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鹿児島県上野原縄文の森

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カテゴリー: 縄文の森

考古ガイダンス第20回

  • 縄文の風 かごしま考古ガイダンス
    第20回 九州縦貫自動車道関連の遺跡
  • 九州縦貫自動車道関連の遺跡分布図遺跡が道路工事などによって壊されてしまう場合,事前に発掘調査を行います。

    左図は,鹿児島県内中央部の発掘された主な遺跡を示す地図です。これを見て何か気づきませんか。遺跡の分布が一本の線のように見えるでしょう。
  • 【九州縦貫自動車道関連の遺跡分布図:1 加栗山遺跡, 2 小瀬戸遺跡, 3 加治屋園遺跡】
  • これは九州縦貫自動車道・南九州西回り自動車道(鹿児島~市来間開通)・東九州自動車道(加治木~末吉財部間開通)の3つの高速道路の建設工事前に発掘調査をした跡なのです。
  • ■鹿児島県における発掘史の転換点■
  • 九州縦貫自動車道の建設に伴い,昭和46年から昭和55年までの9年間に38ヵ所の遺跡が発掘調査されました。総面積はおよそ186,000平方メートルに上ります。このときの調査面積や出土した遺物の量は鹿児島県の発掘史上類をみないもので,数々の貴重な発見がなされました。鹿児島県に本格的な発掘調査の波が到来したのです。
  • ■主な遺跡の紹介■
  • 加栗山遺跡と加治屋園遺跡加栗山遺跡(かくりやまいせき)

    鹿児島市川上町。旧石器時代・縄文時代・中世山城跡の複合遺跡。縄文時代早期(約9,500年前)の竪穴住居跡が17軒,薫製(くんせい)づくりを行っていたと考えられる連穴土坑(れんけつどこう)と呼ばれる施設が33基発見されました。
    縄文時代早期のはじめ(約9,500年前)は,定住生活が始まるかどうかというころであり,一つの遺跡から竪穴住居跡が17軒見つかったことは全国でもまれなことでした。
    また旧石器時代の道具である細石器(さいせっき)や,石皿(いしざら)も発見されました。
  • 【写真 上空から見た加栗山遺跡(黄色)と加治屋園遺跡(青色)】
  • 加治屋園遺跡加治屋園遺跡(かじやぞのいせき)

    鹿児島市川上町。旧石器時代と縄文時代の複合遺跡。加栗山遺跡とは小川を隔てた台地にあり,鹿児島料金徴収所南側の台地縁辺部にあたります。約15,000年前の旧石器時代の層からは,加治屋園技法と名付けられた独特の技法を用いて製作された細石器や,短い粘土紐(ねんどひも)を貼り付けた土器のほか,石鏃(せきぞく)や石皿などが発見されました。

    【写真 上空から見た加治屋園遺跡】
  • 土器が発明される前の時代のことを旧石器時代といいます。加治屋園遺跡では,旧石器時代の代表的な道具である細石器と,縄文時代に作られた土器や石鏃・石皿などが同時に発見されました。

    この他にも鹿児島では,旧石器時代の終わりから縄文時代の始めにかけて,多くの遺跡が発見されています。これは日本列島の中でも南に位置し,いち早く気候の温暖化が進んだことが要因の一つといわれています。暖かい気候の中でドングリなどの木の実に恵まれ,それを求めて動物も多く住むようになったのでしょう。このように,生活に欠かせない食料が豊かになり,初めて定住生活が始まるようになったと考えられています。
  • 小瀬戸遺跡小瀬戸遺跡(こせどいせき)

    姶良郡姶良町。桜島サービスエリア近くの沖積低地に所在。奈良時代末から平安時代にかけて使われた土師器(はじき)・須恵器(すえき)・青磁(せいじ)・白磁(はくじ)・瓦(かわら)などが多量に出土しました。遺構としては数多くの柱穴群をはじめ,掘立柱建物跡2棟,井戸跡2か所,溝状遺構10条などが発見されました。
  • 【写真 上空から見た小瀬戸遺跡】
  • 井戸跡からは木製の容器,瓦,植物の種子(モモ・ウメ・ヒョウタン等)が出土しました。通常木製品や種などは腐敗しますが,この遺跡は低湿地であるため,地下水に保護されて残っていたのです。当時の植物や木製品を知る上で貴重な資料です。また底面に「伴家」とヘラで書かれた緑釉陶器(りょくゆうとうき)や墨書土器(ぼくしょどき)なども出土しました。
  • 当時これらの陶器や文字が使用されたのは役所や寺院などごく限られた場所であったことや,大隅国分寺跡と類似した瓦が見つかっていることから,郡衙(ぐんが)などの公的な施設があったのではないかと考えられています。 
    九州縦貫自動車道関連で発掘されたその他の主要な遺跡として,三代寺遺跡(加治木町)・石峰遺跡(溝辺町)・木場遺跡(栗野町)・桑ノ丸遺跡(溝辺町)などがあります。
  • 用語解説
  • 石皿 木の実などをすりつぶすのに使用した皿状の石器。
    石鏃 石のやじり。矢の先につけて,狩猟具・武器として使用した。
    黒曜石 灰色ないし黒色のガラス質の石。硬くて加工がしやすいという性質 から石器の素材となる。
    青磁 青緑色または淡黄色の釉薬(うわぐすり)をかけた磁器。
    白磁 白色の磁器。
    磁器 素地(そじ)がよく焼きしまってガラス化し,吸水性のない純白透明性 の焼物。有田焼・九谷焼など。
    土師器 古墳時代から平安時代まで使用された赤茶褐色の土器。弥生時代の技法を受け継いでいる。
    須恵器 古墳時代から平安時代まで使用された灰色の焼物。朝鮮半島から伝わった技法で作られ,土師器よりも硬い。
    郡衙 郡司が政務をつかさどる役所。奈良・平安時代,全国に国と郡と里が設置された。
    墨書土器 墨で文字や絵画などを書いた土器。
  • (文責)橋口 勝嗣

