縄文の森から 平成28年3月

平成28年3月28日(月)
縄文の森は花盛りです
暖かくなってきました。
縄文の森では,色々な花が見頃を迎えています
散策,園内のウォーキングに是非,お気軽にお立ち寄りください!

コブシ
モクレン科の落葉広葉樹です。
早春にかけて梢に白い花をたくさん咲かせます。別名「田打ち桜」

ヤマザクラ
日本の野生の桜の代表種です。
ソメイヨシノと違って発芽とともに花を咲かせます。




それぞれのマークがついたところで,花が見られます!!

平成28年3月16日(水)
講座のお知らせ!
かごしま県民大学連携講座のお知らせ
「チャレンジ縄文体験」
第1回 縄文人の繊維利用と草木染め体験
1 日 時:平成28年5月29日(日)13:30~15:00
2 場 所:かごしま県民交流センター陶芸制作室(東棟5階)
3 内 容:
【内容】 縄文人の繊維利用についての解説と,オリジナルの草木染めトートバックの作成を行います。
【講師】 上野原縄文の森職員
4 対 象:一般
5 定 員:20人(要事前申込み)
※ 電話又はFAXでお申し込みください。
※ お車でお越しの際は,駐車券を講座受付までご持参ください。
6 参加料:500円
(資料代,材料代)
7 問い合わせ・申込先:
上野原縄文の森 TEL 0995-48-5701
平成24年度 草木染め体験(ハンカチ作成)
チラシとFAX送信表はここからダウンロードできます。
平成28年3月10日(木)
カタクリの花が咲いています!!

カタクリとは?
早春に芽を出して花を咲かせるユリ科の植物です。
このカタクリの根茎からとれるデンプンを片栗粉とよんでいました。
10㎝ほどの小さな花で、開花時期が短いため「スプリング・エフェメラル(春の妖精)」とも呼ばれています。縄文の森に春がやってきました。

縄文の森だよりVol.30
考古ガイダンス第13回
- 縄文の風 かごしま考古ガイダンス
第13回 めざめる遺跡 もうすぐ,鹿児島に新幹線がやってきます。
現在,鹿児島県のあちらこちらで九州新幹線鹿児島ルート建設のための工事が行われており,その工事の約70%がトンネル(新八代・西鹿児島間125キロメートルのうち88キロメートル)工事です。
その中で,新幹線がトンネルから姿を現す地上部分で埋蔵文化財が眠る大切な遺跡とぶつかることがあります。
そこで,鹿児島県教育委員会(県立埋蔵文化財センター)は,文化財保護のため,新幹線建設工事にぶつかってしまう遺跡の発掘調査を行いました。
それぞれの遺跡では,縄文時代から最近までのいくつかの時代の生活の跡がみられる複合遺跡で,昔の人々の生活の様子を知る上での貴重な手がかりが多く発見されています。- 【地図 新幹線関連の遺跡:1 大坪遺跡,2 計志加里遺跡,3 上野城跡,4 山ノ脇遺跡】
- ■玉類の発見■
出水市大坪遺跡では,縄文時代晩期(約3,000年前)のものと思われる緑色をした勾玉(まがたま),丸玉(まるたま),管玉(くだたま)が多数出土しています。
この玉類は,縄文人がきれいな緑色の石に根気強く穴をあけ,きれいに磨きあげたものです。これらは,当時の人々がペンダントとしての装身具や呪(まじな)いの道具として使っていただろうと考えられます。- 【写真 大坪遺跡出土の玉類】
- これらの玉類をよく観察するときれいに作り上げられた完成品の他に,製作途中の玉類や原石も多く見つかっています。このことは,大坪遺跡で遠い昔,せっせと勾玉作りに精出していた人々がいたであろうことを物語っています。
- ■川跡からめざめた木製品■
川内市楠元遺跡では,弥生時代の終わりから古墳時代の初め(約1,700年前)の集落跡が発見されました。同時に発見された川跡や溝跡から鍬(くわ)や鋤(すき)などの木製の農具が,腐ることなく当時のままの形で見つかりました。
