鹿児島県上野原縄文の森 (公財) 鹿児島県文化振興財団上野原縄文の森 埋蔵文化財情報データベース 鹿児島県立埋蔵文化財センター (公財) 鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター
MENU

鹿児島県立埋蔵文化財センター

鹿児島県上野原縄文の森 HOME 公財 鹿児島県文化振興財団鹿児島県上野原縄文の森 埋蔵文化財情報データベース 鹿児島県立埋蔵文化財センター 公財 鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター

カテゴリー: 南の縄文調査室から

このページは、発掘調査・整理作業・報告書作成の様子や、埋蔵文化財センタ内ーのできごとを紹介します。

【国の史跡に答申~立切遺跡】

今回,国の文化審議会が国の史跡に答申した「立切遺跡(中種子町)」について,以下のページで紹介しています。
また,文化庁がYouTubeで公開している「いせきへ行こう!」でも,調査を担当した川口雅之さん(現在は(公財) 鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター勤務)が解説しています。
ぜひ,ご覧ください。

立塚遺跡の発掘調査

立塚遺跡(鹿屋市吾平町)は令和2年度から調査を開始し,今年度で3年目の最終年度となります。

過去2年間の調査成果から,縄文時代晩期から弥生時代前期,古代の複合遺跡であることがわかりました。これまでの調査で,古代の畝間(うねま)状遺構を多数検出しています。畝間とは,字のごとく畑の畝と畝の間ことで,畑作を行っていたことが分かる遺構です。他にも,貞観16(874)年に噴火した,開聞岳由来の火山灰「紫コラ」が堆積しているピット(穴)も多数検出しています。

また,9世紀後半のものではないかと思われる土師甕(はじがめ)も完形に近い状態で見つかりました。底は,削平の影響で損失しています。

現在,調査が始まったばかりなので,撹乱(イモ穴)の除去などを作業員さんたちに頑張ってもらっています。

また,昨年度6層上面(池田軽石層上面)で検出した弥生時代初頭のものと思われる土坑(やや大きめの穴)の調査を再開しました。土坑は列状の配置で切り合いをもって検出され,土坑内からは,土器片や打製石斧の欠損品などが出土しています。県内には類例がなく,現在,調査中です。近々大学などの先生方にも指導を仰ぐ予定です。

今後の調査成果をご期待ください。

立塚遺跡の発掘風景

完形に近い形で見つかった土師甕

遺構をていねいに掘り下げていきます

 

 

 

照信院跡(曽於郡大崎町神領)の発掘調査

当センターでは,「廃寺は語る!よみがえる鹿児島の仏教文化」事業を実施しています。本事業では,廃仏毀釈で失われた寺院の発掘調査を実施することで寺院の状況を解明し,歴史的価値をよみがえらせ,調査成果を報告書にまとめる計画です。また,調査成果は学校での出前授業で活用して,児童生徒の郷土を誇り愛する心の醸成などに役立てることを目的としています。

本年度は,曽於郡大崎町に所在する「照信院(しょうしんいん)跡」 の発掘調査を行っています(調査期間:令和4年6月1日~28日)。 照信院は,和銅元(708 )年に修験道開祖役小角(えんのおづの)の弟子である義覚(ぎかく)がこの地にやってきて,飯隈山(いいくまやま)を開山し,新熊野三社権現を勧請し,本地阿弥・薬師・観音の三尊を安置したことが由来とされています。また,天平15 (743)年に聖武天皇の勅願所(ちょくがんじょ)の宣旨を受けたとも伝えられています。中世以降も京都天台宗聖護院(しょうごいん)や近衛家などの中央勢力や,島津各代の藩主と深く関わり南九州最大の修験道場として君臨したとされています。しかし,廃仏毀釈で飯隈山の寺院は破壊され,現在は,飯福寺照信院本社跡に熊野神社が残るだけです。

これまでの調査の結果,懸仏(かけほとけ)の一部と思われる青銅製の仏具,13世紀ぐらいの青磁(せいじ)や,近世の薩摩焼などが出土しています。また,写真のような小石が詰まったピット(穴)や,かまどと推定される痕,回廊(かいろう)のあったと考えられる付近に溝状の掘り込みが確認されています。

期間は残り少ないですが,発掘調査を進めさらなる実態解明を進めていきます。

 

※廃仏毀釈とは

江戸時代には,幕府の仏教保護政策の影響もあって,仏像をもって神体とする神社があるなど神仏混淆(しんぶつこんこう)の傾向がありました。幕末から明治時代はじめ,王政復古(天皇中心の政治へ戻すこと)によって祭政一致をめざす新政府は,明治元(1868)年神仏分離令を出し,神社からの仏教的色彩の払拭に努めました。鹿児島藩は神仏分離に止まらず,寺院・仏像の破壊,経典・仏具の焼却などの廃仏を断行し,鹿児島では,すべての寺院が破壊され,鹿児島の仏教文化は大きなダメージを受けました。

図1 照信院絵図(『三国名勝図会』国立国会図書館デジタルコレクションから転載 改変)