縄文の森から 平成28年9月

平成28年9月27日(火)

常設展示室の河口コレクションコーナーをリニューアルしました。

千束(せんぞく)遺跡」(南大隅町),「(いり)()遺跡」(日置市)の出土資料

常設展示室で,長年,鹿児島県の考古学界をリードしてきた考古学者,河口貞徳(かわぐちさだのり)氏(1909~2011)が調査した遺跡の考古資料等を紹介しています。
 今回紹介するのは,千束遺跡と入来遺跡の出土資料です。
 千束遺跡は古墳時代(約1,500年前)の遺跡です。昭和47年の調査では竪穴住居跡が2軒発見されました。1号住居跡からは完全な形をした甕形(かめがた)土器,軽石の加工品などが,2号住居跡からは土器片,鉄製品,木の実,(じゅう)(こつ)などが出土しました。
 入来遺跡は弥生時代と古墳時代の遺跡です。調査の結果,弥生時代前期後半(約2,300年前)のU字(こう),弥生時代中期前半(約2,200年前)のV字溝や貯蔵穴(ちょぞうけつ),古墳時代の竪穴住居跡群などが発見されました。


平成28年9月13日(火)

平成28年度考古学講座第3回 

「関白秀吉の薩摩侵攻の足跡」

豊臣秀吉が行った薩摩侵攻を県内に残る遺跡をもとに解説します。

日 時:9月24日(土)  13:30~15:00 ※終了しました
講 師:南九州城郭談話会 副会長 新東 晃一 氏 
定 員:80人程度
場 所:展示館多目的ルーム
資料代:100円

考古ガイダンス第19回

  • 縄文の風 かごしま考古ガイダンス
    第19回 貝殻文土器の時代
  • ■桜島と考古学■
  • 錦江湾に悠然とそびえる桜島は鹿児島を代表する景観であり,象徴的存在でもあります。その桜島は,約2万5,000年前に大噴火した姶良カルデラの南東の海中に誕生し,17回の大規模な噴火のあったことが火山研究者によって確認されています。中でも4回目の噴火は今から約1万1,500年前とされ,この噴火により現在の桜島の姿が形作られたと考えられています。
  • この噴火の記録は各地で火山灰の堆積層として残され,遺跡や崖面で観察することができます。火山研究者や考古学研究者の間では薩摩火山灰あるいはSz‐SもしくはP14と呼ばれ,遺物や遺構の時代判断の重要な目安とされています。
    今回取り上げる土器はこの薩摩火山灰層に最も近く,しかもその直上で発見されることが多い「岩本式土器(岩本タイプ)」です。
  • ■貝殻文の時代■
  • 岩本式土器ところで縄文土器とは縄でつけた文様を持つ土器のことで,縄文時代の土器の総称です。しかし縄文時代人は,縄以外にもヘラや貝殻で文様を描いたり,粘土紐や文様を刻んだ棒状の施文具で巧みに土器の表面を飾っています。
    縄文時代早期の南九州の人々は,貝殻を利用することが一般的でした。特にサルボウやアカニシの口の部分を用い,押したり引いたりの動作を繰り返し,波形の刻み目を付けたり斜めに筋を引っぱったりと,シンプルではありますが芸術感あふれる文様を残しています。
    これらの土器を総称して貝殻文土器と呼んでいます。特に円筒形に仕上げることの多い岩本式土器・前平(まえびら)式土器・吉田式土器・石坂式土器などは,円筒形貝殻文土器と呼ばれています。
  • 【図 岩本式土器(指宿市・岩本遺跡出土)】
  • ■上山路山(かみやまじやま)遺跡■ 
  • 縄文早期の遺跡岩本式土器が大量に出土して注目されている遺跡に,伊集院町の上山路山遺跡があります。1997年度に南九州西回り自動車道の建設に先立って調査を行ったこの遺跡は,台地の縁辺から谷へ下る斜面に遺跡が作られていました。