火山灰土壌が多く低湿地帯の少ない鹿児島では,木製品がそのままの形で見つかることはとてもめずらしいことです。 今回見つかった木製品を一つ一つ分析・研究することにより古代生活の1ページがまた1つ明らかにされることでしょう。- 【写真 川跡から見つかった木製の鍬】
- ■役人の制服■
- 川内市東大小路町大島遺跡では,奈良時代から平安時代の土師器・須恵器・磁器・陶器などの焼物の器(うつわ)や青銅製の鈴,石製丸鞆(せきせいまるとも)が見つかりました。
丸鞆(まるとも)は,帯の表面に取り付けられる半円形の石の板です。儀式時に着用し,身分により種類がちがったようです。遠い昔,薩摩国府の役人が,この丸鞆を身につけて,毎日登庁していた姿が目に浮かぶようです。 - ■中世の居館跡■
伊集院町山ノ脇遺跡では,中世(約800年前)の掘立柱建物跡がたくさん見つかりました。
現在,9軒の建物跡が確認されています。その中で,面積が約100平方メートルにもおよぶ大きな建物跡も2,3軒含まれています。建物の大きさから,当時の伊集院地方の有力者の居館であろうと考えられます。
建物の周囲には,溝跡や塀跡(へいあと)も見つかっており,当時,ここに住んでいた人の生活の様子が想像できそうです。- 【写真 山ノ脇遺跡の中世豪族居館跡】
- ■鹿児島有数の禅寺発見■
鹿児島市武2丁目武遺跡(西郷公園の近く)では,江戸時代中期(享保14年)に創建され,明治初年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で廃寺となった寿国寺(じゅこくじ)に関係すると思われるはん池(はんち)や井戸跡が見つかりました。
寿国寺は,黄檗宗(おうばくしゅう)に属し,同じ宗派の千眼寺(せんげんじ)と並ぶ当時の鹿児島最大の寺院でした。寺院の様子は,三国名勝図会(さんごくめいしょうずえ)の中の記載から相当な規模であったと想像できます。
今回,見つかったはん池は,当時の様子を伝えるいくつかの絵図に記載されている門前池の一部であろうと考えられています。
この池には,内側に浮島(中島)が設けられていて,そこには石像が設置されていたことが伝えられていますが,今回の発掘調査で,この石像ではないかと思われる破片が見つかっています。 また,池の西側で見つかった井戸跡や柱跡は,長寿院のものではないかと考えられています。
当時の寺の様子が再現されたようで興味深いものがあります。- 【写真 寿国寺のはん池跡】
- 以上最近の情報をいくつか紹介しましたが,新幹線建設に関係して発掘調査された遺跡からは,旧石器時代,縄文時代,弥生時代,古墳時代,奈良・平安時代,中世,近世の全ての時期・時代にわたる貴重な遺構・遺物が発見されました。
これらの発見は,鹿児島あるいは南九州の古代の文化解明に大いに役立つことでしょう。 - (文責)上之園 建二
考古ガイダンス第12回
- 縄文の風 かごしま考古ガイダンス
第12回 かごしまで焼かれた焼き物 - ■焼き物でみる古代の鹿児島■
- 遺跡を発掘して最も多く出土するモノが焼き物すなわち土器です。これらを分析することによって,当時の食卓にのぼった食器の種類がわかります。また土器をひとつの製品としてみれば,窯業生産と流通・消費という経済活動を知ることができます。このように土器から当時の食文化を知り,さらに当時の社会の側面をうかがい知ることができます。
古代(奈良・平安時代-今から約1,300年から800年前)にかごしまで焼かれた焼き物は,須恵器(すえき),土師器(はじき),黒色土器,瓦です。 今回取り上げた主な遺跡
1 岡野窯跡群 / 2 鶴峯窯跡群
