上野原縄文の森の再開について(お願い)
新型コロナウイルス感染症に関して緊急事態宣言が出されたことに伴い、4月18日から臨時休園をしておりましたが、5月8日から利用を再開いたします。
なお、当園では、感染症の予防・拡大防止のため、次のような取り組みを行わせていただきますので皆様のご理解・ご協力をお願いいたします。
(1) 発熱,咳・咽頭痛などの症状がある方の入館禁止
(2) 入館時の手指の消毒
(3) 園内でのマスク着用
(4) 展示館来館者との間隔(できるだけ2mを目安に)の保持
(5) 来館者の混雑状況に応じた入場制限
(6) 感染発症の際の,入場者の名前・連絡先の記入
(7) 県外来園者の入館制限
(8) 飛沫感染防止のためのビニールシート設置(受付等)
(9) 定期的な窓の換気
上野原縄文の森開館のお知らせ
新型コロナウイルスの感染拡大防止のため,上野原縄文の森を5月6日まで臨時休園しておりましたが,感染防止策を講じた上で,5月8日(金)から開園いたします。
なお,体験学習館は引き続き,閉館とさせていただきます。
■ 開園日
令和2年5月8日(金)
体験学習館予約申し込みフォーム
おうちで感じる上野原縄文の森2~ぬり絵で学ぶ縄文時代~
上野原遺跡では,土器や石器のほかに当時の人が暮らしていたムラの跡が見つかりました。
昔の人たちはどんな暮らしをしていたのでしょう?
今回はそんな縄文時代の人々の生活をじょうもんくんがイラストで紹介します。
イラストをクリックすると,ぬり絵をダウンロード出来ます。
ぬり絵をしながら,縄文時代の暮らしについて知ろう!
(イラスト横の文章をクリックすると,詳しい説明を見ることが出来ます)
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大好物のお肉をほおばるじょうもんくん (縄文時代の食生活) |
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縄文時代のおうち (縄文時代の住まい) |
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火をおこそう! (上野原縄文の森の火おこし) |
おうちで感じる「上野原縄文の森」
上野原縄文の森は,4月18日(土)~5月6日(水)までの期間,新型コロナウィルス感染拡大防止のために臨時休園となっております。
皆さんもおうちで過ごす時間が長くなっていると思います。
そこで,おうちの中でも上野原縄文の森の様子を少しでも感じていただけるよう,紹介動画を作りました!
今回は,「常設展示室」の一部をご紹介します。
いかがでしたでしたか?
今後も少しずつでも,上野原縄文の森の様子を紹介したいと思います。
第1回「令和元年度に埋蔵文化財センターが調査した主な遺跡」
廣牧遺跡(ひろまきいせき)
鹿屋市吾平町の姶良川と大姶良川に挟まれたシラス台地に立地する遺跡です。平成30年度から主要地方道鹿屋吾平佐多線(吾平道路)の建設に伴い,発掘調査が行われています。
縄文時代晩期から弥生時代前期(約3,000~2,400年前)の地層の中に,遺物が集中して出土する場所がありました。そこの浅い掘り込みの中から刻目突帯文土器の破片と共に5点の打製石斧が重なった状態 (集積遺構)で出土しました。 これらは,石斧というよりも土掘り具と考えられる石器ですが,なぜ5点もそろえて埋めてあったのか,興味が持たれるところです。
この土掘り具と考えられる石器は,畑などを耕したり,地中で育った植物食料を収穫したりする際の道具ではなかったかといわれており,この地域で農耕が営まれていた可能性を感じさせる遺物として注目されます。


久保田牧遺跡(くぼたまきいせき)
廣牧遺跡と同じく,鹿屋市吾平町にある遺跡です。縄文時代早期(約8,000年前)の集石遺構や土器・石器,古墳時代(5~6世紀)の大型竪穴建物跡,中世(12~15世紀)の掘立柱建物跡などの遺構・遺物が発見されており,大隅半島南部の先史・古代の人々の様子がわかる貴重な遺跡です。また,池田湖の大噴火による噴出物(約6,300年前)の堆積も観察できます。
古代(9~10世紀)の地層からは,墨書土器(墨で文字が書かれた土器)が見つかりました。はっきりとは読み取れませんが,当時の人々の生活の中で,文字が使われていた可能性を示す資料です。


牧B遺跡(まきびーいせき)
曽於市末吉町にある遺跡で,県道飯野松山都城線(末吉道路)改築に伴い,令和元年6月から10月まで調査を実施しました。
縄文時代後・晩期(約3,300~2,800年前)の遺物を含む地層を掘り下げたところ,約500点の土器や石器が出土しました。また,中央に土坑のある住居状の遺構が1基検出され,縄文時代後期(約3,300年前)の御領式土器や軽石,磨石,炭化物などが出土しました。
縄文時代早期(約9,000~8,000年前)の遺物を含む地層からは,下剥峯式土器や押型文土器,塞ノ神式土器,石鏃,スクレイパー,磨石などが出土しました。