    遺跡の中心部である集落跡は,調査範囲外の台地中央部と推定されています。谷への急斜面で大量の土器が発見されたことにより,ここは土器捨て場であった可能性が高いとみられています。縄文時代の遺跡は,上山路山遺跡と同様に台地の縁辺部に形成されることが多いといえます。ここ上野原遺跡もその一つであり,青森県の三内丸山遺跡も青森湾を見下ろせる場所に遺跡が残されています。
  • 【写真 縄文早期の遺跡(伊集院町・上山路山遺跡)】
  • なぜ縄文時代の遺跡の多くはこのような台地に作られたのでしょうか。おそらく台地の裾には川が流れ広い湿地が広がり,遠くには海が眺望できたとことでしょう。このような台地の麓には,水や食料を求めて動物が集まり,川や海には豊かな魚や貝があふれていたと思われます。
  • ところで,上山路山遺跡の谷筋には道跡らしき遺構も発見されています。頂上部分に当たるわずかな平坦部を調査していたときに検出されたもので,おそらく台地上の生活の場と谷を行き来したものと思われます。またY字状の三差路らしき部分もあわせて発見されました。
  • 道跡遺構は,黄褐色の薩摩火山灰層の上に黒っぽい土が入る溝状の窪みとして残されていました。また先に記した土器捨て場の可能性が高いことは,道跡には土器を捨てておらず,使用しない反対側の急勾配の斜面から大量に土器が発見されていることからも類推することができます。
    仮にこのように推定することが可能であれば,生活の場と捨て場の使い分けが既にあったこととなり,生活環境に対する空間認識が存在したということがいえます。
  • ■岩本式土器の起源■
  • 岩本式土器の出土状況岩本式土器の起源については,少しずつ明らかになりつつあります。

    薩摩火山灰層の下から発見される土器の多くは,隆起線文土器・隆帯文土器と呼ばれる縄文時代初源期の土器で,岩本式土器とは製作方法や土器の形・文様が大きく異なっています。そのため直接的な繋がりを見ることはできません。したがって,薩摩火山灰層を介して文化的・時間的断絶が存在することになります。
    しかし,最近指宿市の岩本遺跡や水迫遺跡,宮崎県の堂地西遺跡等の出土品の中に,その繋がりを示す答えが秘められている可能性が指摘されつつあります。また岩本遺跡・上山路山遺跡等では,岩本式土器に赤色顔料を塗った土器が出土しており,これまで日本最古の例であると考えられていました。
  • 【写真 岩本式土器の出土状況(田代町・ホケノ頭遺跡)】
  • しかし,最近になり薩摩火山灰層よりも古い隆帯文土器や,末吉町の桐木遺跡出土の隆起線文土器にも赤色を塗彩していることがわかってきました。このことは,薩摩火山灰層を介して時間的隔絶は明らかに存在してはいるものの,赤く塗られた土器を使う意識や慣習に共通した側面があったことを指摘できるでしょう。
  • 土器を赤く塗るという文化・伝統の面からの繋がりが考えられるのです。今後の新たな調査・研究の進展によって,また異なった展開も期待されるところです。
  • 「君よ知るや南の国」
    今回は上野原遺跡より少し古い時代の話でした。南国の豊富な自然の幸を利用しながら,南九州の人々はすばらしい文化を作りあげたのです。
  • 用語解説
  • 岩本式土器(岩本タイプ) 指宿市岩本遺跡で見つかった円筒形貝殻文土器の一種。
    器形は円筒形(バケツ形)で,口唇部に波型の刻みが入る。
    内外面は貝殻を利用して,丁寧になでてある。
  • (文責)寺原 徹

縄文の森から 平成28年8月

平成28年8月5日(金)

NEW! おすすめ!展示コーナーのお知らせ 

南日本新聞掲載中(いにしえ)の美術品」紹介コーナー

 平成27年5月から南日本新聞の「古の美術品」として紹介された出土品を展示しています。間近でみられる(いにしえ)の形や当時の人々の技は必見です。


*スペースの関係で,順番にご紹介します。 


平成28年8月3日(水)

上野原縄文の森

縄文村の十五夜まつり・ミニコンサート
平成28年9月17日(土)16:00~20:00

☆十五夜まつり 復元集落 16:00~18:30

※餅つき・団子づくり・綱引き・相撲など(天候次第では変更になる場合があります)
※餅つきと団子づくりのみ定員及び参加費あり 定員80人(要事前申込み):餅つき,団子作り,食事代等一人400円


餅つき


団子作り

☆ミニコンサート 展示館ホール 18:40~19:20

※ライトアップした和紙ドームと幻想的な雰囲気の中でのミニコンサートです。
※料金 無料  どなたでも参加できます。(申込み不要)


今回の出演者


昨年の様子

☆月の解説・観察  展示館2階テラス 19:20~20:00

※参加料 無料  双眼鏡や望遠鏡をお持ちの方はご持参ください。(天候次第では変更になる場合があります。)


平成28年8月1日(月)

