漁労具(久保田牧遺跡:鹿屋市)
何が書いてある?(久保田牧遺跡:鹿屋市)
久保田牧遺跡は,古代(9~10世紀)の公的な施設があったと推定されている遺跡です。そこから,墨書土器が出土しています。墨書土器とは,表面に文字や記号,絵などを墨で書き記した土器です。
写真の土器の外面には,葉のような文様と細い線で平仮名のような文様が描かれています。内面には,大小の線を横から流した波状の文様と,一条の縦線が見られます。
推しの逸品「これは何形土器?」(諏訪牟田遺跡:南さつま市)
縄文時代の土器はいろいろな形をしていますが,中でも筒形をしたものは,真上から見た口の形で「円筒形土器」と「角筒形土器」に分類することができます。
しかし,それ以外の形の土器も見つかります。この縄文時代早期の土器の口,みなさんは何の形に見えますか。ちなみに,埋蔵文化財センターでは「レモン形」と呼ばれています。
またこの土器は,「補修孔」と呼ばれる2個で一対の穴が胴部にあけられています。これは,土器に入ったヒビが大きくならないように,穴を二つあけて紐のようなもので結んだ跡だと思われます。縄文時代の人々も,土器を修理しながら大切に使っていたのですね。
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(112) 「諏訪牟田遺跡・諏訪前遺跡・南原内堀遺跡・加治屋堀遺跡」
7,300年前の液状化現象(大崎町・永吉天神段遺跡)
約7,300年前に鬼界カルデラが大爆発し,発生した地震による液状化現象の跡(噴砂跡)です。
白い筋は,約3万年前の姶良カルデラの噴出物(シラス)が,当時の地表面まで液状化で吹きあがってきて広がり,堆積して白い地層になったものです。
大隅半島各地の遺跡からこのような液状化現象の跡が発見されています。
何の動物? 動物型土製垂飾品(鹿屋市・川久保遺跡)
縄文時代晩期の,5㎝程度の大きさの土製品です。
線を引いたり穴を開けたりした部分と下面に赤色顔料が残っています。全面に赤色顔料が塗布されていた可能性もあります。
また,その形状から動物などをモチーフとしている可能性が考えられます。イノシシ? シカ? もしかして架空の動物ドラゴンでしょうか?
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(52)「小牧遺跡4(縄文時代前期~弥生時代初頭編)」第1分冊,第2分冊,第3分冊,
火山灰層に挟まれた地層から出土した土器(鹿屋市・猫塚遺跡)
アカホヤ火山灰(約7,300年前)と池田降下軽石(約6,400年前)の火山灰層に挟まれた地層から土器(轟式土器)が出土しました。
この2つの火山灰層に挟まれた状況で出土した例は,鹿児島県では2例目です。
土器の年代や形の変化を研究する上では,とても重要な発見です。
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(213)「川上遺跡・鶯原遺跡・猫塚遺跡」
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色とりどりの装飾品(鹿屋市・川久保遺跡)
大型の石包丁で何を刈った? (大崎町・永吉天神段遺跡)
弥生時代中期の竪穴建物跡26号から石包丁の破片が出土しています。破片ですが,長さ9.5㎝,幅9.7㎝,厚さ0.8㎝,重さ89.9gあります。
元々の大きさは20㎝以上あったと考えられます。通常,石包丁は10㎝程度のものが多いことから,永吉天神段遺跡の石包丁はかなり大型です。
石包丁は稲穂を刈り取る道具とされますが,科学分析の結果,ススキなどを刈った可能性があることが判明しています。草刈りに使用したのでしょうか?
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(27)「永吉天神段遺跡5 第2地点-3」(第1分冊)
「平佐と泉山の技術交流を物語る土型 」(平佐焼窯跡群:薩摩川内市)
明治時代の窯跡から出土した花弁を形取った小皿用土型です。土型とは,半乾きにした素地を型にかぶせ叩き締めて,文様や形を写し取る型打成形に用いる道具です。
「肥前国泉山町深見榮三郎作 柗山幸之助所有」と刻字があり,幸之助が泉山(佐賀県有田町)へ修行に行ったことがわかります。
『公益財団法人鹿児島県文化振興財団埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書』(54)「平佐焼窯跡群(松山・柚木崎窯跡)」
結核対策の先駆けとなった痰壺生産 (平佐焼窯跡群:薩摩川内市)
明治時代の窯跡から出土した痰壺です。明治37(1904)年,政府は「肺結核予防ニ関スル件(痰壺条例)」を公布し,人が多く集まる場所には痰や唾をまき散らさないように痰壺の設置を義務付けました。
この痰壺は鶴田村が発注したものと考えられます。痰壺生産が公衆衛生上の一歩前進を果たしたといえそうです。