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投稿者: 管理人

整理作業開始

4月13日,令和3年度の整理作業が開始しました。

この日から会計年度任用職員を雇用して,報告書刊行に向けた整理作業が始まりました。

今年度刊行予定の遺跡は,「上加世田遺跡(河口コレクション)」(南さつま市),「中津野遺跡」(南さつま市),「下桃木渡瀬遺跡」(南九州市),「川上遺跡・鶯原遺跡・猫塚遺跡」(鹿屋市),「鹿児島(鶴丸)城跡」(鹿児島市)です。

他にも「光台寺跡ほか」(指宿市ほか),「廣牧遺跡・立塚遺跡」(鹿屋市),「久保田牧遺跡」(鹿屋市)の整理作業も行っています。

現在,新型コロナウイルス感染症対策のため整理作業の様子は見学できませんが,今後も整理作業の様子をホームページや「埋文だより」などでお伝えしていく予定です。

辞令交付式及び作業ガイダンス

土器の復元作業

土器の実測の様子

パソコンを使ったデジタルトレース

 

 

令和2年度離任式・令和3年度新任式

令和3年度の人事異動に伴い,3月31日,令和2年度の離任式を実施しました。当センターから11名の転退職がありました。

また,翌4月1日に新任式が行われ,12名の職員が転入されました。

令和3年度は,総勢30名の職員で,埋蔵文化財センターの業務を進めていきます。よろしくお願いいたします。

 

 

ゴキブリの卵鞘 (らんしょう:卵を包むカプセル)の 圧痕が見つかった土器を展示しています!

上野原縄文の森展示館では,小牧遺跡(鹿屋市串良町細山田)から出土したゴキブリの卵鞘 (らんしょう:卵を包むカプセル)の 圧痕(あっこん:押されたり、圧力を加えられたりしたときにできる跡)が見つかった土器の展示を行っています。
縄文時代の発見は国内では2例目、県内では初めて発見となります!
発見されたクロゴキブリはかつて,近世(18世紀)以降に日本に渡来したと考えられていましたが,今回の発見によって縄文時代から日本に存在していた可能性が高まりました。

現代のクロゴキブリの卵鞘(らんしょう)も展示していますので,是非ご覧ください。
詳しくはこちらから

※観覧には,入館料が必要となります。
(県内にお住まいの70歳以上は無料となります。年齢が確認できる書類をお持ちください)
(県内にお住まいの小・中・高校生は土日祝日に限り無料となります。年齢が確認できる書類をお持ちください。)

 

第11回「古墳時代の大規模墓地が営まれた南摺ヶ浜遺跡(指宿市十二町)」

Ⅰ 1点の壺

 「大きな石かな」【写真2】これが,南摺ヶ浜遺跡で発掘調査の初日,作業員さんに掘り方の説明を終えて,掘削を開始してから5分ほどして出土した最初の遺物を見たときの感想でした。作業員さんが,「何か出てきた」と私を呼んでくれたのです。
 遺物の形がわかるように,移植ゴテを使い周辺の土を少し掘り下げてみました。「やけにきれいな曲線だなぁ」手のひらで遺物の表面を触ってみます。「うん?これは土器ではないか」周囲の土を半分残して掘り下げてみると,横倒しになった土器が姿を現しました。 【写真3】「完形品だ!」
 発掘調査では,完全な形で土器が見つかることはほとんどありません。手間暇かけて作った土器を壊れる前に捨てるなんてことは通常ないからです。完形品が出土する際は,何らかの意図を持って,掘った穴の中に埋めておいたものが見つかる例がほとんどです。
 「周囲に穴が見つかるはずだ」周囲の土をきれいに掃除してみましたが,穴の痕跡を見つけることはできませんでした。「うーん。自然に埋まったのかな」とりあえず,作業員さんが土を掘る道具を山鍬から小さなねじり鎌に変更して,慎重に掘り進めることにしました。
 ところが,その後,同じ層からは何も出てきません。平成17年度の調査で出土した古墳時代の遺物は,最初の5分で出てきた完形品の壺1点のみでした。その後,下の層から縄文時代や弥生時代の遺物が出てきましたが,私の頭の中は「???」クエスチョンマークだらけでした。

写真1 南摺ヶ浜遺跡

写真2 石かな?