企画展講演会のお知らせ 

◎第46回企画展に関連した講演会を開催します。

1 日時・内容等

2 場 所 上野原縄文の森展示館 多目的ルーム

3 対 象 どなたでも参加できます。

4 定 員 80人程度(要事前申込み)
      ※申込みについては,裏面FAX送信票をご利用ください。

5 資料代 100円

6 その他
講演会終了後,希望者を対象に企画展示室で講師によるギャラリートークを行います。(別途展示館利用料金が必要)

7 問い合わせ・申込先 (公財)鹿児島県文化振興財団 
   上野原縄文の森
  霧島市国分上野原縄文の森1番1号
  TEL 0995-48-5701
  FAX 0995-48-5704

考古ガイダンス第18回

  • 縄文の風 かごしま考古ガイダンス
    第18回 朝鮮半島と西北九州と活発に交流
  • ■埋蔵文化財の宝庫・屋久島■
  • 曽畑式土器が出土した主な遺跡と想定される曽畑式土器文化圏北東側の種子島から望むその姿は「洋上アルプス」の名にふさわしい威容を誇っています。まるで海洋を旅する人々のための道標のようです。

    「世界自然遺産」の島,屋久島。九州一の標高1,935メートルの宮之浦岳を筆頭に,1,000メートルを越える山々が30座以上も連なっています。

    樹齢1,000年を越える「屋久杉」をはじめ,「ヤクザル」「ヤクシカ」など独特の動植物が多くの人々を魅了してやまない,類まれな自然環境のこの島は,埋蔵文化財の宝庫でもあります。

    現在明らかになっている遺跡数は65か所。旧石器時代の遺跡は確認されていませんが,縄文時代の前期(6,000年~5,000年前)から晩期(3,000年~2,300年前),弥生時代~中世までと幅広くあります。

    今回はこの中から上屋久町北端に位置する「一湊松山(いっそうまつやま)遺跡」を紹介します。
  • 【地図 曽畑式土器が出土した主な遺跡と想定される曽畑式土器文化圏】
  • この遺跡の所在する一湊(いっそう)集落は,一湊川によって開けた沖積低地及び砂丘地にあります。矢筈(やはず)岬と一湊湾が形成する天然の良港に恵まれ,カツオやサバ漁の基地として知られる漁業の町で,背後には「布引(ぬのび)きの滝」が流れるなど,生活に必要な水を容易に求められる立地条件の整った場所です。
  • 昭和32年・55年・平成4年~7年にかけての発掘調査において,縄文時代前期・後期(約5,000年~4,000年前)・晩期,弥生時代後期(紀元前1~3世紀)の遺構・遺物が発見されています。中でも,九州における縄文時代前期を代表する曽畑式土器が,大量に出土した特徴ある遺跡として注目されています。
  • この土器は,屋久島から遠く離れた熊本県宇土市にある曽畑貝塚が標式遺跡で,一般的に底の丸い深鉢が多く,壷形,椀形等もあります。外側のほぼ全面と口縁部の内側の一部に細いへら状,もしくは棒状の道具を使って文様を描いています。刺突文(しとつもん)・鋸歯文(きょしもん)・平行線文・四角・三角組み合わせ文・綾杉文など,多彩な文様が連続的に組み合わされ,幾何学的文様になっています。
  • ■曽畑式土器■
  • 曽畑式土器
    曽畑式土器
    (一湊松山遺跡出土)
    幾何学的文様を見せる曽畑式土器の様々な施文
    幾何学的文様を見せる曽畑式土器の
    様々な施文(一湊松山遺跡出土)
    1 刺突文