3 薩摩国分寺跡 / 4 中尾田遺跡
5 宮田ケ岡瓦窯跡群 / 6 小瀬戸遺跡
7 城山山頂遺跡 / 8 妻山元遺跡
9 大隅国分寺跡 / 10 中岳山麓窯跡群
11 榎崎A遺跡
【写真 宮田ケ岡瓦窯跡】- ■古代の食器■
-
土師器・杯
(口径14.8cm高さ4cm)
須惠器・かめ
(口径19cm高さ32.5cm)
黒色土器A類・椀
(口径15.6cm高さ5.5cm) - 当時,土師器,黒色土器,須恵器は日常的に使用された土器です。これらの土器は,その用途によって食膳具(椀,坏,皿,高坏),煮炊具(カメ,鍋),貯蔵具(壺,カメ),調理具(鉢)に分類され,多様な形があることがわかります。
土師器とは古墳時代以降の素焼き土器の総称で,この時代のものは須恵器の形を真似た坏や皿などが薩摩・大隅といった国単位で製作されていたと考えられていますが,その窯跡は不明です。
黒色土器は,土師器の表面を丁寧に磨いた後に表面を煙で黒く燻して仕上げる土器で,器の中だけを燻す内黒土師器とよばれるものが多く出土しています。
須恵器とは,古墳時代中頃(5世紀中頃)以降,朝鮮半島から技術が伝来した焼き物です。整備された窯で1,100度以上の還元焔で焼成(焼き上げる時に酸素を供給しない焼き方)された焼き物です。色は青灰色のものが多く,釉薬はかけていません。古墳時代は大阪・陶邑(すえむら)窯群などで焼かれたものが移入されています。古代になると,熊本の荒尾窯などで焼かれた製品も移入されていますが,鹿児島でも窯が整備されて生産されるようになりました。 - ■かごしまの須恵器生産窯■
- 三か所の窯跡が知られています。操業期間や器種に差異があります。
○鶴峯3号窯(川内市中郷町鶴峯)
昭和41年,1・2号窯跡(瓦窯)とともに県内で初めて発見された須恵器窯で,フタ,椀,カメが出土しています。8世紀代に操業していたものと考えられています。
○岡野窯跡群(伊佐郡菱刈町田中岡野)
昭和57年,林道の工事中に発見されました。工事によってかなり破壊されていましたが,5基ほどが存在したものと推定されました。うち4基が発掘調査され,8世紀末から9世紀前半にかけ て,坏,椀,鉢,盤,壺,カメが作られました。
○中岳山麓古窯跡群(日置郡金峰町花瀬)
昭和59年,地元在住の諏訪下忠雄氏によって発見され,上村俊雄氏(鹿児島国際大教授・考古学)らによって確認された窯跡群です。発掘調査はなされていませんが壺,カメのほか焼台といった窯道具が採集されています。製作技法は熊本県荒尾窯群との関連が深いとみられています。
9世紀後半以降のかごしまの須恵器生産は食膳具が生産されなくなり,壺やカメだけが生産されました。大きく硬い須恵器の貯蔵具だけ需要があったようです。それを補うように土師器の食膳具の量が増えていきました。 古代の瓦生産は,須恵器の製作技術を基礎にしています。そこに瓦の技術と仏教の思想が伝来し,飛鳥寺など寺院建立を期に本格化しました。さらに8世紀中頃以降,全国に国分寺・国分尼寺が建立され,これに伴ない全国に瓦生産が広がっていきました。現在瓦は一般的ですが,当時は官衙(役所)あるいは寺院で使用される特別なものでした。古代の瓦は,型に布を敷いてその上に粘土を置き,叩いて型に広げ仕上げます。布目がつくので布目瓦ともよばれています。
- 【図 薩摩国分寺創建時の軒丸瓦(拓本と断面図/川内市教育委員会)】
- ■かごしまの古代瓦窯■
二か所の瓦窯跡が知られています。
○鶴峯瓦窯跡群(川内市中郷町鶴峯)
