「鯨の骨製品」黒川洞穴(日置市)
鯨骨製のヘラ状製品です。靴ベラのようですが,アワビオコシの可能性が指摘されています。
正面背面ともに横方向の面取り,斜め方向の丁寧な研磨を施しています。穿孔は両面から行われており,正面に孔が1つ確認できます。縄文時代後期(約4,000年前)の遺物と考えられています。
実測図だけ掲載していますので,上野原縄文の森企画展「古代人に学ぶ“MOTTAINAI(もったいない)”」(令和7年4月26日(土)~7月6日(日))で実物をご覧ください。
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(222)「黒川洞穴」(PDF)

「縄文時代のかんざし」黒川洞穴(日置市)
中型哺乳類の手足の骨で作ったかんざし状製品です。 先端部はナナメ方向の研磨によりヘラ状に仕上げています。装飾部には2方向からの刻みを施し,裏面に一部髄質が残っています。
とても見事なかんざしです。縄文時代後期(約4,000年前)の遺物と考えられています。
実測図だけ掲載していますので,上野原縄文の森企画展「古代人に学ぶ“MOTTAINAI(もったいない)”」(令和7年4月26日(土)~7月6日(日))で実物をご覧下さい。
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(222)「黒川洞穴」(PDF)

「破鏡(破鏡)」本御内遺跡(霧島市)
本御内(もとおさと)遺跡(現在の国分高校)で出土した青銅鏡です。地下水位が高い還元状態で埋蔵されていたため,とても状態が良いです。
「破鏡」といって,北部九州の有力者などが,鏡を分割して周辺や地方の有力者へ,友好の印として分配した物と考えられています。
どのような人物が霧島市国分周辺にいたのか気になる遺物です。
令和7年4月26日(土)~7月6日(日)まで,上野原縄文の森企画展「古代人に学ぶ“MOTTAINAI(もったいない)”」で,展示しています。
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(12) 「本御内遺跡Ⅰ」(PDF)
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「貝符(かいふ)」屋鈍遺跡(宇検村)
屋鈍遺跡(宇検村)から出土した古墳時代の貝 符です。イモガイ類(アンボンクロザメ・クロフモドキか?)を素材に制作されており,大きさは,高さ1.95㎝,幅4.3㎝,厚さ0.35㎝です。貝の形状が器形によく反映されています。
正面上部には溝を1条入れ,2つの孔をあけています。孔の裏面には「すれ」と思われる痕跡が見られるので,紐をとおしてアクセサリーとして使用したのかもしれません。
出土品は,現在開催中の上野原縄文の森企画展「古代人に学ぶ”MOTTAINAI(もったいない)”」(令和7年4月26日(土)~7月6日(日))で,見ることができます。
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(143) 「屋鈍遺跡」 (PDF)
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「ヤコウガイを利用した貝斧」屋鈍遺跡(宇検村)
古墳時代のものと考えられる,ヤコウガイの蓋を利用した貝斧(かいふ)です。
ヤコウガイ製の貝斧,敲打具,貝刃とされるものです。その形状から,主に物を削るために使われたと思われます。
この時代の斧は石や鉄で作ることが多いのですが,ヤコウガイの蓋は入手しやすく,手軽に加工できたため使われました。当時の人々が素材を大切にしていたことがわかります。
出土品は,現在開催中の上野原縄文の森企画展「古代人に学ぶ”MOTTAINAI(もったいない)”」(令和7年4月26日(土)~7月6日(日))で,見ることができます。
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(143) 「屋鈍遺跡」 (PDF)
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「小形仿製鏡」東免遺跡(霧島市隼人町)
弥生時代の小形内行花文鏡(紀元100頃)で,福岡県春日市の須玖遺跡群で鋳造された可能性があります。
青銅鏡の中央には穿孔があり,撚られた紐を通した状態で出土しています。古代の土坑で弥生時代の青銅鏡が出土していることから,数百年に渡り伝世された鏡と考えられます。
古代の人々が穿孔をあけ,紐を通して埋めたものなのか。仮に墓だとしたら,青銅鏡とどのような関係のある人物なのか。いつの時期に,青銅鏡が北部九州から南九州に持ち込まれたのか。様々な謎がある鏡です。
出土品は,現在開催中の上野原縄文の森企画展「古代人に学ぶ“MOTTAINAI(もったいない)”」(令和7年4月26日(土)~7月6日(日))で,見ることができます。
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(64) 「東免遺跡」「曲迫遺跡」「山神遺跡」
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「色々な滑石製品」芝原遺跡(南さつま市)
滑石という石は,柔らかく加工しやすい石で,保温性もありすべすべした感触をしています。希少な石材で古代末から中世にかけて,広く流通し,石鍋などが作られました。壊れた後も再び加工され,様々な製品に転用されています。
写真は,バレン状滑石製品といって,石鍋の補修に使用されたと考えられています。その他,「温石」と言われる携帯カイロとして利用された滑石製品や,滑石製の石錘(漁で使う網の重り)などに再加工されています。
これらの出土品は,現在開催中の上野原縄文の森企画展「古代人に学ぶ”MOTTAINAI(もったいない)”」(令和7年4月26日(土)~7月6日(日))で,見ることができます。
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(170)「芝原遺跡3」(PDF)
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「蛇の目釉剥ぎ」(原村遺跡:曽於市)
「蛇紋岩製石斧」(中津野遺跡:南さつま市)
「蛇紋岩」とは,暗緑色から黄緑色の光沢のある岩石で,蛇の皮の模様に似ていることから名付けられました。地学的には蛇紋石を主成分とする岩石を蛇紋岩といいます。硬さはモース硬度で表すと「3」で,10円玉硬貨と同じくらいです。
下の2点は,蛇紋岩で作られた縄文時代の磨製石斧です。蛇紋岩製磨製石斧は,縄文時代早期から晩期まで継続的に出土し,特に後期から晩期にかけて出土量・遺跡数が増えます。分布は鹿児島湾周辺を中心として北薩・南薩に集中する傾向があります。
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