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投稿者: 管理人

9月26日(土)どんぐりイベント 「縄文村の十五夜まつり」の参加者募集について

どんぐりイベント 「縄文村の十五夜まつり」を行います。

親子で講師による月や星、十五夜の物語を聞いたり、塗り絵をしたりして、日本の伝統行事である十五夜を楽しみませんか。

定員:30人、場所:展示館多目的ルーム

参加料:1人500円(月見弁当付)要事前申込み

日時:9月26日(土)10:00~14:00

下記の申込フオームまたは、上野原縄文の森 どんぐり倶楽部事務局 0995-48-5701

イベント・講座等申し込み

野焼きで本格土器つくりませんか

上野原遺跡で出土した縄文土器を参考に、縄文土器の作り方や文様について知り、実際にミニチュア縄文土器の製作を楽しく体験します😊
作った土器は野焼きで焼成します🔥
初めての方もお一人の方も大歓迎です!
お申し込みは0995-48-5701または、申込みフォームよりお待ちしています🙇

「有溝砥石(ゆうこうといし)」:ケブラノ前遺跡(喜界町)

一般的に「有溝砥石」とは、日本列島で主に縄文時代草創期という1万年以上前の遺跡からみつかり、「矢柄研磨器(やがらけんまき)」とも呼ばれている弓矢の矢を研磨したのではないかとされている石器のことを指します。

琉球列島で「有溝砥石」と呼ばれている石器は、これよりだいぶ新しい縄文時代後期や晩期の遺跡から見つかります。その多くは砂岩というザラザラした石の表面で何かを磨った結果、幅が5㎜ほどで断面が半円形をした直線的な溝が何条か残されているものです。ケブラノ前遺跡では2点出土しています。

有溝砥石は、今まで、貝製品を製作するために貝殻の縁(ふち)を磨くための石器であるとされてきましたが、近年、貝製品や未製品が出土しない遺跡から多量に出土する事例がみられることや、縁が丸みを帯びている貝殻を磨くと溝の真ん中付近が深くなると考えられますが、溝跡の底の部分が直線的なことから、別の何か、細くてまっすぐなものを磨いたのではないかと考えられます。ただ、何を磨いたのかはっきりとわかっていません。みなさんのアイデアをお願いします。

 

【〜R9.2】電子スタンプラリー開催

9/16.19より豪華景品の抽選に参加できる電子スタンプラリーが始まります

上野原縄文の森の展示館受付にQRコードは設置しています(休園日は読み込みはできません)

鹿児島の素敵なスポットにぜひお出かけください

お立ち寄りお待ちしています😊

きりしまみちる旅公式サイト

かごしま四都めぐり公式サイト

熊本地震への支援「文化財レスキュー」

令和8年7月28日に発生した熊本地震で被災した文化財の救援活動が、9月から開始されました。鹿児島県立埋蔵文化財センターでも、職員を交代で熊本県に派遣し、文化財の保護・復旧にあたっています。

文化財は、地域の歴史や人々の記憶を未来へ伝える大切な財産です。当センターでも引き続き、文化財レスキュー活動に取り組んでまいります。

活動の様子

虎居(とらい)城跡

鹿児島県の北薩広域公園整備(歴史ゾーン)に伴って、令和3~5年度に発掘調査を行いました。

曲輪(くるわ)「中の城(なかのじょう)」は平成20・21年度に川内川激甚災害対策特別緊急事業に伴って発掘調査が行われました。その後工事により一部消失し、現在は3分の1ほどが残っています。

今回の調査で、柱間が4間の総柱(そうばしら)となる掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)が発見されました。この建物跡の柱穴の多くは根石を敷(し)いてあり、かなり強固な建物であったことが想定されます。建物周辺からは中国などから輸入された16世紀後半頃の陶磁器(碗・皿)が出土しています。

虎居城跡は、対岸の公園と橋でつながりました。この結果、城跡がより身近なものとなることでしょう。発掘調査の結果からこの城跡の解明が進み、その成果が公園整備に活用されることが期待されています。

曲輪「中の城」で発見された総柱の掘立柱建物跡。赤い枠で囲った柱穴には、根石が敷かれていた。

建設中の、北薩広域公園と虎居城跡をつなぐ橋(2026年1月撮影)

ワクワク考古楽出前授業IN霧島市立国分南小学校

令和8年5月20日(水)、霧島市立国分南小学校6年生104名に、総合的な学習の時間の導入として「ワクワク考古楽出前授業」を実施しました。

国分南小周辺の遺跡のうち3遺跡について紹介していきました。一つ目は、子どもたちがよく知っている上野原縄文の森にある上野原遺跡です。10,600年前の住居や調理施設の跡などが発見されたことや8,600年前の埋められていた双子壺などがみつかったことを紹介しました。当時、新聞の一面に大きく取り上げられるほどの発見だったことを知り、感心していました。

二つ目は、現在南公園が作られている麓(ふもと)にあたる平栫(ひらがこい)貝塚についてです。子どもたちになじみのある場所が遺跡であることに驚いていました。現在の海岸から約2㎞内へ入ったところに貝塚があることから、縄文時代の海岸線が現在の位置と異なり、国分南小や自分たちの家が当時は海であったことには驚きの声があがりました。

三つ目は、幕末から明治にかけて使用されていた敷根(しきね)火薬製造所跡です。実際に発掘調査した職員が水車を使った火薬製造の方法について説明し、なぜ国分敷根に製造所が作られたのかについて考えていきました。現在も取水口や導水路などが残っており、さらに調査の中で土の中にはまだ多くの施設の跡が確認できたこともていねいに紹介していきました。子どもたちは、集中して話を聞きながらメモを取っていました。

また、実際に出土した土器や石器に触れる時間では,興味津々に説明を聞き,タブレットで写真を撮っていました。土器表面の色の違いに注目し、土器の使用方法について考えたり、土器の文様の付け方など質問したりしていました。特に黒曜石の石鏃(せきぞく)や石斧(せきふ)は人気がありました。

今後は,国分の歴史について調べ学習を進め、パンフレットを作成して修学旅行で配布するそうです。今回の授業を通して,国分の歴史への興味関心がより高まってくれればと思います。どのようなパンフレットができあがるのか楽しみです。

上野原遺跡について紹介

敷根火薬製造所を紹介

本物の土器や石器を写真で撮りました