薩摩国分寺跡から北東へ1キロメートルの地点に位置しています。昭和41年,2基発掘調査されました。その結果ここで8世紀後半以降,薩摩国分寺を創建するために瓦が生産されたことがわかりました。また,肥後国分寺や大宰府で出土する瓦に類似するものがあることから,操業するにあたって北部九州から工人集団が移住したと考えられています。1基は焼成部に瓦がつまったままの状態で発見され,平瓦320枚,丸瓦140枚,計460枚が一度に焼かれたと推定されています。- 【写真 発掘された宮田ケ岡3号瓦窯跡】
- ○宮田ケ岡瓦窯跡群(姶良郡姶良町船津)
昭和45年九州縦貫自動車道建設に伴う分布調査の際に発見され,姶良町は平成8年から史跡整備を目的とした発掘調査を実施しました。3基が発掘調査され,軒丸(のきまる),軒平(のきひら),丸,平,のし瓦などが出土しまし た。文献により8世紀後半から9世紀前半に操業していたと考えられています。 - ■消費地を追及する■
- これらの窯で生産された須恵器や瓦はどこで消費されたのか?この問いに対して,考古学ではまず生産地と消費地とのモノの類似性(形・文様・作り方=製作技法)に注目します。さらに,胎土分析(蛍光X線分析)という理化学的な技術を用います。この分析は試料にX線を当て,その際に発生する蛍光X線(元素によって異なる)を計測するものです。試料に含まれるルビジウム,ストロンチウムなどの元素量を調べて,この元素比率を生産窯と消費遺跡との間で比較したり相違をみたりします。
さて,宮田ケ岡瓦窯群の製品については同じ大隅国に所在する大隅国分寺との関連が以前から指摘されていました。胎土分析の結果,宮田ケ岡瓦窯群の瓦は大隅国分寺(霧島市),小瀬戸遺跡(姶良町)へ供給されたことが推定されました。宮田ケ岡と大隅国分寺は直線距離でも約15キロメートルありますが,宮田ケ岡は別府川に近いことから,水運を利用したのではないかと想像されています。
須恵器の胎土分析では岡野3号窯の製品が中尾田遺跡(横川町)や城山山頂遺跡(霧島市)へ,中岳山麓窯跡群の製品は妻山元遺跡(霧島市)に供給されたと推定されました。霧島市内の近い位置にある遺跡間でこのような結果が出たことは当時の流通を考える上で重要なことでしょう。 - (文責)中村 和美
縄文の森から 平成28年1月

平成28年1月26日(火)
常設展示室の河口コレクションコーナーをリニューアルしました。
「
常設展示室で,長年,鹿児島県の考古学界をリードしてきた考古学者,
今回紹介するのは,大原遺跡と春日町遺跡の出土資料です。
大原遺跡は,昭和27(1952)年,吉田南中学校校庭の整地作業中に同校の生徒が土器を発見し,遺跡であることが分かりました。遺跡からは縄文時代早期の中でも古い時期に属する吉田式土器が初めて発見されました。
春日町遺跡からは縄文時代中期の春日式土器が初めて発見されました。土器のほかに,石器や舟形の軽石製品も出土しました。この時期には丸木舟を作り航海していたと思われます。

展示の様子
考古ガイダンス第11回
- 縄文の風 かごしま考古ガイダンス
第11回 長島の古墳 - ■長島の古墳■
- 長島の古墳の発見・研究は,出水高校考古学研究部の池水寛治先生と生徒の皆さんを中心に実施されました。昭和37年を皮切りに48年にまで多くの発掘調査が行われ,たくさんの成果が挙げられています。その発掘調査の成果を概観してみると,長島の古墳は,見通しの良い丘陵上にある古墳と海岸部にある古墳に分けられ,次のような相違点を持っています。
1 唐隅古墳
2 指江古墳群
3 小浜崎1・2号墳
4 白金崎・鬼塚・楽之平古墳
5 明神古墳群
6 温之浦古墳群
7 浜漉横穴
8 加世堂古墳
9 山門野遺跡-
丘陵上にある古墳
単体もしくは数基からなる群集墳,大規模な横穴式石室,副葬品が多く種類も豊富古墳(群)名 墳 丘 石 室 副 葬 品 加世堂古墳 全長約8m 葺石 横穴式石室 須恵器・鉄製武器 小浜崎1号墳 最大長18m 円墳