笠取戦跡(かさとりいくさあと)
霧島市牧園町三体堂付近(標高 296m)の尾根に位置しています。西南戦争時の1877(明治10)年7月に,薩軍が堡塁(ほうるい),塹壕(ざんごう)を構築して陣を構え,官軍との激しい戦いが行われました。
このような堡塁跡は ,地元有志の方々によって, 牧園や横川を中心に約300基確認されています。調査を行った地点では,大型(長さ 10m・幅6m)の半円形堡塁が3基と,タコツボ形堡塁4基の計7基の堡塁を確認できました。
これらは,官軍が攻めてきたと考えられる北側方面に対して守備しており,高台から下の道路を一望できます。


鹿児島(鶴丸)城跡(かごしま(つるまる)じょうあと)
鹿児島市城山町にある近世薩摩藩の本城跡で,鹿児島県歴史・美術センター黎明館が建っている場所が,ほぼ本丸の跡になります。
御楼門建設や石垣整備等のために,平成27年から発掘調査を行っています。城の範囲を確認するために実施した令和元年度の発掘調査では,納戸や長屋など,建物の基礎と考えられる遺構が確認できました。
また,これまでの発掘調査で得られた成果から,令和2年4月に完成した御楼門の鬼瓦などが復元されています。


令和元年度刊行報告書
令和元年度に刊行した報告書を,公開しました。
以前の報告書は,「年度別 発掘調査報告書一覧」からご覧ください。
令和元年度
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(201)「出水貝塚」
松山初音・大保秀樹
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(202)「中津野遺跡」
鮫島えりな・湯場﨑辰巳・大保秀樹
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(203)「木佐木原遺跡」
黒木梨絵・宮﨑大和
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(204)「宇都上遺跡」
藤島伸一郎・株式会社パスコ(池畑耕一・関口昌和・関口真由美)
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(205)「鹿児島(鶴丸)城跡」
永濵功治・阿比留士朗・藤﨑光洋・山崎克之
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(25)「細山田段遺跡1」
鶴田靜彦・森えりこ
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(26)「小牧遺跡1」
田中時太郎・北園和代
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(27)「永吉天神段遺跡5 第2地点-3」(第1分冊)
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(27)「永吉天神段遺跡5 第2地点-3」(第2分冊)
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(27)「永吉天神段遺跡5 第2地点-3」(第3分冊)
横手浩二郎・相良典隆・株式会社パスコ(池畑耕一・関口真由美・関口昌和・翁長武司・松村由記・飯野拓哉)
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(28)「宮脇遺跡」
抜水茂樹・上床真
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(29)「六反ケ丸遺跡1」
平木場秀男・倉元良文・有馬孝一
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(30)「牧山遺跡2」
堂込秀人・本髙謙治・有馬孝一
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(31)「川久保遺跡2 B・D地点」
楸田岳志・中村有希・横手浩二郎
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(32)「春日堀遺跡1」
川口雅之・木之下悦朗・福永修一・馬籠亮道
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(33)「安楽小牧B遺跡(小牧古墳群)」
抜水茂樹・北園和代・馬籠亮道
研究紀要第12号
鹿児島県における縄文土器の実年代 -土器付着炭化物放射性炭素年代測定値から-
川口 雅之,黒木 梨絵,立神 倫史
天神段遺跡・宮脇遺跡出土試料の炭素14 年代測定 -大隅地方中部における押型紋土器の年代的位置付け-
中央大学 小林 謙一,立神 倫史
弥生時代におけるいわゆる樹皮布叩石の再検討 ―三次元記録と観察から―
鹿児島国際大学 中園 聡,太郎良真妃,平川ひろみ,若松花帆,下小牧 潤
遺物3Dデータ(PDFデータです。右クリック等でダウンロードして保存後,開いてください)
王子遺跡_454
王子遺跡_633
王子遺跡_1322
王子遺跡_1323
王子遺跡_1324
持躰松遺跡_595
持躰松遺跡_598
芝原遺跡_砥石
田原迫ノ上_1159
鹿児島県における弥生時代の周溝状遺構に関する基礎的研究 -周溝状遺構の集成と考察-
湯場﨑 辰巳
鹿児島城跡元禄以降の石垣について
阿比留 士朗
ちいさな来園者
自然がいっぱいの上野原縄文の森には,こんなお客様もお見えになります。
整理作業開始
埋蔵文化財センターでは,発掘現場から持ち帰った遺物や図面,写真などを整理(遺物の接合や復元,実測図作成など)し,遺跡の内容や様子を正確に記録し,後世に伝えるために,調査報告書を作成します。
整理作業は,埋蔵文化財センターの職員に加え,補助事務員(会計年度任用職員)の方々を任用し,遺跡ごとにチームを作って進めています。
4月14日,今年度の開始式がありました。今年は,新型コロナウイルス感染症拡大防止のため,センター2階の外にある「大地の広場」行いました。朝の屋外ということで,やや肌寒さがありましたが,新鮮で開放的な式になりました。
こうして,本格的な整理作業が始まりました。各遺跡,報告書作成に向けて1年間取り組んでいきます。
※ 新型コロナウイルス感染症拡大防止のため,現在整理作業の様子は見学できません。