    2 平行線文

    3 四角・三角組合せ文

    4 平行線文

  • 曽畑式土器が発見されている地域は,朝鮮半島南部の釜山市にある東三洞(とうさんどう)貝塚から九州全域,さらに,沖縄県読谷(よみたん)村の渡具知東原(とぐちあがりばる)遺跡,同県北谷(ちゃたん)町の伊礼原(いれいばる)C遺跡など,南北950キロメートルにも及ぶ広大な範囲に及びます。そのため,この土器の起源及び伝播ルート解明は,長年,考古学での研究の焦点となってきました。
  • 一般的な説としては,縄文時代の前期に朝鮮半島の櫛目(くしめ)の文様を持つ土器を使用する人々が海を渡り西北九州に上陸。当時同地で使用されていた土器に影響を与え,その結果曽畑式土器が成立したとされています。朝鮮半島と西北九州縄文人との活発な交流関係を想定し,朝鮮半島南部→西北九州→中九州→南九州→沖縄へ伝播したと考えられています。
  • 確かに一湊松山遺跡で発見された曽畑式土器は,屋久島には無い滑石(かっせき)を混ぜて作られた搬入品が出土しています。さらに,その形状を模しながらも,屋久島に特徴的な長石と金雲母が混ざった土で焼き上げられた独自の地元産の土器も,上下の地層から発見されています。このことは,島外産の土器と地元産の土器が時期をずらして交互に使用されていたことを意味し,曽畑式土器の南下説を考える上で注目されています。
  • ところが,これらの土器が使用されていた時間差を発見された状況から検討してみると,島外産と地元産が入れ替わるサイクルが以外に早いようで,従来の伝播(南下)説だけでは説明しがたい状況が見えてきます。
    この謎を解き明かす事実として,近年,金峰町阿多貝塚,大口市日勝山遺跡,横川町星塚遺跡,頴娃町折尾遺跡から,古い時期の曽畑式土器が発見されたことは重要な意味をもちます。それは西北九州から南下した曽畑式土器とその文化が,中心的な拠点を九州の東シナ海沿岸に拡散し,西南九州が大きなまとまりとして曽畑式土器文化圏を形成していき,その中で一湊松山遺跡に生活していた人々が九州本土と南西諸島を結ぶセンター的役割を担っていたとも考えられるからです。
  • 縄文人の海上交流
  • 栫ノ原遺跡出土 丸ノミ形石斧ところで縄文人の海上交流はいつ頃から始まっていたのでしょうか。それは縄文時代の始まりと言われる草創期に早くも確認されています。
  • 【写真 栫ノ原遺跡出土 丸ノミ形石斧】
  • 一湊松山遺跡遠景「丸ノミ形石斧(せきふ)」。草創期の遺跡として県内で著名な加世田市栫ノ原遺跡,鹿児島市掃除山遺跡,志布志町東黒土田遺跡,さらに縄文時代早期後半(約7,000年前)に相当する鹿屋市前畑遺跡,種子島の西之表市立山遺跡等で出土しているこの石斧は,丸木舟の製作工具と考えられています。
  • 【写真 一湊松山遺跡遠景】
  • これらの地域以外でも奄美諸島,沖縄諸島のいわゆる黒潮文化圏にも分布しており,丸木舟も全国で約40遺跡から100隻を越え発見されています。これまで九州で発見されている最古の丸木舟は,長崎県多良見(たらみ)町伊木力(いきりき)遺跡から発見された縄文時代前期のものとされます。曽畑式土器の広範な分布状況から見て,この時代,丸木舟を自在に操る海洋性に富んだ人々の移動があったことは,容易に想像できます。
  • (文責)松尾 勉・山崎 克之

縄文の森から 平成28年7月

平成28年7月28日(木)

 今の季節,古代池では大賀ハスの開花がみられます。
 大賀ハスは,植物学者の大賀一郎博士が,落合遺跡(千葉県)で発掘された,今から2,000年以上前の古代のハスの実を発芽・開花に成功させたハスです。
 ぜひ,この機会にご覧ください!!


平成28年7月11日(月)

第37回霧島国際音楽祭2016
縄文の森
ミュージアムコンサートのお知らせ

壮大な歴史ロマンを感じながら聞く
縄文の森コンサート

霧島国際音楽祭出演者 安楽 真理子さんの
ハープ演奏をお楽しみください!!

【日 時】 平成28年8月2日(火)13:00~14:00 ※終了しました
【場 所】 鹿児島県上野原縄文の森展示館ホール
【曲 目】 ヘンデル:ハープ協奏曲 変ロ長調 HWV294
      フォーレ:即興曲 Op.86 ほか
【料 金】 無料
【申込み】 不要
【問い合わせ】 上野原縄文の森 事業課
          電話 0995-48-5701


安楽 真理子


前回(平成26年7月19日)の様子

 東京生まれ。8歳からハープを学び始め,1989年第1回日本ハープコンクール優勝。1992年イスラエル国際ハープコンテスト第3位,パールシャートック賞も受賞。1993年プロムジシス財団国際賞を日本人として初めて受賞後,世界主要都市でデビューリサイタルを開き好評を博す。1995年ジュリアード音楽院大学院在学中にニューヨークのコンサート「アーティストギルド コンクール」で優勝。同年,メトロポリタン歌劇場管弦楽団のハーピストに就任。ソロ,室内楽演奏活動を続ける傍ら,ユニセフのチャリティーコンサートやボランティア演奏活動なども積極的に行っている。旧東芝EMIから4枚のCDをリリース。マンハッタン音楽院講師。

第46回 新発見!かごしまの遺跡2016

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    ※ クリックすると,チラシがダウンロードできます(どちらの画像も同じチラシがダウンロードされます)。 
     
     平成27年度に発掘調査や整理作業・報告書刊行を行った遺跡を中心に,最新の情報を紹介します。集成館事業の一環として,薩摩藩が文久3(1863)年に建設した「敷根火薬製造所」跡や,弥生時代の住居跡から「山ノ口式土器」が多数出土した田原迫ノ上遺跡など,注目される遺跡の調査成果を紹介します。
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  • ■企画展で紹介する主な遺跡■
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    じょうもん一家のイラストをクリックすると,遺跡紹介パネルが新しいウインドーに表示されます。   
     
