鹿児島県上野原縄文の森 (公財) 鹿児島県文化振興財団上野原縄文の森 埋蔵文化財情報データベース 鹿児島県立埋蔵文化財センター (公財) 鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター
MENU

鹿児島県立埋蔵文化財センター

鹿児島県上野原縄文の森 HOME 公財 鹿児島県文化振興財団鹿児島県上野原縄文の森 埋蔵文化財情報データベース 鹿児島県立埋蔵文化財センター 公財 鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター

カテゴリー: 鹿児島県立埋蔵文化財センター

虎?(虎居城跡:さつま町)

虎居城跡は,三方を川内川が取り巻き,川が堀の役割を果たす天然の要塞です。

大前氏(おおくまし)により康治年間(1142 年頃)に築城され,その後,約300年間祁答院渋谷氏の居城であったと考えられています。

「宮之城記」によれば,虎居城の謂われは,「昔,大前氏は虎に臥した形にこの城を執り始めた。よって虎居城と号していた」と記されています。

虎居城上空俯瞰写真 出典:国土地理院ウェブサイト・平成26年撮影

虎居城跡範囲図

空撮(平成20年撮影)

 

ワクワク考古楽IN霧島市立国分南中学校

令和6年5月17日の5・6校時,国分南中学校でワクワク考古楽(出前授業)を実施しました。

今回のワクワク考古楽は一年生を対象に,国分南中学校が毎年夏休みに行っている「上野原遺跡ボランティアガイド」の経緯や活動の様子と,国指定史跡上野原遺跡について学習しました。

ボランティアガイドは平成11年から始まり,今年で26回目を迎えます。まだ上野原縄文の森ができていない頃の活動の様子をテレビニュースで特集されたビデオを観たり,中学時代に実際にガイドに参加していた職員(国分南中卒業生)の生の声を聞いたりしました。また,最近の活動の様子についても写真を見てもらいました。

生徒たちのほとんどは上野原縄文の森に行ったことがありましたが,国分南中が長くボランティアガイドをしていたことは知らなかったようで,先輩たちの活動を熱心に見ていました。

次に,上野原遺跡はどんなところがすごいのかについて学習しました。上野原遺跡からは約10,600年前の国内最古・最大級の集落跡が発見され国指定史跡になっていることや,約6,000年前の対で埋められた壺形土器を中心に祭祀が行われた場所が発見され,そこから出土した土偶や耳飾りなど767点が国の重要文化財に指定されていることなどを紹介すると,生徒たちは興味深く耳を傾けていました。

また,南九州の縄文土器の特徴として,底が平らで口の部分の形が四角やレモン形のものがあることや,縄ではなく貝殻で文様をつけていることなどを話しながら本物の土器を見せると,身を乗り出して興味深く見ていました。

6時間目は外で火おこし体験を行いました。友達と協力しながら,楽しんで火おこしをすることができました。

今年の夏休みも,たくさんの生徒がボランティアガイドに是非参加してほしいです。

授業の様子 

上野原遺跡の紹介

国分南中卒業生の体験談紹介

土器や石器を手に取って観察

みんなで火おこしに挑戦

よみがる「河口コレクション」の世界「黒川洞穴里帰り展」

黒川洞穴は,鹿児島県日置市吹上町にある洞穴遺跡です。1952年に河口貞徳氏らが調査を行いました。
出土品は,鹿児島県立埋蔵文化財センターに保管しています。
今回,日置市教育委員会と共催で,里帰り展を開催することとなりました。
貴重な遺物や発掘調査の様子を展示紹介し,講演会も行います。
ぜひ,日置市吹上歴史民俗資料館でご覧ください。

開催期間:令和6年7月8日(月)~9月12日(木)
休館日 土・日・祝日
(7月14日・28日,8月11日・25日,9月8日は開館)

展示会場:日置市吹上歴史民俗資料館

入場料 :開催期間中は無料

講演会 :令和6年8月25日(日) 受付 13:00 終了 15:40

講演会会場:吹上中央公民館

講演内容:「黒川洞穴の整理作業でわかったこと」 鹿児島県立埋蔵文化財センター 堂込秀人
「黒川洞穴の発掘調査と吹上の縄文時代」 元鹿児島県立埋蔵文化財センター次長 池畑耕一 氏

「河口コレクション」とは

河口コレクションとは,長年,鹿児島県の考古学界をリードしてきた考古学者,河口貞徳氏(1909~2010)が調査した遺跡の記録や,土器や石器などの考古資料のことです。