石竪穴式石室 鉄製武器 小浜崎2号墳 不明 箱形 鉄製武器・鉄製の鎌・錐・少量の玉類 白金崎古墳 全長約7.3m 横穴式石室 須恵器・鉄製武器・金銅製品(銅鏡破片・耳環・金具)・玉類 鬼塚古墳 全長約11m 円墳
石と土横穴式石室 須恵器・鉄製武器・耳環(金環・銀環)・玉類 -
海岸部にある古墳
数十基を越す群集墳,小規模な竪穴式・横穴式を模した独特の形の石室,副葬品は少なく種類も乏しい古墳(群)名 墳 丘 石 室 副 葬 品 個 数 指江古墳群 小規模・石 小規模竪穴式石室・横穴式石室を模した形 鉄製武器 140基以上 明神古墳群 小規模・石 小規模・横穴式石室を模した形 土師器・鉄製武器・銅鏡・人骨・軽石・珊瑚・貝類 30基
- この2つの古墳の共通の特徴として,次の3つを挙げることができます。
1. 畿内地方(畿内勢力)の影響が感じられること
2. 墳丘形成に石を用いていること
3. 副葬品に鉄製の武器が多いこと
しかし,この丘陵上と海岸部の2つの古墳の関係や,副葬品,古墳群内の個々の関係は何によって生じたものなのでしょうか。未だ解明されておらず今後の研究課題といえます。 -
白金崎古墳(鹿児島県歴史資料センター黎明館)
白金崎古墳出土遺物(同) - ■時代背景■
- 長島の位置する八代海沿岸地域には,畿内地方の影響を受けた古墳と南九州独自の地下式板石積石室墓が共存しています。畿内型・南九州型の古墳の共存することはなにを意味しているのでしょうか。鹿児島県内の古墳の多くは,平野部の中に造られています。一方,長島の古墳は海岸部や海を見渡せる丘陵上に造られています。このことは,海への強い関心を想起させます。古墳内部には鉄製の武器類が多く納められ,武力への意識を彷彿とさせます。黒瀬戸海峡・八代海に囲まれたこの地が,古墳時代に海上交通・海洋軍事戦略の要所であったと思われます。
-
横穴式石室を模した石室の模式図
竪穴式石室を模した石室の模式図 - ■古墳を残した人々■
- 長島の中には畿内地方の影響を感じる遺跡が発見されています。東町山門野(やまどの)遺跡です。山門野遺跡は平野の中に位置し,あたかも山門野遺跡が水俣市・出水市・川内市・阿久根市付近に住む人々へ睨みをきかし,監視しているかのようです。
長島の古墳・古墳時代については未だに不明な点も多く存在します。そのなかで,かつて万葉にも歌われた渦潮渦巻く黒瀬戸海峡は,人を拒み,自然の造り上げた防御施設として脚光を浴びた時代があったようです。その黒瀬戸海峡を挟み九州島と対峙する長島に土器や古墳(墓)に畿内地方の影響が点として見られます。その点は,畿内地方から瀬戸内海・周防灘を経て有明海・筑後平野・八代海を繋ぐ線の中に存在します。しかしながら,技術の進展は黒瀬戸海峡を鉄の橋で繋ぐに至り,古墳や遺跡は現在に生きる我々にとって過去の史実に思いを馳せる断片としての存在になっています。
これまで述べてきた長島の古墳(古墳時代)に関する成果は先に述べたように池水寛治先生と出水高校考古学部の生徒の手によるものが大でした。また,調査時には長島町・東町の皆様にもご協力を頂いています。その後,この生徒さんの中から考古学の世界で活躍されている方が生まれています。遺跡が人を育てたのです。 - 用語解説
-
墳丘 古墳を形作る盛土のこと 石室 石で造られた遺体を安置する部屋 竪穴式石室 石室の形の1つ。個人用。完全に土をかぶせる 横穴式石室 石室の形の1つ。数回の埋葬が可能なように横に入り口がある 副葬品 遺体と一緒に石室内に埋葬された品々 葺石 古墳の土が流れるのを防ぐために墳丘の上を覆った石 - (文責)西園 勝彦
縄文の森から 平成27年12月

平成27年12月28日(月)
講演会のお知らせ!