写真3 土器でした

 

 

Ⅱ 大規模な墓地の発見

 平成19年度,より海に近い隣接地発掘調査を行うことになりました。その頃の私は,南摺ヶ浜遺跡がある薩摩半島の対岸に位置する大隅半島の山の中で発掘調査をしていました。
 そんな私のもとに「南摺ヶ浜遺跡で弥生時代の後半から古墳時代の大規模な墓地が見つかった」という連絡がきました。疑問は解けました。「そうか,あのときの土器は墓地の境にあったのか」墓地の主体部は,私たちが調査していたときには,まだ藪になっていた場所の下にあったのです。

写真4 平成19年度調査区

写真5 壺棺墓

 

Ⅲ 薩摩半島南部の埋葬習俗

 現在は,人が亡くなると葬儀の後,火葬し骨を骨壺に収め,墓あるいは納骨堂などに納めるのが一般的です。人の死は,遙か昔から近親者にショックを与えたことでしょう。南摺ヶ浜遺跡は,3世紀後半頃から5世紀の中頃までの人々が,死者をどのように見送ったのかを教えてくれる貴重な遺跡です。
 見つかった墓の種類は様々ですが,穴を掘って遺体を埋葬した土坑墓(72基),土坑墓の周囲に円形に溝を巡らす円形周溝墓(12基)【写真6】,甕棺墓(1基)や壺棺墓(16基)【写真7】などがありました。甕棺や壺棺として使われた甕や壺の多くには,1か所または2か所に小さな孔が穿たれています。通常の用途には使わないことを示す,葬送に伴う祭祀儀礼でしょう。甕棺や壺棺は口が小さく,亡くなった人の遺体を直接入れることはできないため,骨になってから入れて埋葬したと考えられます。壺棺のうち2基からは人骨がみつかっていますが,全体的に人骨の残りが良好ではないため,各甕棺・壺棺に何体分の人骨が入れられていたのか,はっきりしません。

写真6 円形周溝墓

写真7 壺棺墓

 また,墓標のような大きな板石(立石)【写真8】が,主に壺棺墓の周辺で見つかっています。土坑墓の周辺でも見つかっていますが,土坑墓の数と比べるとだいぶ少ない数でしかありません。板石(立石)を伴う土坑墓は,南摺ヶ浜遺跡から4kmほど離れた山川町(現指宿市)成川遺跡でも見つかっています。ちなみに成川遺跡は文化財保護委員会(現文化庁)が昭和33年に調査を行った遺跡で,その後の調査を含めて348体の人骨が見つかっています。

写真8 板石(立石)

 南摺ヶ浜遺跡で出土した土器は,甕や壺のほかに,葬送の際の祭祀やお供えに使われた長頸壺,高坏,鉢,蓋など多様であり,一般的な遺跡から出土する土器よりも作りが丁寧なことから葬送に使うために特別に作られたものであると考えています。磨製の石鏃や鉄鏃,鉄剣などの武器も供献されていました。

写真9 出土土器 【県指定有形文化財(考古資料)】

写真10 鉄製の武器など 【県指定有形文化財(考古資料)】

 現在の南摺ヶ浜遺跡は,指宿市の温泉街から国道方面に向かう砂むし温泉道路の下になっています。目の前に海を望むロケーションは,今でも旅人の心を癒やしてくれます。ここに佇むと墓地を営んだ人々の気持ちが伝わってくるような気がします。
 ちなみに,南摺ヶ浜遺跡の墓地は,数多くの火山を有する鹿児島県の遺跡らしく,薩摩富士と称される開聞岳から飛来した火山噴出物である紫ゴラ(9世紀),青ゴラ(7世紀)と暗紫ゴラ(弥生時代)の間にパックされて見つかっています。【写真11】

写真11 数々の火山灰に彩られた土層

文責 寺原 徹

 

【参考】本遺跡の報告書(PDF)を,以下のリンクからご覧いただけます。
『鹿児島県立埋蔵文化財センター発掘調査報告書』(144) 「南摺ヶ浜遺跡」

かごしま遺跡フォーラムオンラインの動画を公開しました

これまで鹿児島県立埋蔵文化財調査センターは,遺跡の発掘調査成果を報告する「かごしま遺跡フォーラム」を毎年開催してきました。
今回は,調査担当者による解説動画を【YouTube】で配信します。
西南戦争関連遺跡及び昨年度刊行した報告書の中から,注目される遺跡を紹介し,新たな調査成果や歴史解明における今後の課題等について,全国に向けて広く発信します。

詳しくは,以下のリンクからご覧ください。

鹿児島県立埋蔵文化財センター【YouTube】

新発売!オリジナルキャンディ

3月16日(火)よりミュージアムグッズに新しい商品「うえのはらムラのおうち」を追加するよ。縄文の森限定の竪穴式住居柄の「キャンディ(ぶどう味)」なんだ。
旅のお菓子やお土産に買ってもらうのを想像して、色んなパッケージを用意したよ。
住居のワラの部分まで細かく表現してあって、初めて見たときはびっくりしたんだ。
森に来たらぜひ飴職人さんの技を見てみてね。