河口氏は昭和20年代から約60年間にわたり,多くの遺跡を発掘し,遺物の時期や生活内容の解明を進めてきました。その資料は鹿児島県の歴史や文化を知る上で大変貴重なものとなりました。

鹿児島空港パネル展示

6月4日,鹿児島空港3階のギャラリーフレンドリーに,鹿児島県立埋蔵文化財センターと上野原縄文の森の紹介パネルを展示しました。

空の玄関口空港にかけて,遺跡上空からの写真をたくさん使用しました。

上野原遺跡は着陸直前に右手側に見えることが多いですが,ぜひご覧ください。

7月19日まで展示しています。

展示作業の様子

鹿児島県内の遺跡を紹介しています

飛行機から上野原遺跡を探してみてください

 

 

下城跡(姶良市北山)の発掘調査

姶良市の下城跡の発掘調査が始まりました。下城跡は戦国時代,この地方の地頭であった梅北国兼(うめきたくにかね)の山城だったと伝えられています。

調査前に伐採をしたところ,山城の形がはっきり見えてきました。またこの日は,現状確認のためにラジコンヘリによる空撮も行いました。

現在,曲輪に上り下りする階段を設置したり,安全に調査を行うために柵を立てたりしています。今後の発掘調査の成果が期待されます。

伐採によって曲輪や堀の形状がよくわかります

道路から曲輪上部までかなりの高低差があります

曲輪に上がる階段を整備中

ラジコンヘリによる空撮

空撮の様子(〇の中にヘリがいます)

空撮画像(桜島が臨めます)

「青銅製の武器」(下鶴遺跡:伊佐市大口)

弥生時代の土坑の中から,青銅で作られた武器「銅戈(どうか)」の先端部分が見つかりました。長さ8センチ,幅3.3センチ,重さ39.7グラムあります。

銅戈は中国から伝来し,木製の柄の先に取り付けて使われる武器ですが,国内では祭祀に使われた可能性もあります。

銅戈

実測図

墓と思われる土坑から出土しました

出土状況

連穴土坑に据えられていた土器(髙吉B遺跡:志布志市)

連穴土坑は,縄文時代のくん製を作る調理施設と考えられています。その連穴土坑に土器が据えられていました。

土器は,底はなく,直線的に切られています。連穴土坑や土器を廃棄するときの儀礼でしょうか? トンネル部分の崩落防止策でしょうか? くん製を作る時に,食材に火がつかないように土器で火力を弱めたのでしょうか?

3つの可能性が考えられています。

連穴土坑で見つかりました

連穴土坑に据えられていた縄文時代の土器(約10,000年前)

実測図

特異な土器の出土状況(髙吉B遺跡:志布志市)

弥生時代中期(約2,000年前)の土坑内の横穴を,2個の壺形土器の破片で覆っています。

お墓の可能性が高いと考えられますが,残念ながら,自然科学分析でお墓を示す結果は得られませんでした。

いずれにしても,何かとても大切なものを収納したことは間違いないようです。

出土状況
復元された土器

 

梵字(ぼんじ)が刻まれた中世の板碑(いたび)(本御内(もとおさと)遺跡:霧島市)

本御内遺跡は,大隅国分寺跡や国分新城(舞鶴城)跡を含む,縄文時代から近世までの複合遺跡です。

平成29年度の発掘調査では,弥生時代から古代にかけての遺物が大量に出土しました。また,中世では県内初の出土となる,溝や土塁で防御を固めた屋敷跡も見つかりました。

その中世の溝跡から,「板碑(仏教で使われた供養塔)」が見つかりました。溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)製で,高さ約61cm,幅約23cm,重さ約13kgあります。

表面には仏様を表す梵字が彫り込まれています。

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(199)「本御内遺跡」

 

推しの逸品「木樋(もくひ)」(虎居城跡:さつま町)

虎居城跡は,さつま町にある中世の山城跡です。平成20・21年度の調査では,土塁や巨大な空堀,虎口,掘立柱建物跡,溝状遺構等の遺構や,陶磁器,木製品,金属製品等の様々な遺物が出土し,中世山城の歴史を知る上で貴重な資料を得ることが出来ました。

また,溝状遺構の中から,写真のような木樋(木製の水道管)も見つかりました。長さ約260cm,幅約40cm,高さ約25cmで,U字型の断面をしています。1本の木をくり抜き作られており,溝に沿うように内部に置かれていました。その上部には50cm程度の木を多数横置きし,さらにその上にスギの葉を覆い被せていました。

山城での人々の生活を支えていたのでしょうか。

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(162)「虎居城跡」