企画展講演会のお知らせ
第44回企画展に関連した講演会を開催します。
1 日 時
平成28年1月23日(土)13:30~15:00
2 内容・講師
【演題】「装飾古墳
~今に甦るアート 色彩に込められた古代人の想い~」
【内容】 赤や黒,白,灰,黄,緑など色鮮やかに彩られている「装飾古墳」。
幾何学文様や大胆なタッチで描かれた馬や人物など,多種多様で現代アートにも通じるこの装飾に込められた古代人の想いをお伝えします。
【講師】熊本県立装飾古墳館
学芸課長 坂口 圭太郎氏
3 場 所 上野原縄文の森展示館 多目的ルーム
4 対 象 どなたでも参加できます。
5 定 員 80人程度(要事前申込み)
※ 申込みについては,お電話でお問い合わせください。
6 資料代 100円
※ 講演会終了後,希望者を対象に企画展示室でギャラリートークを行います。(別途展示館利用料金が必要)
7 問い合わせ・申込先
上野原縄文の森 TEL 0995-48-5701

講座のお知らせ!
かごしま県民大学連携講座のお知らせ
「出土品から見た鹿児島」
第2回 縄文土器の文様に迫る
1 日 時
平成28年 2月27日(土)13:30~15:00
2 場 所
鹿児島市:かごしま県民交流センター小研修室第2(東棟4F)
3 内 容
【内容】 本物の土器を手に取り観察しながら,縄文土器の文様について解説します。また,土器の文様を写し取る拓本作りにも全員で挑戦します。
【講師】 上野原縄文の森
事業課長 内山 伸明
4 対 象 どなたでも参加できます。
5 定 員 45人程度(要事前申込み)
※ 申込みについては,お電話でお問い合わせください。
※ お車でお越しの際は駐車券を講座会場の受付までご持参ください。
6 資料代 100円
7 問い合わせ・申込先
上野原縄文の森
TEL 0995-48-5701
考古ガイダンス第10回
- 縄文の風 かごしま考古ガイダンス
第10回 畿内勢力の浸透 1 飯盛山古墳
2 横瀬古墳
3 唐仁古墳群
4 塚崎古墳群
5 岡崎古墳群
6 小浜崎古墳群
7 指江古墳群
8 鳥越古墳群
9 脇本古墳群
10 船間島古墳群
11 弥次ケ湯古墳- 【地図 南九州の古墳の様相・畿内型古墳の分布域と南九州の墓制】
- 3世紀末から4世紀に,土を高く盛り上げて造る高塚墳(たかつかふん)と呼ばれる大型の墓が,近畿地方を中心に盛んに造られるようになりました。これらの墓は,当時の権力者(豪族)(ごうぞく)が,他の豪族や人々に権力を示すために造らせたものです。円墳や方墳などいろいろある高塚墳の中でも,前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)は,この時代(古墳時代)の代表的な墓です。大阪府にある大山古墳(だいせんこふん・仁徳陵)は,長さ約480メートル,幅約300メートル,高さ約35メートルもあり,世界でも類をみない大きさです。
高塚墳は近畿地方を中心に造られ始めたため,畿内型古墳とも呼ばれます。5世紀までには東北から九州まで分布するようになりました。この畿内型古墳の分布は何を意味するものでしょうか。
南九州の古墳文化の様相を紹介しながら,その意義について考えてみます。 - ■南九州の畿内型古墳■
南九州への畿内型古墳の伝播には,大きく2つのルートがあります。1つは,佐賀,熊本から薩摩半島西岸沿いに伝播してくるルート。もう1つは,宮崎から大隅半島東岸沿いに伝播してくるルートです。
