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カテゴリー: 推しの逸品

これまでの発掘調査や整理作業で発見・掲載した遺物や遺構の中から,「これは」という「推しの逸品」を担当職員が紹介します。

台付の壺形土器(南摺ヶ浜遺跡:指宿市十二町)

古墳時代の土器で,壺の部分はソロバン(の珠)形の胴部を呈し,屈曲部分には幅広の突帯を施しています。

台の部分には対に4カ所の透(すかし)を施しています。「台付注口壺」と同じような器形をしています。

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(144) 「南摺ヶ浜遺跡」 

 

免田式土器(南摺ヶ浜(みなみすりがはま)遺跡:指宿市十二町)

古墳時代の土器です。頸部(くびれ)下に多条の沈線と縦位の刻みし,特徴的なソロバン(の珠)形の胴部に,重弧文を施しています。

沈線の部分に目をやると,目が回りそうになるくらい丁寧に線が施されています。

お墓へ供献されたとものと考えられており,底に近い部分に穴が開けられています。

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(144) 「南摺ヶ浜遺跡」 

 

数字が刻まれた青磁碗(里町遺跡:伊佐市大口)

8世紀末~9世紀中ごろに作られた,中国の江南地方の越州窯系青磁碗です。

外面には刻書があります。この時期に記銘があるものは少なく,貴重な資料です。

刻書は「七月」と「●時」の文字が刻まれています。作った日時を記したのでしょうか?

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(191)「里町遺跡」

軽石製品(中津野遺跡:南さつま市金峰町)

縄文時代後期(約4,000年前)の軽石製品です。鹿児島県では,この時代にたくさんの軽石製品がつくられます。中津野遺跡でも,たくさんの軽石製品が出土しました。

これは穴を4か所あけています。なんとなくオカリナのような形に見えませんか? どのように使っていたのでしょう。

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(217)「中津野遺跡 低地部・低湿地部編」第1分冊,第2分冊第3分冊

器台状土器(中津野遺跡:南さつま市金峰町)

縄文時代後期(約4,000年前)の器台状の土器です。指宿式土器ですが,この二つの土器は,胎土・色調・焼成等から,本来は同一個体(一つの土器)だったと考えられます。

外側に文様が巡る,かなり装飾性の高い土器です。何かを乗せたり,真ん中の穴に何かを挿したりして使っていたのでしょうか。

みなさんは,どのように使っていたと思いますか?

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(217)「中津野遺跡 低地部・低湿地部編」第1分冊,第2分冊第3分冊

舷側板part2(中津野遺跡:南さつま市金峰町)

以前紹介した,弥生時代前期後半(約2,500年前)の船の部材(準構造船の舷側板)の一部を,拡大して映したものです。磨製石斧などの石器を使って穴をあけた痕跡が,はっきりわかります。幅がわずか2~3cmほどの石器で,穴をあけるのは,とても大変だったと思います。当時の人々の苦労の痕跡が見て取れます。

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(217)「中津野遺跡 低地部・低湿地部編」第1分冊,第2分冊第3分冊

穴部分拡大

穴部分拡大

舷側版

 

 

 

轟B式土器(牧山遺跡:鹿屋市)

縄文時代前期の土器です。口縁が一部欠けていますが,完形の土器です。

土器の厚さが大変薄くて,丁寧なつくりです。口縁部と胴部の破片が出たら別の土器にしそうです。

『公益財団法人鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(44)「牧山遺跡3(縄文時代前期以降編)」第1分冊第2分冊

 

四国との繋がり? 松ノ木式系土器(山ノ中遺跡:鹿児島市)

約4,200年前の縄文時代後期前半の土器です。形と文様は四国中央部に位置する松ノ木遺跡(高知県)の標式土器に似ていますが,胎土は指宿地方のものに近いです。

この土器を,誰がどこで作り,どのような経緯で山ノ中遺跡で使われたのか知りたいものです。

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(103) 「山ノ中遺跡」

かごしま考古ガイダンス第17回「海や山へ広がる縄文人の活動」

 

「ハシゴ」(中津野遺跡:南さつま市金峰町)

弥生時代に使われていた木のハシゴです。この場所は水がたくさん湧き出る場所だったため,木はくさらずに残っていました。ハシゴは直径が15cm程度の小型で持ち運びできるサイズです。木に切り込みを入れてステップを作り,今の脚立みたいに使われていたのでしょうか。

『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(217)「中津野遺跡 低地部・低湿地部編」第1分冊