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カテゴリー: 鹿児島県立埋蔵文化財センター

終了しました【夏季休暇中の大学生・院生対象】令和4年度会計年度任用職員(文化財発掘調査補助員)募集

8月16日に募集は終了しました。

 

鹿児島県立埋蔵文化財センターでは,夏季休暇中の大学生・院生を対象に,令和4年度会計年度任用職員(文化財発掘調査補助員)を募集します。

職務内容

埋蔵文化財の発掘に関わる業務
山鍬・ジョレン・移植ゴテなどを使用した掘り下げ
発掘作業で出る排土の処理,運搬(「てみ」を使用)
調査記録(測量・写真等)の補助
遺跡周辺の安全対策・環境整備等

募集人員

若干名

勤務地

(勤務地)名主原遺跡(鹿児島県鹿屋市吾平町下名)
(本 部)鹿児島県立埋蔵文化財センター(鹿児島県霧島市国分上野原縄文の森2番1号)

任用期間

令和4年8月22日(月)から令和4年9月22日(木)まで
※ 発掘調査の状況により変更となることがあります

その他詳しいことは,下記の募集要項(PDF)をダウンロードしてご覧ください。
令和4年度 会計年度任用職員(文化財発掘調査補助員)募集要項(夏季休暇中の大学生・院生対象)

かごしま遺跡フォーラム2022報告

令和4年7月9日(土)に,「かごしま遺跡フォーラム2022~中津野遺跡と掘り出された南さつまの歴史と文化~」を,南さつま市の金峰文化センターで開催しました。

第9回目となる今回のフォーラムは,令和3年3月に開通した国道270号宮崎バイパス工事に伴って,平成18年度から平成29年度まで発掘調査を行った「中津野遺跡」とその周辺をテーマに,国内最古級の弥生時代前期後半(約2,500年前)の船の一部(舷側板)など,地域で掘り出された遺跡・遺物から南さつまの歴史的特性を紹介しました。

当日は,前鹿児島県考古学会会長の本田道輝氏による講演,南さつま市教育委員会の新屋敷久美子氏・橋口亘氏,当センター職員の鮫島えりな文化財研究員が発表を行いました。

本田道輝氏の講演では,中津野遺跡周辺が県内でも有数の遺跡の密集地であることが説明され,縄文時代・弥生時代の代表的な遺跡が紹介されました。

新屋敷氏の発表では,古墳時代から古代の遺跡の紹介があり,「阿多」と刻書された土器が見つかっていることなどが報告されました。

橋口氏の発表では,南さつま市の万之瀬川流域において,中世から近世の海外産の希少な遺物が多数発見されており,対外交流の歴史について報告がありました。

鮫島文化財研究員の発表では,中津野遺跡の調査の経過や主な成果,そして今回重要な発見となった弥生時代の船の部材の発見の様子とその特徴について報告がありました。

その後のパネルディスカッションでは,当センター寺原徹調査課長が司会を務め,南さつま市の遺跡や歴史について意見交換が行われました。また,会場からも質問があり,発表者たちが真摯に答えていました。

今回のフォーラムを通して,南さつま市には多くの遺跡があり,歴史・文化面でも重要な発見が多くあったことを紹介できました。

今後も,郷土の文化財についての普及啓発を続け,地域の歴史を紐解く一助となればと思います。

※ 中津野遺跡の出土遺物や船の部材は,南さつま市の「歴史交流館金峰」で展示中です。ぜひ,現地でご覧ください。

※ 当日の講演・発表の様子は,鹿児島県立埋蔵文化財センターのYouTubeチャンネルで公開予定です。準備ができましたら改め紹介いたします。

会場となった金峰文化センター

埋蔵文化財センター所長の開催あいさつ

南さつま市教育長あいさつ

本田道輝氏の講演

新屋敷氏の発表

橋口氏の発表

鮫島文化財研究員の発表

パネルディスカッションの様子

埋蔵文化財調査センター長の閉会のあいさつ

出土遺物の展示の様子

弥生時代の船の部材

 

 

 

志布志市立秦野小学校での出前授業

令和4年6月29日に,志布志市立泰野小学校の6年生にワクワク考古楽を実施しました。

「泰野の歴史や遺跡について知ろう」という学習目標で授業を行いました。

最初に,縄文時代が続いた年数の長さや,縄文土器の特徴を学びました。また,学校の近くにある京ノ峯遺跡を紹介しました。

今回は特に,実際の土器や石器を使ったクイズを多く出題しました。いろいろな年代・種類の土器を比べて,どの土器が一番古いのか,なぜそのように変化していったのかを,児童にいろいろと考えてもらいました。

また,泰野地区を歩いて見つけた実物の土器が,児童の家の近くで採取されたことに驚いていました。

泰野小学校の児童たちは,社会科の授業で縄文時代や弥生時代の学習を行っていて,その知識をもとに,積極的に質問や感想を発表してくれました。

学校の近くの京ノ峯遺跡を紹介

一番古い土器当てクイズ

薩摩川内市立育英小学校での出前授業

令和4年6月29日,薩摩川内市立育英小学校の6年生にワクワク考古楽授業支援(出前授業)を実施しました。

まず始めに,埋蔵文化財センターの仕事を紹介し,次に,育英小学校の周辺にある遺跡として薩摩国分寺や鶴峯窯跡,天辰寺前古墳,平佐焼窯跡を紹介しました。ほとんどの遺跡について児童たちは知っているようでしたが,鶴峯窯跡で焼かれた大きな瓦を見てもらうと,児童たちから「大きい!」「重そう!」といった声が聞かれました。