    企画展データファイル
     
      【第46回企画展CM
  • ■注目の展示品■
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     ご覧になりたい展示品をクリックしてください。拡大して表示されます。
  • ■企画展講演会■
  • 【第1回】 平成28年 8月20日()13:30~15:00 ※終了しました
       紹介遺跡:「敷根火薬製造所跡」「根占砲台跡」「永吉天神段遺跡」
    【第2回】 平成28年10月29日()13:30~15:00
    ※終了しました
     
     紹介遺跡:「牧野遺跡」「小牧遺跡」
    〔各回共通〕
     講 師:県立埋蔵文化財センター職員ほか
     定 員:80人程度(要事前申込み)
     場 所:展示館多目的ルーム
     資料代:100円
     講演会終了後,希望者を対象に企画展示室で講師によるギャラリートークを行います(別途展示館利用料金が必要となります)。 
  • ■企画展ギャラリートーク■
  • 企画展開催中に展示の解説を行います。
     【日 時】 開催中の第1・第3日曜日
     1回目 10:30~ 2回目 14:30~ ※各回30分程度
     【会 場】 企画展示室

考古ガイダンス第17回

  • 縄文の風 かごしま考古ガイダンス
    第17回 海や山へ広がる縄文人の活動
  • ■4,000年前の人々とは■
  • 山ノ中遺跡全景今から約4,000年前の縄文時代後期の人々とはいったいどんな人々だったのでしょうか。実は,現在の私たちととても深い関係にある人たちなのです。 

    4,000年前というと想像もつかないほど昔のことのような気がしますが,自分自身の先祖をさかのぼっていくと,3世代で約100年経つことになります。同じように考えていくと,30世代で1,000年,4,000年前だと現在の私たちのおよそ『120世代前の祖先の生きた時代』と考えることができます。
  • 【写真 山ノ中遺跡全景】
  • それでは,120世代前つまり,縄文時代後期の人びとの生活を山ノ中遺跡(鹿児島市西別府町)を中心にのぞいてみることにしましょう。
  • ■幅広い交流範囲■
  • 各地域の3,800年前頃の土器山ノ中遺跡からは,縄文時代後期前半(約3,800年前)の指宿式土器を中心とする土器が大量に出土しました。それ以外にも,開聞岳周辺で作られたと推定される土器の表面が紫色を帯びた土器や,出水地方で作られたと推定される粘土に滑石を含むもの,志布志湾沿岸でよく見られる貝殻を使った口縁部を廻る刺突文が施された土器等も出土しています。
  • 【イラスト 各地域の3,800年前頃の土器:右から堀之内Ⅱ式土器・松ノ木式土器・指宿式土器】
  • さらに,南九州以外の地域で作られたと考えられる「磨消縄文土器」(すりけしじょうもんどき)も出土しています。磨消縄文土器は,初めに縄文を施し,その上から沈線等で区画を加え,区画外の縄文を磨り消して文様を描くもので,縄文時代中期後半(約4,200年前)以降になってから日本全国に普及したものです。南九州では,指宿式土器の頃から(約3,800年前)磨消縄文の影響が見られます。
  • 山ノ中遺跡で出土した磨消縄文土器は,高知県長岡郡本山町の松ノ木遺跡から出土したものと文様の描き方・形・材料に使われた粘土等類似しています。縄文人の交流の深さが指摘されています。
    また,鹿児島県の縄文後期前半の遺跡を見てみると,薩摩半島よりも大隅半島に多くの遺跡があったことがわかっています。特に曽於郡内だけで66か所の遺跡が周知されており,これは県内全体の40%近くを占めています。関東地方に初源のある磨消縄文土器が瀬戸内地方や四国を経て南九州に波及してくるときに大隅半島側がその受け入れ口になったのではないかと考えられています。
  • ■肉より木の実が好きだった?■
  • 出土した磨製石斧と現代の斧縄文時代は弓矢を使って動物を捕り食料等にしていたと考えられるため,各々の遺跡においても多くの石鏃(せきぞく)が出土していますが,山ノ中遺跡では少々様子が違っています。

    【写真 出土した磨製石斧と現代の斧】

    例えば,石鏃や動物をさばくための石匙(いしさじ:小型のナイフのような石器)は合わせて10数点しか見つかっていないのに対し,木を切り倒したり加工するための磨製石斧(ませいせきふ)が約200本,木の実をすりつぶしたりするための道具である石皿や磨石(すりいし)や敲石(たたきいし)も多く発見されました。これらの道具は,そのほとんどが完形品ではなく,割れた状態のものであることからこの場所で使用されていたと推定されています。
  • 山ノ中遺跡出土の土器・ 石皿・石斧等縄文時代の人びとは狩猟・採集をして暮らしていたといわれていますが,山ノ中遺跡では狩猟よりも採集の方に重きをおいていたようです。

