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カテゴリー: 推しの逸品

これまでの発掘調査や整理作業で発見・掲載した遺物や遺構の中から,「これは」という「推しの逸品」を担当職員が紹介します。

陶器が語る歴史(垂水・宮之城島津家屋敷跡:鹿児島市)

かごしま県民交流センターの一帯には,江戸時代,垂水島津家と宮之城島津家の屋敷があったことが絵図等でわかっています。

発掘調査の結果,多くの陶磁器の中にまざって,花瓶の内側に,「御看経所」と記された陶器が出土しました。

「看経所」(お経を黙読する場所)が屋敷内にあったことを物語る文字史料とも言える遺物です。

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(48) 「垂水・宮之城島津家屋敷跡」

 

 

磁器製人形(里町遺跡:伊佐市大口)

手に日本国旗を持った,女学生の形をしています。近代(戦前)に作られた人形で,当時の世相を表しているものと思われます。

作業員さん達には,「里町遺跡」になぞって,「里子ちゃん」と呼ばれていました。

(大きさ7cm)

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(191)「里町遺跡」

「華瓶(けびょう」神仏習合のかたち・「懸仏」の一部(大崎町:照信院跡(しょうしんいんあと))

照信院は8世紀に新熊野三社権現を勧請し,本地阿弥・薬師・観音の三尊を安置したことが由来とされています。その後,江戸時代まで南九州最大の修験道場として君臨しますが,明治時代の鹿児島の激しい廃仏毀釈で破壊されます。

神仏習合に関係の深い,懸仏(かけぼとけ)の一部である華瓶(けびょう)が出土しています。(長さ4.1cm,幅1.7cm)

華瓶

参考 聖観音懸仏 45.5㎝ 像高21.0㎝ 重要文化財 東京国立博物館デジタルコンテンツから引用

弥生時代の鉄鏃 (大崎町:永吉天神段遺跡)

弥生時代中期(約2,300年前)のお墓の中から出土しました。県内でも一番古い時期の鉄製品になります。

戦いで鉄鏃が刺さって亡くなった人を埋葬したものなのか,副葬品なのか,はっきりと分かっていません。

報告書
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(27)「永吉天神段遺跡5 第2地点-3」(第1分冊)
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(27)「永吉天神段遺跡5 第2地点-3」(第2分冊)
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(27)「永吉天神段遺跡5 第2地点-3」(第3分冊)

西南戦争の銃弾(伊佐市:高熊山激戦地跡)

明治10(1877)年,西南戦争の大口攻防では、西郷軍の辺見十郎太(へんみじゅうろうた)が指揮する雷撃隊(らいげきたい)が伊佐市坊主石山(ぼうずいしやま)に,池辺吉十郎(いけべきつじゅうろう)指揮する熊本隊が高熊山に陣を構え,堡塁(ほうるい)(塹壕)を築いていました。6月13日から20日まで,髙熊山や坊主石山で政府軍と激しい戦闘が行われました。

高熊山の発掘調査では,9基の堡塁跡と銃弾や薬莢,砲弾の可能性のある鉄製品などが出土しました。

報告書
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(210)「滝ノ上火薬製造所跡・高熊山激戦地跡・チシャケ迫堡塁跡群・岩川官軍墓地」