授業では学校の近くにある麦之浦貝塚を中心に学習しました。まず,縄文時代や貝塚について知っていることを発表してもらい,「縄目の文様の土器を使っていたから縄文時代という!」,「貝塚は縄文時代のごみ捨て場!」など多くの発表がありました。

麦之浦貝塚は家畜市場をつくる際に見つかった遺跡であることを紹介し,高城川に注ぐ麦之浦川を見下ろす台地の先端部にあることを説明しました。そして,貝塚からはぎ取った貝層の実物を提示して,何が含まれているか発表してもらいました。貝塚には,貝の他にも土器や矢じりや石斧などの石器,イノシシやシカの骨なども見つかっていることから,縄文時代のタイムカプセルと呼ばれていることを紹介しました。ただし,人の骨や完全な土器や石器なども見つかり,単なる「ごみ捨て場」ではなく,祈りや祀(まつ)りの場所であるということも知ってもらいました。

また,縄文時代の麦之浦貝塚の近くは海であったことや,縄文時代は育英小学校も海の中であった可能性を紹介し,児童たちからは驚きの声が上がっていました。授業のおわりには,貝塚から出土した矢じりなどの石器にも触れてもらいました。

授業が終わったあとも多くの児童たちが遺物を見に来て質問をしてくれるなど,大変熱心な様子がうかがえました。

この学習を機会として,身近な地域の中には日本の歴史を知ることができる貴重な資料が数多くあることを知ってもらいたいと思います。

 

縄文時代はどんな時代だったのだろう

本物の貝塚を触って確認

出水市立米ノ津東小学校での出前授業

令和4年6月17日,出水市立米ノ津東小学校の6年生にワクワク考古楽授業支援(出前授業)を実施しました。

まず始めに,埋蔵文化財センターの仕事を紹介し,次に,出水市にある出水貝塚や大坪遺跡を紹介しました。出水市に教科書で習った貝塚があるということや,勾玉が発掘されたということについては,児童たちは初めて知ったようで,驚いていました。

それから,学校の近くにある六反ヶ丸遺跡について,出土した遺物を中心に紹介しました。六反ヶ丸遺跡は高速道路をつくる際に見つかった遺跡であることを紹介し,米ノ津東小学校の周辺の川などの地形とともに遺跡の位置をとらえつつ授業を展開しました。また,縄文時代の遺物は少ないものの弥生時代から古墳時代にかけての遺構や遺物が多く出土していることを説明しました。

そして六反ヶ丸遺跡からは直径約10メートルの竪穴建物跡が見つかったことを紹介するとともに,遺跡から出土した土器,青銅の鏡,鈴などの実物を児童たちに見せながら授業を行いました。特に青銅の鏡に対する児童たちの関心は高く,教科書で習ったばかりの青銅器の実物を見ることができ,大変うれしそうでした。また,古代の道路跡と考えられる遺構についても紹介し,米ノ津が交通の要所であったことにも触れました。

米ノ津東小学校の児童たちは熱心で授業が終わったあとも質問に来てくれました。

この学習を機会として,身近な地域の中には日本の歴史を知ることができる貴重な資料が数多くあることを知ってもらいたいと思います。

学校近くの遺跡を紹介

古代の道路跡が見つかった

照信院跡(曽於郡大崎町)の発掘調査現地公開

令和4年6月24日(金)に照信院跡の発掘調査成果について,現地公開を行いました。
平日の午後の開催にも関わらず,自治会長さんをはじめ約20名の来跡がありました。

最初に,大崎町の史跡ガイドブック「おおさきの歴史を旅してみませんか」の執筆に協力している鳥越氏から,照信院跡の古代から明治における概説紹介が行われました。28か所の坊(僧の住居や宿舎)があり,県内最大規模の修験道の寺院があったことが説明されました。

発掘調査については,『三国名勝図会』の配置を参考に行い,東西に各1条の溝を発見し,この溝の内側(現熊野神社を中心)には,玉砂利状の小礫(3㎝大の石)が多く敷き詰められ,遺物(薩摩焼や土師器)が出土したこと,また,その溝を挟んだ内側は,聖域として区画された場所の可能性があり,『三国名勝図会』にある回廊付近にあたると考えられることなど,絵図と発掘調査の成果が一致したことなどを報告しました。

また,出土遺物についても,懸仏(かけほとけ:銅などの円板に仏像を鋳たものを付けたり浮き彫りにしたりしたもの。寺社の堂内に懸けて礼拝したもの)の一部と考えられる華甁(けびょう:仏前に花を供えるのに用いる壺)や,13世紀の青磁などを紹介し,参加者からはいろいろと質問がありました。

地元の方々からは,小さいときの現地の記憶や,祖父母や親から伝承された貴重な情報をいただきました。

15時頃からは,大崎コミュニティラジオに急遽出演し,照信院跡の調査成果をより多くの方に広報することができました。
今回の現地公開は,地元の方々の関心の高さをヒシヒシと感じるものとなりました。

※ 現地公開の当日資料はこちらからダウンロードできます(PDF)

現地公開の様子

鳥越氏の概説

トレンチ調査説明

大崎コミュニティラジオ取材

【国の史跡に答申~立切遺跡】

今回,国の文化審議会が国の史跡に答申した「立切遺跡(中種子町)」について,以下のページで紹介しています。
また,文化庁がYouTubeで公開している「いせきへ行こう!」でも,調査を担当した川口雅之さん(現在は(公財) 鹿児島県文化振興財団 埋蔵文化財調査センター勤務)が解説しています。
ぜひ,ご覧ください。