    これはこの時期に一般的な傾向だったのか,それとも山ノ中遺跡だけのものなのかは他の遺跡と比較しながらその理由を考えていかなければなりません。
  • 【写真 山ノ中遺跡出土の土器・石皿・石斧等】
  • 当時の生活の様子を知る手がかりとしてゴミ捨て場は貴重な存在です。山ノ中遺跡の地形を見てみると,住居跡が見つかっている北側は平坦地になっているのに対し,土器や石器が大量に出土した場所は急な谷になっています。
  • 土器廃棄場の検出状況このような遺跡の在り方は,鹿児島市草野貝塚や志布志町中原遺跡とよく似ています。草野貝塚は海に近く,貝をたくさん食べ貝殻を捨てたのでゴミ捨て場は貝塚となりましたが,山ノ中遺跡や中原遺跡は海から遠く貝はほとんど食べていなかったために貝塚として残るにはいたっていません。しかし,「土器廃棄場」と呼ばれる大量の土器が発見される場所があるのです。
  • 【写真 土器廃棄場の検出状況】
  • この土器廃棄場の土器がより完形に近い形で捨てられていることから,採集した木の実をすりつぶし,土器の中に水を入れ沈殿・乾燥させ,土器の底にたまったデンプンをかき出すのではなく,土器を割ってデンプンを取り出し,不要になった土器を谷部に捨てたのではないかという説もあります。
  • 秋には木の実を拾い集め,冬の食料のために穴を掘って保存したり,竪穴住居の中で石皿や磨石を使って木の実をすりつぶしていたのではないでしょうか。
    身近な自然の恵みを糧(かて)に様々な工夫を凝らし,幅広い範囲の人々と交流をもちながら生活していた私たちの祖先の生活に想像をめぐらせば興味も尽きませんね。
  • (文責)高岡 利也

縄文の森から 平成28年6月

平成28年6月27日(月)

参加者募集中!

一日縄文人体験 第2回

「上野原の文様コレクションを作ろう」

 今年は上野原遺跡発掘調査30周年!今回の一日縄文人体験は,粘土とひもなどを使い上野原遺跡で出土した土器の文様を作ります。デスクに飾るのも良し,学校の自由研究に用いるのも良し,上野原遺跡を感じてください!
 みなさんの参加をお待ちしております!!

 日 時:7/30(土)午前10時~正午
 定 員:小学生以上30人程度
            (要事前申込み)
 場 所:復元集落休憩所
 参加料:500円(材料代,資料代など)


平成28年6月14日(火)

参加者募集中!

夏休み縄文キャンプ村 

 縄文の森でしか体験できない竪穴住居泊。縄文服や縄文料理作りにカブトムシ合戦もあるよ。みなさんの参加お待ちしております!!

 日 時:7/23(土)午前10時~7/24(日)午前10時まで
 定 員:小学生以上7家族25人程度(7グループ)
     (要事前申込み)
 場 所:復元集落
 参加料:一人2,000円(食材費,体験材料費,保険料等)


平成28年6月9日(金)

平成28年度考古学講座第2回

 「明治日本の産業革命遺産」

(写真提供:鹿児島県企画部世界文化遺産課)

 昨年7月に世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」の価値や概要等について解説します。<

 日 時:7月16日(土)13:30~15:00 ※終了しました
 講 師:鹿児島県企画部 世界文化遺産課
     登録推進班 主査 川口 雅之氏 
 定 員:80人程度
 場 所:展示館多目的ルーム

考古ガイダンス第16回

  • 縄文の風 かごしま考古ガイダンス
    第16回 瀬戸内地方との交流
  • 休日を利用して,各地の遺跡巡りをするのも良いものです。
    実際にその大地に降りて土を踏みしめると,写真や書物では決して味わうことのできない太古のロマンを満喫することができます。嬉しいことにマイカーを使えば短い時間で多くの遺跡を見て回ることも可能です。これは単に「車」という文明の利器によるものだけではなく,無数に延びる交通網の整備・発達の恩恵にほかならないことは言うまでもありません。