薩摩半島西岸沿いの地域では,4世紀中頃にはすでに阿久根市に鳥越1号墳が築かれています。この鳥越1号墳は,初期畿内型古墳の様相を示し,3世紀末に成立した大和朝廷の影響が急速に南九州まで及んでいったという事実が伺えます。- 【画像 大崎町 横瀬古墳】
- 大隅半島の志布志湾沿岸地域では,5世紀前半に志布志町のダグリ岬に飯盛山古墳(いいもりやまこふん)が築かれました。その後大崎町の横瀬古墳(よこせこふん),東串良町の唐仁大塚古墳(とうじんおおつかこふん)などの巨大な前方後円墳が築かれていきます。
しばし,この巨大前方後円墳に目を向けてみましょう。 - ■志布志湾沿岸沿いの古墳■
肝属川(きもつきがわ)流域の肥沃な沖積平野を背景に,この地域には古墳が集中し,鹿児島県内最大規模の前方後円墳が存在します。大崎町の横瀬古墳(国指定史跡)は,水田の中に全長132メートル,高さ約12メートルの優美な姿を見せ,周囲には幅12~23メートル,深さ約1.5メートルの濠(ほり)も確認されています。
墳丘(ふんきゅう)や濠からは,須恵器(すえき)や埴輪(はにわ)などの破片が発見されています。本県で埴輪を有する古墳は,現在のところ志布志町の飯盛山古墳とこの横瀬古墳だけです。須恵器は,韓国南部の伽耶系(かやけい)の陶質土器である可能性が高いと思われます。- 【写真 大崎町 横瀬古墳】
- 横瀬古墳の西約4キロメートル,隣接の東串良町新川西に前方後円墳4基,円墳133基からなる県内最大の唐仁古墳群(国指定史跡)があります。
その中の大塚古墳(1号墳)は,全長180メートル,後円部の高さ約10メートル,九州でも最大級の前方後円墳です。大塚古墳の後円部墳頂は,大塚神社が建てられる時に削平されたと思われます。そのため,竪穴式石室(たてあなしきせきしつ)の天井部が露出しています。石室内部には石棺(せっかん)が置かれ,棺外に短甲(たんこう)が副葬(ふくそう)されていました。5世紀中頃の古墳と考えられています。
この他,串良町の岡崎古墳群,高山町の塚崎古墳群(国指定史跡)があり,肝属平野を中心に畿内型の古墳が集中しています - ■薩摩半島西岸沿いの古墳■
- 薩摩半島西岸沿いでは,どのような様相が見られるのでしょうか。
前述のように,いち早く畿内型古墳が出現するのは,阿久根市の鳥越1号墳です。墳丘は削平され形状は不明ですが,竪穴式石室は九州第2位の大きさで,初期畿内型古墳の特徴を備えています。その後も5世紀中頃以降,長島の小浜崎古墳群や指江古墳群,阿久根市の脇本古墳群など,畿内型古墳がみられます。
このような畿内型古墳は,川内市までみられ(船間島古墳等),川内市がその南限とされていました。平成10年,これまでの認識を一変させる発掘が指宿市でありました。弥次ケ湯(やじがゆ)古墳です。この発見は,古墳文化の南限の見直しと,階層社会がすでにこの地域でも成立していたことを認識させるものでした。 - ■南九州の古墳の様相■
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地下式横穴墓
地下式板石積石室墓
立石土坑墓 - ここまで,畿内型古墳を中心に目を向けてきましたが,南九州では,畿内型古墳のほかに,地下式横穴,地下式板石積石室(ちかしきいたいしづみせきしつ),土坑墓(どこうぼ)等の埋葬(まいそう)形態があります。
畿内権力浸透の現れである高塚墳と,南九州独特の墓制である地下式横穴,地下式板石積石室は混在しています。このことは,大和政権の影響が南九州まで及んでいたにもかかわらず,その全てを受け入れたのではなく,南九州の古墳文化がこれまでの文化を踏襲した中に,大和政権の影響を受け入れる形で形成されたことも示しています。
