考
鹿  屋 832 445
串  良 334 122
国  分 354 224
出  水 41 14
指  宿 82 41 古仁屋含む
鹿児島 12 1
喜界島 19 11
合 計 1,674 858
陸軍
出撃基地 出撃隊員
(未帰還機含)
機数
(未帰還機含)
備考
知  覧 439 354

 

※戦争遺跡の調査を報告した埋蔵文化財発掘調査報告書

  • 鹿児島県立教育委員会 「西原掩体壕跡」1990
  • 鹿児島県立埋蔵文化財センター 「知覧飛行場跡」2017
  • 鹿児島県立埋蔵文化財センター 「敷根火薬製造所跡 根占原台場跡 久慈白糖工場跡」 2018
  • 南九州市教育委員会 「知覧飛行場跡」 2015,2016
  • 出水市教育委員会 2014 『出水市埋蔵文化財発掘調査報告書25:旧海軍出水航空基地 掩体壕 発掘調査報告書』
  • 瀬戸内町教育委員会 2017 『瀬戸内町文化財調査報告書第6集:瀬戸内町内の遺跡2』

Ⅵ.負けた戦争の大切さ

 近・現代の歴史は戦争と軍隊の存在抜きには語れません。戦争遺跡を保存し活用することの最大の目的は,「過去にこのようなことがあった。二度と繰り返してはならない」と「自分達の身近な地域では過去にこのような人や物の動きがあった。現在はその上に成り立っている」ことを学ぶことであると思います。歴史を見ると人類は勝った戦争よりも,負けた戦争から多くの戦訓や教訓を学んできているようです。

 近・現代の歴史は,日本が世界の中で今後どのようにあるべきかという問いに直接答えられる要素を他のどの時代よりも遙かに多く含んでいます。戦争遺跡を保存し周辺の安全管理を行ったうえで,これを積極的に活用していきたいと考えています。

 

文責 抜水茂樹

令和2年度埋蔵文化財担当職員等講習会オンライン

 文化庁主催の「埋蔵文化財担当職員等講習会」参加についての報告です。

 この講習会は,国の埋蔵文化財保護行政に関する施策を紹介するとともに,地方公共団体における埋蔵文化財保護の取り組みについても広く紹介することで,各地の埋蔵文化財保護行政に活かしてもらうことを目的として年度ごとに開催されています。

 これまでは国内各地で開催されていましたが,今年度は,新型コロナ感染症対策として,初のオンライン開催となりました。

 8月26日(水),当センターもオンラインで参加し,センター職員等計17人が受講しました。

 普段は通常業務の調整や旅費の関係で参加できなかった職員も,オンライン受講が可能となったことで多くのことを学べる講習会となり,有意義な時間を共有することができました。

 また,資料は文化庁のホームページでも配布されていますので,興味のある方はご覧ください。

文化庁「埋蔵文化財」のページはこちらから

 

埋蔵文化財専門職員養成講座(中級)

 8月20日・21日に,埋蔵文化財専門職員養成講座(中級)を実施しました。この講座は,市町村の埋蔵文化財担当職員を対象とし,発掘調査や報告書作成に関する具体的な知識・技術について学び,埋蔵文化財保護行政に関する業務及び課題解決に必要な技能を習得することを目的としています。

 今回は,以下の内容について研修を実施しました。

  •  鹿児島県の埋蔵文化財調査の現状と課題
  •  発掘調査の計画と留意点
  •  整理作業の方法と留意点
  •  遺物・遺構実測の方法
  •  遺物写真撮影の方法
  •  発掘調査の実施と記録方法

 参加されたみなさん(13市町14人)は,どの研修も熱心に受講されていました。また,参加者同士で,普段の業務の成果や課題について話し合い,交流を深めることもできたようです。来年度も,多くの参加をお待ちしております。

 なお,令和3年1月には,今回よりも更に専門的な内容を学べる「埋蔵文化財専門職員養成講座(上級)」も開催予定です。開催時期が近づいてきましたら,各市町村に開催の案内をいたします。こちらも,多くの参加をお待ちしております。

開講式の様子

講座「発掘調査の計画と留意点」

遺物の実測についての研修

パソコンを使ったデジタルトレース

遺構図の確認

遺物の写真撮影について

実際の発掘現場で研修