    当然のことですが,縄文時代には現代のような大規模で計画的な道があったはずがなく,わずか数キロメ-トル離れた隣の集落へ出かけるにも山を越え,谷を渡り,道なき道を行く大変な苦労であったことは想像に難くありません。
    しかし,そのような時代にすでに九州島内はもとより,南は南西諸島,北は中国・四国以北の地域と交流が行なわれていたとしたら,皆さんはどのように思われるでしょうか。
  • ■交流の証し■
  • 船元式土器が出土した榎木原遺跡県内各地の縄文時代の遺跡から黒曜石を用いて作った石器が出土します。黒曜石の産地として県内では大口市の日東や鹿児島市の三船などが知られています。この黒曜石が産地以外の遺跡で出土するということは,当時の人々が頻繁にその産地と行き来し,持ち込んできたということが分かります。また,有り難いことに,黒曜石は産地によって性質が異なるので,どこの産地のものか見当がつきます。その中には大分県の姫島産のものも見られ,広範囲に渡って交流が行なわれていたということが伺えます。
  • 【写真 船元式土器が出土した榎木原遺跡】
  • さらに一歩踏み込んで,「土器」をもとにしてアプローチを図っていくと交流の様相が一層明らかになってきます。そこで,縄文時代早期と中期の遺跡から出土する土器に注目し,その実態にせまってみたいと思います。
  • ■縄文時代早期■
  • 船元式土器縄文時代早期は,様々なバリエーションに富んだ土器が登場した時期で,この頃の土器の文様は,関東地方一帯に於いては縄や撚糸(よりいと)を土器面に転がして施文した「縄文」や「撚糸文」が主流であったの対し,南九州では貝殻によって施文した「貝殻条痕文」が一般的です。
  • 【図 船元式土器】
  • 春日式土器上野原遺跡をはじめ県内各地の遺跡から出土する前平(まえびら)式土器や吉田式土器など,南九州の代表的な土器の文様がそれを物語っています。ところが,縄文時代早期も後半にさしかかると,塞ノ神(せのかん)式土器など「撚糸文」を施文した土器が現われます。また,その他には,「押型文」を施した手向山(たむけやま)式土器などが出現します。押型文は,瀬戸内地方で流行した,丸棒に山形や楕円形の文様を彫刻したものを土器面に転がして施す施文法です。
  • 【図 春日式土器】
  • このことは,南九州が瀬戸内地方の施文技術の影響を受け,交流があったことを意味しています。
    さらに時代が下って,縄文時代中期に入ると,春日(かすが)式土器と船元(ふなもと)式土器が登場します。この二つの土器にも交流の様子が伺えるのでご紹介します。
  • ■縄文時代中期■
  • 鹿児島県内の各遺跡と岡山県船元貝塚の位置図春日式土器と船元式土器は,ともに縄文時代中期(約4,500年前)の土器で,県内の各遺跡では混在して出土しますが,実は,それぞれ出身地が異なるものなのです。

    春日式土器は九州南部を中心に分布する土器型式で,鹿児島市春日町遺跡を標式遺跡としています。器形は口縁部が内湾しながら外に開くキャリパー形の深鉢が主体で,器面には「貝殻条痕文」が施され,文様は無文または沈線や隆帯の渦文や曲線文が描かれています。県内では春日町遺跡をはじめとして北手牧(きたてまき)遺跡(頴娃町)や,前谷(まえたに)遺跡(松山町),根木原(ねぎはら)遺跡(鹿屋市)など数多くの遺跡で出土しています。
  • 【地図 鹿児島県内の各遺跡と岡山県船元貝塚の位置図:1 春日町,2 榎木原,3 前谷,4 船元貝塚】
  • 船元式土器は中部瀬戸内を中心に分布する同じく縄文中期の土器型式で,岡山県倉敷市船元(ふなもと)貝塚を標式遺跡とします。器面には荒く固い繊維による「縄文」や「撚糸文」が施されるのが大きな特徴で,県内では榎木原(えのきばる)遺跡(鹿屋市),鞍谷(くらたに)遺跡(枕崎市)などで出土しています。
  • これら二つの土器は,九州と中国地方という隔てられた場所にほぼ同時代に出現した土器で,全く関連性がないように思われますが,面白いことに,キャリパー形の器形や施文の手法など非常に共通点が多い土器です。特に,榎木原遺跡で出土した船元式土器の中には,岡山県倉敷考古館所蔵の船元式土器と施文や胎土(たいど)において全く類似しているものが見つかっており,これは,倉敷の地でつくられた土器がそのまま移入してきたものと考えられます。

    また,春日式土器の「貝殻条痕文」に対する船元式土器の「縄文」「撚糸文」施文の両者の相違などから研究を進めると,春日式土器は縄文時代中期より以前に南九州地方に分布していた,深浦(ふかうら)式土器等の流れを汲みながら,瀬戸内地方から移入してきた船元式土器の影響を受けて登場した土器ではないかと考えられます。

    今回は,土器型式とその分布の様子から交流の手がかりを探る一例を紹介しました。すでに遥か数千年も前に私たちの先祖は,日本列島を舞台に活躍していたという一端が見え隠れします。彼らはどのような方法で行き来し,どのような形で交流をしたのでしょうか,想像が尽きることがありません。遥か太古に想いを駆け巡らす。これもまた,ロマンですね。
  • 用語解説
  • 縄文早期・中期 一般的に縄文時代は,草創期・早期・前期・中期・後期・晩期の六つの時期に区分される。
    早期は今から約9,000年~6,000年前,中期は約5,000年~4,000年前とされている。
    黒曜石 黒色や暗灰色を呈するガラス質の火山石。砕けば破片になりやすく,矢じり等の小型
    の石器の材料として良く利用された。
    キャリパー形 計測に用いる測径両脚器(キャリパー)を開いた形のこと。
    撚糸文 撚った糸を軸に巻き,土器面に回転押捺してつけた文様。
    貝殻条痕文 ハイガイ,ハマグリ等の二枚貝の背や腹の部分を土器面に押し当ててひっ掻いて施文
    した文様。
    押型文 彫刻のある丸棒を土器面に回転し,施文した技法で,山形・格子目・楕円など様々な文様
    がある。
    胎土 土器の素材となる粘土や混和材。
  • (文責)野邉 盛雅