南九州のある地域は早くから大和の文化を受け入れ,ある地域は最後まで抵抗をしたものと思われます。そこには,喜怒哀楽を伴った人々のドラマがあり,古墳は悠久の時間,これらのドラマを眺めつつも,「黙して語らず」。今後も世の移ろいを眺め続けるでしょう。 - 用語解説
-
墳丘 墓に付属する盛土・積石などで,墓標としての性格とともに,遺体をおおう役割をもつもの。 須恵器 古墳時代から平安時代までみられる陶質土器の総称。
登り窯(かま)を用いて,約1,100度の還元焔(かんげんえん)によって灰青色に焼き上げる。埴輪 古墳の周りや上に置かれた素焼の土製品の総称。円筒形や家,動物,人などの形をしたものがある。 伽耶 紀元4世紀頃,朝鮮半島の南部に群拠した小国家群。
連合体をなしながらも一国にまとまることなく,新羅に征服され滅亡する。竪穴式石室 古墳の埋葬施設の一種。棺(ひつぎ)を設置したのち,四方に扁平な割石を小口積みにして壁を築き,その上に天井石をのせ閉鎖する。 短甲 胴部分のみを防御するための鉄で出来た甲(よろい) - (文責)大保 秀樹
第44回 蘇るSHOKUⅡ
- 上野原縄文の森 第44回企画展
蘇るSHOKUⅡ
~色と飾りに込めた想い~ - 開催期間:平成27年11月27日(金)~平成28年3月21日(月・祝) ※終了しました
- ■注目の一品~今回の展示品の中から~■
- ※ ○の中の遺物の写真にカーソルをのせると,遺物の紹介コメントが現れます。
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国宝〈レプリカ〉展示
(片方展示)
(片方展示)
(写真:東京国立博物館所蔵image:TNM image Archives)きんせいしんようがたたれかざりつきみみかざり
金製心葉形垂飾付耳飾こんどうせいくつ
金銅製沓江田船山古墳(和水町教育委員会) 江田船山古墳(和水町教育委員会)
期間限定展示品【平成28年1月23日(土)~3月21日(月・祝)】 じかん
耳環・ガラス玉ほかぎんぞうがんりゅうもんたち
銀象嵌龍文大刀島内地下式横穴墓群
(えびの市教育委員会)島内地下式横穴墓群
(えびの市教育委員会) - ■企画展講演会■
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平成28年1月23日(土)13時30分~15時 ※終了しました
【講 師】熊本県立装飾古墳館 学芸課長 坂口 圭太郎氏
【定 員】80人程度(要事前申込)
【資料代】100円
【場 所】展示館多目的ルーム
講演会終了後,希望者を対象に企画展示室でギャラリートークを行います(別途展示館利用料金が必要となります)。 - ■企画展ギャラリートーク■
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企画展開催中に展示の解説を行います。
【日 時】 開催中の毎週土・日・祝日
1回目 10:30~ 2回目 14:30~ ※各回30分程度
【会 場】 企画展示室 -
今までに開催した特別企画展情報はこちらから
> 上野原縄文の森企画展のご案内
縄文の森から 平成27年11月

平成27年11月26日(木)
残りわずか!!
一日縄文人体験 第5回
「縄文のリースを作ろう」

平成26年度の「縄文のリースを作ろう」より
12月5日(土)午前10時から行います!(参加料50円)
縄文の森で採れる自然素材で作ります。オリジナルの縄文のリースと思い出を作りましょう。
問い合わせ先
上野原縄文の森 電話 0995-48-5701