第10回 土器はタイムカプセル~圧痕から分かること~

※ スマートフォンでご覧の場合,画像の縦横比が歪むことがあります。画像をタップすると本来の画像が表示されます。

Ⅰ はじめに -圧痕とは何か?-

 遺跡を発掘して,最も多く見つかる遺物が土器です。土器の表面をよく見ると,穴が空いていることがあります。実はその穴は,土器作りの過程で植物の種実や昆虫・貝などが粘土の中に混入し,土器を焼成した際に焼け落ちて空洞になったものです。このように,穴やスタンプとして残っている痕跡を「圧痕(あっこん)」と呼びます。

 

 私たちの身の回りは,植物や昆虫,動物,その加工品であふれています。かつての人々はより自然に近い生活をしていたので,現在とは比べものにならない程多くの植物や昆虫が身の回りに存在したはずです。では,遺跡を発掘してみるとどうでしょうか。ほとんどの植物や昆虫は,長年地中に埋まっていたことで分解され,ほとんどは消滅してしまいます。遺跡で有機質のものが残るためには,火を受けて炭化しているか,低湿地や乾燥地などの稀な条件下でなければならず,通常の遺跡では,かつて存在したはずの資料の多くが,実は失われているのです。
 ここで活躍するのが,圧痕です。圧痕のもととなる植物等は,土器を作っている時にしか入ることはありません。つまり,土器を作っている瞬間にその場に存在していたものが“型”として記録されているのです。まさに,土器は当時の植物や昆虫の姿を伝えてくれるタイムカプセルと言えます。

 

Ⅱ 圧痕調査は第2の発掘

 圧痕の存在は,1980年代にはすでに論文でも取り上げられ,特に弥生土器に残るイネ籾の圧痕は,稲作の証拠として注目されてきました。当時から,圧痕を何とか立体的に復元して観察しようと,石膏やガラスをはめるパテ,和紙を細かくしたものなど,様々な素材が試されました。1991年,「レプリカ法」というシリコーン・ゴムを用いて型取りする手法が提唱されました(丑野・田川1991)。これ以降,歯科用や模型用のシリコーン・ゴムを用いた型取り方法が一般的になりました。この手法によって,より鮮明に型取りできるようになり,作製したレプリカを走査型電子顕微鏡(SEM)で観察することで,さらに細かい分析が可能となりました。先ほど写真で挙げた土器のレプリカとSEMの画像が下です。表面の凹凸や網目状の構造などがよく分かり,現生資料と比べることで何の種子であるかが同定できます。

 圧痕は,当初,イネ籾の圧痕のように,偶然見つかったものだけが着目されてきました。2000年代に入り,遺跡から出土する土器を破片の大きさや部位に関わらず全て観察する「悉皆(しっかい)調査」が開始されました。その結果,これまで見つかっていなかった種実や昆虫類が数多く発見されたのです。
 圧痕調査は,多量の土器を一つ一つ手にとって,表面をくまなく探す,一見すると地味で根気のいる作業です。しかし,その学術的成果は大きく,新たな歴史的事実が多く発見されました。圧痕調査は,これまで発掘された膨大な資料を新しい視点で見直す契機にもなるため,「第2の発掘」(小畑2016b)とも呼ばれています。

 

Ⅲ 圧痕から見える縄文時代の暮らし

 圧痕調査は,縄文時代~近世までの幅広い時代の焼き物を対象に行われています。圧痕で見つかる植物や昆虫は,食用・薬用などの有用植物やいわゆる害虫など,人間の身近な植物・昆虫相が多いということが分かってきています。
 ここでは,縄文時代の暮らしぶりを示す研究成果の一部を紹介します。

1 縄文時代のマメ栽培

 ダイズやアズキは,日本人に身近な植物です。かつて,ダイズやアズキは中国大陸から伝播したものと言われていました。ところが,縄文土器からダイズやアズキの圧痕が見つかる事例が増え,さらには縄文時代の後半になるにつれて,種実自体が大きくなる傾向が見えてきたのです。日本には,ツルマメやヤブツルアズキといったダイズ・アズキの祖先野生種が存在します。
 圧痕や炭化物で見つかったマメを研究した結果,縄文人がより大きいマメを獲得しようと,栽培したことが分かってきました(小畑2016a)。九州地方でも,縄文時代後期後葉には現在とあまり変わらないサイズのマメが圧痕で見つかっています。