図2 小石が詰まったピット

図3 かまど状の遺構

避難訓練

5月18日に,避難訓練を実施しました。

勤務中に地震が起き,その後,センター内で火災が発生。職員は速やかに,屋外の安全な場所に避難するという訓練でした。

毎年行っている訓練ですが,職員の異動や係の変更もあるので,毎回役割分担や避難経路などを確認をしながら実施しています。

今回の訓練も,計画通りにスムーズに実施することができ,避難場所に速やかに集合・避難することができました。

火元への初期消火

逃げ遅れた人がいないか確認

避難人数の報告

速やかに避難できました

企画展内覧会を実施しました

4月21日,第63回縄文の森企画展の内覧会がありました。

今回の企画展は「きりしまの文化財~郷土の歴史を学ぼう」というテーマで,霧島市内の遺跡にスポットをあて,出土した遺物などを紹介します。

地域の歴史や文化を見聞きすることで,ふるさとに誇りを持てるよう郷土教育の推進の一助とします。

小中学生のみなさんは,夏休みの自由研究のアイデアが見つかるかもしれませんよ。

期間は,4月23日(土)~8月31日(水)です。ぜひ,上野原縄文の森にお越しください。

企画展内覧会

11月18日,『上野原縄文の森第62回企画展「海と活きた古代人Ⅱ ~古墳時代から近世の鹿児島~」』の内覧会がありました。

今回の企画展は,海を越えて伝わった「モノ・情報・技術」というテーマで,輸入陶磁器や中国銭,仏教伝来に関する遺物など,古墳時代から近世の考古資料を紹介します。

また,水中考古学調査の事例として,元寇に関連する沈没船が発見された鷹島神崎遺跡(長崎県松浦市)の紹介や遺物展示も行います。

明日,11月20日からの公開になります。上野原縄文の森に,ぜひお越しください。

展示期間 令和3年11月20日(土)~令和4年3月6日(日)

公開に向けて準備中です

水中考古学の調査についても紹介

立塚遺跡現地説明会

令和3年11日6日,鹿屋市吾平町の立塚遺跡で現地説明会を実施しました。立塚遺跡は,鹿屋吾平佐多線(吾平道路)改築事業に伴い,発掘調査を行っている遺跡です。

これまでの調査で,縄文時代晩期から弥生時代前期(約3,000~2,500年前)の遺物が多く見つかっています。また,奈良時代から平安時代(約1,100年前)の畑跡や建物の柱跡などの遺構も見つかっています。

現地説明会では,これらの遺物や遺構を紹介するとともに,「紫コラ」と呼ばれる,貞観(じょうがん)16(874)年に指宿市の開聞岳が噴火したときの火山灰で埋まった遺構も説明しました。

また,弥生時代以降に作られたと思われる,長さが約6cmもある大型の管玉(くだたま)も見つかっています。こちらも展示して紹介しました。

当日の天気は雨でしたが,50人の参加がありました。参加者からは,「初めて遺跡の説明会に来たけれど,昔の様子を知ることができて楽しかった」などという感想をいただきました。

埋蔵文化財センターでは,今後もこのような現地説明会や遺跡の調査成果を紹介するフォーラムなどを開催予定です。詳しくは,ホームページ等で紹介しますので,ご期待ください。

当日の資料はこちらからダウンロードできます。

立塚遺跡の土層

紫コラの入った遺構を説明

古代の畑の畝(うね)跡を紹介

出土した遺物を展示して紹介

出土した大型の管玉(転載禁止)

 

光台寺跡(指宿市)現地公開

光台寺は,徳川家第13代将軍家定に嫁いだ天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)が生まれた今和泉島津家の菩提寺(ぼだいじ)です。

今回の調査は,明治2(1869)年の廃仏毀釈によって失われていった寺院跡の残存状況を調査し,寺の存在や歴史的な価値を発信することを目的として,令和3年10月1日から27日まで実施しました。

10月24日には,地域の住民方々に,その成果の現地公開を行いました。

当日は70人の参加があり,担当者から調査区に残る石垣の説明を聞いたり,発掘調査の様子を見学したりしました。また,出土した薩摩焼や,琉球製の陶器,青磁や白磁の展示に見入っていました。

今泉島津家墓所にて概要説明

調査区に残る石垣について説明

発掘調査で見つかった遺物を紹介

これまでの調査で見つかった遺物を展示して説明

 

試掘調査

10月18日,志布志市の道悦(どうえつ)遺跡において「試掘調査」を行いました。

「試掘調査」とは,開発などの工事前に,埋蔵文化財の有無を確認するために行う部分的な発掘調査のことをいいます。

今回は,重機(バックホー)を使い,4本のトレンチ(試し掘りの穴)を掘って調査を行いました。

重機で掘るといっても一度に掘ってしまうのではなく,幅2mほどの長方形の範囲を,地面と水平に少しずつていねいに掘り下げていきます。その際,地層の色や質(粘土質・砂質・火山灰層)の違いなどを観察しながら,途中で土器などが出てこないか,住居の跡などが見つからないか,確認しながら掘り進めました。

試掘調査で埋蔵文化財が確認された場合,遺跡の範囲や時代をより正確に把握する「確認調査」,全面的に発掘を行う「本調査」へと進みます。

遺跡の発掘調査は,このように様々な段階を経て行われているのです。

トレンチの場所を設定します

重機で少しずつ掘り下げていきます
地層の色や質,遺構や遺物の有無を確認します

トレンチ内の地層の色や質を記録します

トレンチは,試掘後に埋め戻します