 日本人は,納豆に醤油,みそ汁に豆腐と,豆製品同士を掛け合わせて使う食文化があります。縄文人はどのような食べ方をしていたのか,気になりますね。

2 縄文人と害虫との関わり

 圧痕調査で検出されるムシの多くは,ダニ,ゴキブリ(卵),シラミなど,現代人にとって聞けばゾクゾクする,いわゆる“害虫”と呼ばれる類です。中でも,最も多く見つかっているのがコクゾウムシです。コクゾウムシは,最近こそ米櫃で見かけなくなりましたが,米を食べる貯穀害虫として知られています。かつて,コクゾウムシは弥生時代に稲作と共に日本にやってきたムシと考えられていました。しかし,2010(平成22)年に衝撃的な発見がありました。
 種子島西之表市に所在する三本松遺跡の縄文時代早期土器から,コクゾウムシの圧痕が7点見つかりました。後の研究によって,このコクゾウムシは貯蔵食料を加害する世界最古の害虫と評価されました(Obata et al.2011)。

 では,縄文時代の古い頃に生息していたコクゾウムシは米を食べていたのかというと,そうではありません。縄文時代の主要な食糧はドングリです。コクゾウムシは,乾燥したデンプン質に富んだ種子を加害するムシなので,当時縄文人が貯蔵していたドングリやクリを加害していたと考えられます。よって,コクゾウムシの圧痕が見つかるということは,土器作りの場の近くに貯蔵食物があったということであり,当時の暮らしぶりの一部を垣間見ることができます。
 さて,コクゾウムシに対して縄文人が何も対処しなかったのかというと,そうではなさそうです。圧痕調査を進める中で,縄文土器からコクゾウムシ圧痕と共にカラスザンショウの種実や果実がよく見つかることに気づきました。カラスザンショウは,ミカン科サンショウ属の落葉高木樹で,探してみればあちこちにある身近な木です。果実の化学成分を調べてみると,特殊な精油成分が含まれ,それが貯穀害虫の防虫・駆虫に効果があるものであることが分かりました(真邉・小畑2017)。つまり,縄文時代の虫除け剤として,カラスザンショウが使われていた可能性が指摘できます。

 このように,圧痕調査では発掘調査ではなかなか見つけられない小さな植物や昆虫が多く見つかり,その小さな痕跡から当時の生活の一端を復元することができるのです。

 

Ⅳ 隠れ圧痕を探せ! 第3の発掘!

 実は,圧痕は土器の表面に見えているものだけではありません。粘土の中に隠れて表面から見えないものがあり,これらを「潜在圧痕」と呼びます。近年,潜在圧痕を調査するため,Ⅹ線ⅭT装置が導入されています。これらの装置で土器の内部を観察すると,粘土中の空隙が見え,その空隙の形を解析すると,植物や昆虫であることが分かりました。また,圧痕では復元が難しい細かい部位などを確認できます。

 中には,土器の中に数百点ものタネやムシが入った事例が県外で見つかり始め,偶然粘土に入ったのではなく,当時の人々が意図的にタネやムシを混ぜ込んだ可能性が出てきました。このような最新技術を用いた圧痕調査は,まさに第3の発掘(小畑2019)と言えます。

 

Ⅴ おわりに

 私たちにとって身近な植物や昆虫が土器から見つかると,当時の人々とのつながりを感じ,嬉しくなるものです。鹿児島県内には数多くの遺跡が存在します。圧痕調査を進めることで,今まで見えていなかった当時の人々の暮らしが見えてくるかもしれません。
 これからの,第2・第3の発掘にご期待ください。

文責 眞邉 彩

【引用文献】

丑野 毅・田川裕美
1991「レプリカ法による土器圧痕の観察」『考古学と自然科学』24 日本文化財科学会

小畑弘己
2016a『タネをまく縄文人 最新科学が覆す農耕の起源』吉川弘文館
2016b「アッコン(圧痕)とはなにか」『いま,アッコンが面白い!-タネ・ムシ圧痕が語る先史・古代の農とくらし-』熊本大学文学部小畑研究室
2019『縄文時代の植物利用と家屋害虫 圧痕法のイノベーション』吉川弘文館

眞邉 彩・小畑弘己
2017「産状と成分からみたカラスザンショウ果実の利用法について」『植生史研究』第26巻第1号 日本植生史学会

Obata H.,Manabe A.,Nakamura N.,Onishi T.,and Senba Y. 2011 A new light on the evolution and propagation of prehistoric grain pests: the world’s oldest maize weevils found in Jomon potteries, Japan. PLoS ONE